山の斜面に残る遺跡
それはギリシャ神話アポロンを祀った場所
紀元前8世紀からの聖地
本日はゆっくり寝かせていただきました。
まあ、昨日風邪気味だったというのもありますけど。
ただ完全回復していないですけど。
本当に風邪しつこい。
いい加減に治ってほしいものです。
さて起床して朝食を食べてから、まずは外の天気を確認。
晴れていたら近くの遺跡を、曇っていたらちょっと離れた場所を観光しようと考えていたので。
すると快晴。
しかもなんと虹までかかっていてびっくり。
早速準備をして出発。
途中時計をしてないことに気が付き宿に戻ったのは内緒ですけど。。
こうしてデルフィの街から歩いて5分のところにある物こそ世界遺産「デルフィの考古遺跡」です。
ギリシャ神話に登場するゼウス。
ゼウスは世界の中心を探りあてた際パルナソス山が示された。
このパルナソス山の近くにあるデルフィは「世界のへそ」と信じられていた。
もともと世界は円盤状の平らな大地と考えられていたためその中心がデルフィであると考えられていたのである。
また、この地はギリシャ神話のアポロンを祀る地であった。
それはアポロンがデルフィを訪れた際に大蛇ピュトーンを殺してしまった。
その大蛇の代わりに自らピュトーン神となり巫女の体を借りて予言をしたのである。
ギリシャ神話においてアポロンとは予言の神。
この神話によりギリシャ神話を信じる古代ギリシャ人はこぞってここに神殿を建設したのである。
それは紀元前6世紀のこと。
そこから紀元後4世紀までこの地は様々な建物が建てられた。
神殿はもちろん宝物庫や競技場、劇場など。
さまざまな施設が建設されたのである。
しかし、この繁栄もローマ帝国テオドシウス帝によりデルフィが閉鎖されてしまいここは歴史のかなたへと消え去ってしまった。
しかし、デルフィには2千年の時を過ぎてその痕跡が残されているのである。
すべては廃墟とないっているが当時の神殿の様子や装飾品など様々なものが見つかり当時の様子が鮮明にわかったのである。
こうして古代ギリシャの聖地として栄えたデルフィは過去の文明を今に残す場所としてさらに古代ギリシャ建築の最高傑作が残る場所として世界遺産に登録されました。
早速デルフィの遺跡に到着してチケットを買い。
階段を上りました。
するとそこには信じられない光景が。
デルフィ自体が山のかなり急な斜面に造られているだけでも驚きですが、その中にたくさんの巨石が残っているのです。
それは当時の建造物を支えていた柱や屋根が崩れ落ちた後。
土台部分は残っており、そこにはたくさんの建物があったことを示しています。
中には柱が残っている部分もあり、若干当時の面影を残しています。
道を進むとまずは上りの回廊にでて右には壁に覆われていて左は小さな建物が乱立していたと思われる場所に。
この小さな建物はアポロンに捧げる宝物をおさめておく場所。
その一つに天井以外ほとんど原形をとどめている建物があります。
これはアテネ人が寄贈した宝物庫。
すべては大理石で作られており、真っ白な壁に真っ白な柱。
屋根を支える部分には彫刻も施されており。
昔はこのような建物が建っていたんだと実感できる場所。
もし今すべての建造物が残っているとしたら、このような建物が周りにたくさん建っていたのでしょうか。
そう考えると古代ギリシャ文明って相当素晴らしい文明だったことがわかります。
ほんとにこれ2千年以上前の建造物だって信じられませんよ。
今まで数々の古代文明の遺跡を見てきましたが、これほど素晴らしいのは初めてかもしれませんね。
そして宝物庫跡を抜けさらに上に進むと6本の巨大な柱が残る場所に出てきます。
これこそアポロンを祀ったアポロン神殿。
入口はスロープになっておりそこから内部に入れるようになっています。
しかし現在ではそこにあった巨大な建造物はなく、38本の柱で支えられていた建物も現在は6本しか残っていないのです。
しかし基礎部分は今でも残っており長さ60m、幅23mの巨大な神殿がそこにあったことを伝えています。
基礎の部分も結構な高さがあり、1mはあろうかというぐらいな巨大さ。
いったいここに残っていた神殿はどれだけ大きかったんだと感じさせるものです。
当時はこの中に黄金のアポロン像が祀られていたとのこと。
想像するだけでもここに巨大な建造物があったとわかりますね。
ほんとにこれだけの建造物がここにあったという事実がほんとに信じられない。
何しろ周りは山の斜面で、というか崖に近いような斜面ですよ。
しかも周りには平原すら見えない場所なのに大理石をここまで運んだという事実が。
礎石に使われる石は近くの山が岩山なのでそこから切り出したのでしょうが。
ほとんどを大理石で作ったデルフィですから、それだけの労働力と権力がないと作れないのですよ。
