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 【ギリシアの世界遺産

世界遺産「オリンピアの古代遺跡」
2009.01.03
 
2009年1月3日    442日目


丘の中に作られた神殿

そこでは昔、短距離の1位を決める大会があった

現在も続くオリンピック発祥の場所


あれ、今何時?

気がついたら9時だった。

とりあえず起きてそのままバスターミナルへ。

本日移動するのは少々大変なので。

やっぱり明日のバスにすることにしたのですぐにチケットを変更。

おっちゃんがいやな顔していましたが、なんとかチケットの変更ができました。

そして宿に戻り、もう一泊の話をして。

すぐさま観光の準備を整えて、出発することにしました。

ここにあるのは世界遺産「オリンピアの古代遺跡」です。

オリンピック、それは4年に一度行われる平和の祭典。

あらゆるジャンルのNO.1を決めるスポーツの最高峰の大会。

そのオリンピックはこの場所から生まれました。

紀元前8世紀このギリシアの地はポリスに支配されていました。

ポリスとは都市間がそれぞれ自治を持ち各都市で民主主義の規則で繁栄した都市のこと。

その中でピーサとスパルタという都市の主要人物がギリシャ神を祀るために陸上競技を始めたのが最初の始まり。

その中でオリンピアという場所が選ばれ、ここに一大スポーツ施設が誕生することになりました。

それは体育練習場や闘技場のほかにスタジアムまで建設されたのです。

もちろん神々への信仰も忘れてはおらず、ゼウスやヘラという神に祈るための神殿も建設されたのです。

この競技は次第にギリシャの地に浸透し、4年に1度このオリンピアでギリシャ中の英雄が集まりここで競技を競ったのです。

それはある意味各都市のメンツの戦いでもありました。

現に優勝者には多大な褒章が出たとされています。

しかし、この競技会には一つの特徴がありました。

大会が開かれる前後3か月は一切の争いを禁じること。

これは1200年にも続く古代オリンピックの中で忠実に守られたのです。

しかしこの競技会もオリンピアにも終りがやってきました。

それはローマ帝国の国教がキリスト教に指定されたとによります。

もともとはオリンピアの競技会はギリシャ神話を信仰したためにできた大会。

それがギリシャの支配がローマ帝国に変わり、そして宗教もキリスト教となったために。

オリンピアでは競技会が廃止され、その後異宗教の偶像崇拝を禁止したために数々の彫刻がつぶされました。

そして追い討ちをかけるようにこの地で地震が発生し、オリンピアとその競技会は歴史に消えたのです。

しかしその後このオリンピアは世界中の注目と、その精神を受け継ぐことになります。

1875年にオリンピアが発掘されその特殊な競技会が注目されることに。

そしてその競技会がそっくりそのまま現代に表わすことになりました。

1896年近代1回目の競技会オリンピックが首都アテネで開催。

その後も4年に1度、世界のスポーツの祭典としてオリンピックは存在しているのです。

すべてはこの地から始まったのです。

近代のオリンピックも昔と同様に開催の近くは内戦や戦争を禁止しておりますが、実際守られてはおりません。

去年行われた北京オリンピックでも、中国のチベット暴動の軍事介入、ロシアのグルジア侵攻などいまだに戦争が行われております。

古代のオリンピック同様、現代のオリンピックも開催期間中は絶対の平和が存在する大会へ。

そうなることを祈るのみです。

こうして現代オリンピックの発祥の地でもあるオリンピアはギリシャ神殿の最高傑作が残り、その後の建築へ多大な影響を与えた場所として、そしてオリンピックが残った類まれなる文化があったことで世界遺産に登録されました。

このオリンピアには遺跡と博物館の2つがあり、まずは遺跡の方へ。

チケットを購入して、、、、ってすごい料金が高い。

ヨーロッパに入ってから食費だけではなく観光費もバカにならないのですごい困りどころです。

そしてようやくオリンピアの遺跡に。

すると目の前には崩れた遺跡群が現れてきます。

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もう2千年以上も前の遺跡なのでほとんどが崩れており。

最終的にはここは地震で崩壊したんでした。

それぐらい礎石しか残っていないのです。

しかし何が残っていたのかはおおよそ見当がつくぐらいのそれぞれの遺跡の構造は特化されているものであります。

まず遺跡に入ると直線の長い道路があります。

一番最初に見えるのは入口の回廊が見えてきてすぐに右手には体育練習場と闘技場が見えてきます。

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体育練習場の方はやはりほとんどの礎石が残っていません。

屋外の練習場のために広い広場になっているという感じです。

闘技場の方は周りを大量の円柱に囲まれていて。

そこには正方形の建物で中庭があり、そこで格闘技をして汗を流したのが見えてきます。

これだけ見ても古代の総合スポーツ施設ということが見えてきますよ。

道路の左隣りには迎賓館とヘラの神殿があります。

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迎賓館の方はほとんど崩れておりどのような建物だったかがわかりませんがヘラ神殿はその柱の大きさから結構な大きさの建物だったと思われます。

ヘラとは全知全能の神ゼウスの正妻、結婚・出産・育児の神。

ゼウスを祀る遺跡ですのでその妻も祀った場所があるのです。

その礎石だけ見ると本当に立っていた姿を想像するとびっくりします。

こんな巨大な建築どうやって建てたのだろうかと。

しかし、この建物もかすんでしまうほどの建物がオリンパスには存在しました。

それこそ、ゼウスを祀ったゼウス神殿。

すでに周りには崩れた時のたくさんの柱が点在していて。

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ゼウス神殿の上に登るとその巨大な円柱の礎石が残っています。

