住宅街の中に点在する教会
それらは数百年の歴史を歩んできた
初期キリストとビザンツの教会群
体調悪いっす。
どうしましょう。
本日休みにしてもいいけど、、、微妙に体も動くし。
どのみちまずは宿を変更しなければ。
この宿には少々気が滅入ることが多いので。
特に体調が悪いのにあったかいシャワーが浴びれないのが一番痛い。
ということですぐに宿を変えました。
するとまだ空いてないのでまたあとで来てくれと言われるではないですか。
このため、本日観光することにしました。
まずは朝食を。
と言ってもすべてが高いので菓子パンぐらいしか食べられませんけど。
そして風邪薬を飲み、とりあえず銀行へ。
トラベラーズチェックを両替したかったから。
まずはCITIバンクへ。
すると両替できるってさ。
手数料も2%なら問題なし。
400ユーロ分両替しましたよ。
これでアテネまではもつでしょう。
そしてようやく観光開始。
ここは世界遺産「テッサロニキの初期キリスト教とビザンチン様式の建造物群」がある場所。
中世の時代ここはビザンツ帝国に支配されていました。
ビザンツ帝国とはローマ帝国が2つに分裂した際の東ローマ帝国がそのままビザンツ帝国へと変わった帝国。
その権力は膨大で、1000年以上も歴史に君臨し続けた帝国となったのです。
そんな時代にここには様々な教会がたてられました。
なぜテッサロニキだったかというとここには世界で初めてキリスト共同体という都市になったこと。
これにより各時代において様々な教会が建てられたのです。
それは初期のキリスト教の建築バシリカ様式からその後のビザンチン様式の建築ラテン十字の教会が様々残っているのです。
歴史を追うごとにその特徴的な教会がたてられキリスト教が歩んだ建築様式の変化をこの街がすべて伝えているのです。
こうして東ローマ帝国、ビザンツ帝国が残したキリスト教の建築様式のすべてをここに残すテッサロニキは各時代の最高傑作を残しその後のキリスト教建築に影響を与えた場所として世界遺産に登録されました。
まず最初に向かったのはパナギア・ハルケオン教会。
11世紀に建てられたビザンチン様式の建物でテッサロニキの中では比較的新しい教会です。
最初にこの教会を見た時は天井部分が自分の身長の目線先にあるという不思議な教会で。
よくよく近づいてみたら周辺には階段があり、下ってようやく教会の入り口にたどり着く構造。
何でこんな地下に作ってあるんだろう。
もしかしたら11世紀当時の地表はここにあったのかも。
それが年月を追うごとに地表に土がたまり現在の地表になったのかも。
そう考えると歴史の長さを感じます。
教会自体はギリシャ十字の形をした教会でビザンツ帝国時代に建てられたものと分かります。
ギリシャ十字とは普通の十字架と違い交差した十字の長さがすべて均一の長さでちょうど+の形をした十字架のこと。
これは東方正教会で始まりギリシャで繁栄を遂げた形なのです。
レンガ造りの教会で独特な雰囲気を持っていますね。
ただし内部に入れず。
続いて向かったのは聖ソフィア教会。
こちらはバシリカ式の教会で、キリスト教初期の建造物です。
バシリカ式とはもともとローマの集会場をそのまま真似て建てた建造物。
このため長方形の建物で一番先には円形の建物となっているのです。
しかもすべては聖地エルサレムを向いて東側に円形の祭壇が設置されているのです。
ちなみにテッサロニキの教会はすべてこのエルサレムを向いて立っているので教会を見ると方角がわかるようになっています。
こちらの教会も地面より下に建設されていて。
外から見ると巨大な壁という感じの教会です。
しかし内部に入ると外の印象を忘れるぐらいの豪華な内装となっています。
正面には祭壇が設置されて入れ、一番奥の円形の部分には入れない状態になっていて。
天井部分には聖母マリアのモザイク画が描かれています。
その手の中には生まれたキリストの姿も。
祭壇には聖人の姿が描かれており、その先には聖なるものが安置されているようなっています。
みなその先の物に向かって祈りを欠かさないのです。
しかも本日お葬式だったらしく、手前には花が飾られています。
その幻想的な雰囲気に私の心は奪われそうです。
日本の仏教とはなんかスケールが違うというか雰囲気が凄すぎて。
圧倒されそうですね。
ちょうど私が教会を後にするときに葬式が始まったらしく。
棺と悲しんでいる人が入ってきました。
、、、なんか私まで悲しい気分になってしまいましたね。
でも一番驚いたのは、、、というか私の実家墓石やですから葬式関係よく見てきたのですけど。
その準備の早さに驚きました。
私が教会に入った時は一切そんな雰囲気なかったのに、突然花とか飾りはじめて。