それだけギリシャ神話を信じアポロンを崇拝する人が多かったってことなのですね。
キリスト教が生まれる前の話ですから、当時の人たちはギリシャ神話を信じていたのでしょう。
宗教とは時に巨大な権力を集めますから。
アポロン神殿の先に進むと今度は半円形の劇場が見えてきます。
いやね、これも巨大さにびっくりだし。
開いた口がふさがらないってこういうこと言うんだな。
しかも驚くのはその保存状態。
この円形の劇場の建設は紀元前4世紀頃。
かれこれ2500年の時が流れているのです。
それなのにほとんどが当時のまま残されており、壊れている部分も一部分。
いまだにここで劇を開いても何の問題もないほどのクオリティー。
これ全部大理石で作られているのも信じられないですよ。
ここにたくさんの人が集まり、中心で劇を上演する。
遠い過去から続けられて今でも変わらない姿が文化としてある。
この事実だけでも何かすごい気がしますし。
劇場が円形というのもかなりの特徴的ですよね。
この文化がその後のローマ帝国に受け継がれローマ帝国の都市に作られるようになったのですね。
そしてデルフィの遺跡をさらに登ると今度は今まで見た神殿や劇場が上から見られるようになり。
一層どのような場所にあるのかというのがわかりやすくなります。
目の前は崖のような山で、下も深い谷になっている。
そんな辺境の場所に建物の基礎が残っているのがわかり。
まるで夢の国に来たようですね。
これだけの風景はなかなか拝めるものではないでしょうから。
そしてさらに上に登り続けると今度は競技場が見えてくるのです。
実はこのデルフィもオリンピアと同じで4年に1度の大会が行われていたのです。
要するにオリンピックと全く一緒。
オリンピアの例で言うと種目は短距離しか行われておりませんでしたが。
競技場の形は今のスタジアムとはちょっとだけ違う形で。
トラックに合わせてスタンドが作られており、片側の端だけ全くスタンドがない状態です。
∩←という形の競技場なのです。(線のところにスタンドがある感じ)
長さ178m。
この距離で短距離を競ったのでしょうか。
もちろん全員裸になって。
もちろんデルフィの遺跡のはずれにはこの大会のための練習場も残っています。
スタジアムを見終わってデルフィの遺跡を一通り見終わった後にこの練習場に向かいました。
この練習場はデルフィの中でも一番低い所にあり。
練習場ですからほとんどの建造物はなくそこにはただ直線のグランドがあるだけ。
ここで数々の選手が練習し本番には一番高い競技場へ移動したのでしょうね。
そしてその練習場のさらに奥に進むと3本の円柱が残る円形の場所に到着します。
ここも聖地のひとつ。
さっきのデルフィはアポロンの聖地でしたが、こちらはアテナの聖地
女神アテナを祀ったアテナ・プロマイアなのです。
こちらにもさまざまな施設が作られており、残っているのは礎石部分ですが、その礎石の量から行ってもたくさんの施設があったことがわかるのです。
聖地の中心は円形の建物で覆われており、そこには3本だけですが柱が残っているのです。
この中心部にも何かの神体が保存されていたのでしょうか。
周りはすべて崩壊しているので何があったかは特定できなさそうですが。
ここもデルフィ同様に様々な人が拝み参列していったのでしょうか。
デルフィの遺跡には驚かされっぱなしでした。
古代ギリシャの力がこれほどすごいとは思っていなかったものですから。
余計に。
そしてデルフィの最後は博物館を見に行きました。
ここにはデルフィで発掘されたさまざまなものが展示されています。
鉄器や青銅器など、そして黄金まで。
また大理石の様々な彫刻も展示されています。
その彫刻の躍動感からギリシャの人たちの姿が見えてくるようです。
そして一番奥には聖堂の御者の像があります。
これは紀元前5世紀の作で驚くべきはその保存状態。
青銅ですがほぼ完璧な形で残っているのです。
いやはや信じられない。。
しかも誰が作ったかもわかっているという奇跡の像なのかもしれません。
こうして本日の観光のすべては終了しました。
その後は宿に戻り、、、、結局寝てしまって。
ほんとに夕方ぐらいに一度寝るのが習慣化してきてますよ。
起きてすぐに写真の整理をして。
終わったら夕食と明日の観光のための買い出しを。
宿に戻って夕食を食べた後は洗濯を。
その後はずっと日記を書いていましたけどね。
それにしてもいい加減風邪気味が治ってほしいものです。
風邪だよね、、、。
明日はクリスマスイブ。
でも私は観光しにいってきますよ。
デルフィへのアクセス
アテネ・リオシオンバスターミナルからデルフィ行きのバスに乗る。
他にパトラとラミアをつなぐバスに乗りアムフェサで降りて乗り換えるという方法もある。
もしよろしければクリックしてください。

世界遺産のことを皆に知ってもらう為によろしくお願いします。