一本だけ復元したのかそのゼウス神殿の柱が残っており。

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それを見上げるだけでもびっくりするような高さです。

軽く10mは越えているような。

これって日本の建築で行ったら4階建ぐらいの大きさがあるのですよ。

なんという高層建築なのでしょう

これを建設したのが紀元前5世紀というのですから、どれだけすごい文明が残っていたのかと思うと。

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古代オリンピックが開催されていた時に選手はここで拝み競技に向かったといいます。

そしてこのゼウス神殿にはこの建物いっぱいにゼウス像が建てられていたとのこと。

、、、、想像できないんですけど。

それだけ巨大な神殿が建っているというのも信じられないのにその中には巨大な像が。

古代ギリシャってそれぞれ都市間で繁栄していたんですよね。

これだけの巨大な建造物を作る権力があったなんて相当思えないんですけど。

しかも昔はそれほど人口いなかったのですけど。

やっぱり信じられません。

ゼウス神殿の周りにもたくさんの建物が残っており。

円形の建物や、何の目的だかさっぱりわからないものまで。

その中でも選手などの宿泊所が残っているのがわかります。

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たくさんの壁があったであろう礎石が残り、その中心には中庭が存在したこともわかります。

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推定ですが数百人は泊まれたのではないかという規模があり。

その競技会の重要さが伝わってくるようでした。

そして遺跡の一番奥にこの遺跡の最大の目玉、スタジアムがあります。

遺跡の奥にアーチのような橋がかかっており、その中をくぐり回廊を進むと広い広場が見えてきます。

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これこそ古代オリンピックで競技をした場所なのです。

競技場は長細い形をしており、その両側にはスタートラインとゴールラインの石が残っています。

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周りにはたくさんの人たちが観戦したであろう、芝生の席が残っていて。

一部分には貴族が座ったであろう台座まで存在します。

ここで4年に1度、短距離走などのたくさんの種目を競いあったのでしょうか。

ちなみにここでは男たちは裸で争いあい、女性の観戦は禁止されたのです。

すべての観客は男で、その中で裸で走る男たちを想像、、、、ちょっとしたくないかも。

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現代では考えられないですね。

まあ、これはゼウスを祀るための行事だったのですから少し違うのかもしれません。

しかも種目が少なかったですし。

しかしその後はローマ帝国の時代になって純粋な競技は不正の対象になってしまいます。

皇帝が勝ちたくて様々な種目を導入し、皇帝が優勝するということも普通に存在してしまうのです。

さらに競技とは関係なく音楽や詩などといった芸術も争われることになります。

こう考えると古代オリンピックはなくなってよかったのかもしれません。

でもやっぱりこのスタジアムを見ていると歴史を見ているようで。

何とも言えない気持ちになりますね。

しかもこのスタジアムはもともと建物がなかったために過去の姿がそっくりそのまま残っている。

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そう思うと2千年前以上の出来事を見ている気分になりますよ。

それにしても本日は結構雨が降るので観光が大変です。

ようやく遺跡の観光が終わり、続いては博物館へ。

さっそく中に入って、いろんな展示物を見学。

中には陶器や彫刻などが展示されていて。

当時の武器なども残っており、特に鉄兜などはきれいに残されていてこのような装備で当時は戦争していたのかと。

それは映画の世界そのままだったのでちょっとびっくりしましたが。

一番奥にはヘラ神殿に残されていた彫刻の赤子のディオニソスをあやすヘルメス像なども残され。

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ほとんどが崩壊していますがこの像だけはほぼ当時のままの姿を残しており。

あまりにも素晴らしい彫刻というか表情が読めるし、なめらかなタッチで感動ものです。

また勝利を祈るニケ像なども残っており。


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ここには様々な彫刻が残されていて、神々をまつっていたことを証明しているかの様です。

それにしても一番驚いたのはガラスかもしれません。

ガラスなんてこんな時代にあったんだという意味で。

それも一切壊れていないというのも驚きですね。

オリンピアの遺跡には驚かされることが多かったです。

観光が一通り終了したと思ったら外にも出れない大雨で。

しょうがないので博物館の中で少し過ごすことに。

するとすぐに雨はやんだので宿に帰ることにしました。

本日もドミトリーですが宿には一人だけなので。

気楽なものです。

その後は写真の整理をして、日記を書いて。

暗くなったところで夕食を買出し。

いつも同じような食事で気が滅入る。

でも変化しようとするとすごくお金がかかってしまうので。

本当はもっと野菜を食べたいのですが。

ここは我慢。

野菜だけでも日本よりお金がかかってしまうから。

ほんとに悲しい限りですよ。

夜はひたすら日記を書いてました。

ほんとにまずいぐらいの日記を残しているので。

少しでも書かないと。。

こんな感じで本日の夜でした。

明日は移動と宿さがしに苦労しそうです。




オリンピアへのアクセス
アテネ・キフィスウバスターミナルから一日2便9時半と13時にオリンピア行きのバスが出ている。
そのほかでもピレウス行きのバスに乗り、オリンピア行きに乗り換える方法もある。
トリポリからは1日3便ほどある。




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