私が出て行く時には正面にたくさんの飾り花まで設置されているわけで。
その間1時間以内。
花束を設置して、外部も内部も装飾してから45分たたないうちに棺が運ばれてくる。
なんと手際のいいことでしょうか。
日本では考えられない早さです。
そして続いてはロトンダという建造物へ向かいました。
こちらはまた普通とちょっと違った風貌をしております。
何しろ円形の建物で。
キリスト教にも円形の教会は存在しそれは集中式と呼ばれる建築様式なのですが。
これはもともと皇帝の霊廟を改造した教会なので普通とは違った形をしています。
唯一教会と分かるのは円形の中にエルサレムに向かう方角だけさらに半円の突き出しがあること。
もちろん内部には十字架が設置されていて。
しかも円形のほどんどがレンガむき出しの状態でした。
何より一番びっくりするのはレンガ造りでありながらこれだけの空間を生み出せること。
今まで見た中でもレンガ造りでは最大の空間ではないでしょうか。
これほどの空間が生み出せるなんて信じられません。
ちなみにこのロトンダは面白い歴史を歩んでおり。
その後オスマン帝国に統治された際にはモスクに改宗されたため横にミナレットが建っています。
これはギリシャが歩んできた歴史のすべてを描いている遺跡かもしれません。
そのロトンダの横には凱旋門が存在していて。
これは303年にローマ帝国ガレリウス帝を称え、戦争に勝利した暁に建てたもの。
ほどんどが崩れ去っていますが、道路に面する部分だけ残っており。
そこに残る彫刻がその歴史の長さを証明しています。
描かれた背景はわかりそうですが、ほとんどが風化により丸みを帯びています。
この凱旋門はテッサロニキの歴史を見続けたのでしょうか。
凱旋門も見たところで次にアギオスディミトリオス教会へ行くことにしました。
こちらもバシリカ様式の建物でビザンツ帝国初期の建物。
外壁からは相当巨大でレンガでできているのがわかります。
バシリカ式でも塔は存在するんだということが改めてわかりました。
でもこれ全部レンガで建っているんですよね。
正直信じられないぐらいの構造ですよ。
それだけの高さがあり、大きさがあり。
まあ、ヨーロッパは地震がありませんから。
この前起きた四川大地震ではレンガ造りの家々が全壊してたくさんの人が亡くなりましたし。
この建築はヨーロッパだからこそ残った建築なのでしょうか。
内部に入るとさらにその大きさに驚きます。
そこには信じられないぐらいの巨大な空間が存在するのです。
内部は大理石でおおわれており、正面には金色で色彩された祭壇や、正面天井にはフレスコ画が残っているのです。
祭壇はほとんどが聖人の姿を描き周りは金色で。
それぞれの描かれた人たちが訴えてくるかのように見つめてきます。
そしてこの教会には地下教会も存在し。
内部に入れるようになっています。
中に入るとすべてはレンガがで作られているのが鮮明にわかり。
内部にも祈る部分が存在します。
ほとんどがそこに残る装飾品を展示する博物館見たくなっていますが。
地下空間でも祈る人がたくさんいたのでしょうね。
それにしてもあまりの暗さに写真が撮れず。
写真はOKでも三脚はNGっていうから。
でもこれほど暗いと三脚ないととれないですよ。
こうしてアギオス・ディミトリオス教会も見終わったところで。
その近くに残るビザンツ帝国時代の教会を見に行きました。
アポストリーとエカテリーネ教会を見に行ったのですが。
どちらとも内部には入れず。
しかしレンガで造れた教会であり、住宅街の中にひっそりしている教会で。
レンガで造られたとは思えないぐらいの豪華な教会です。
本当はもっと日光の中でこの教会を見てみたいと思いましたが。
本日は曇っていて残念ですけど
ほんとにすべては周りきれてませんがテッサロニキにはたくさんの教会が存在し。
すべてが1000年以上残る教会で。
そして住宅街の中にひっそり残る教会のために現代と過去が残る街といった感じです。
本当はもうちょっといろんな教会を見たかったのですが。
暗くなったし、体調も微妙なので観光終了。
真っ先に宿に戻り寝ていました。
そして再び起きて夕食を食べ。
日記を書いて早めに就寝ですよ。
ほんとに風邪治ってくれないかな。。
咳とか大変で。
喉も痛いし。
もうすぐ山登りしないといけないのに。。。
ではまた明日。
テッサロニキへのアクセス
アテネからバス・列車ともにあり。
周辺の国からも国際列車及び国際バスが走っている
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世界遺産のことを皆に知ってもらう為によろしくお願いします。