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 【ギリシアの世界遺産

世界遺産「バッセイ(バッセ)のアポロ・エピクリオス神殿」
2009.01.07
 
2009年1月7日    446日目


ペロポネス半島の山脈の中

誰もが近づけない山の中にその神殿はそびえる

見えない恐怖から解放された人々が作り上げた神殿が。


おはようございます。

目覚ましをかけたのにその前に起きたのが不思議ですが。

ともかく、本日は観光をした後にそのまま移動することにしていたので。

早めにチェックアウトをして、観光をと思っていました。

といっても、日の光が上がるのは9時を過ぎないといけないので。

8時に起床して宿を8時半に出発という感じでいましたよ。

起きてからはとりあえずすぐに出発できるように準備をして。

荷物を宿に預けて、タクシーを呼んでもらいました。

何しろ14kmも離れているので両方歩いたら5時間以上かかってしまって。

次の移動の出発時間が間に合わないので。

片道だけタクシーを使おうと思っていたのです。

ただ、行きか帰りが登りかはわからなかったので、とりあえずタクシーを呼びやすい行きにタクシーを使いました。

タクシーが来てから道を進むとほとんどが登りで。

しかも山脈を越えながらの山登りなので景色は最高でした。

ただ、私はというと結構タクシーで進んだので帰りこれを歩いて帰るのがどのくらい時間がかかるのかはすごい不安でしたが。

何しろトリポリ行きのバスに乗り遅れたら、もう一泊して次の日は午後まで全くの暇になるので。

それに間に合うのには歩いてどのくらいかとか気にしていましたよ。

予想以上進んだところでタクシーは停止をし。

ようやく世界遺産「バッセのアポロ・エピクリオス神殿」に到着しました。

紀元前5世紀。

人類はかつてない恐怖と闘っていました。

それは見ることができない死をもたらすもの。

ウイルスの突然変異ペストの大流行です。

人々は突然発病するこのペストに恐れやがて辺境の地へと赴きました。

そしてようやくペストの流行が終わり、生き残った人々は神に感謝をささげるために神殿を建てるようになります。

それは標高1000m以上にそびえる山の中に。

ペストから人々を守ったのはギリシャ神話アポロ神のおかげとして、彼を祀る神殿が作られたのです。

こうして建てられたものこそバッセのアクロ・エピクリオス神殿なのです

普通は東向きに建てられる神殿はなぜかここだけ北側を向いており。

しかも神殿に使われる柱の数も通常より2本多いのです。

これはギリシャの古典様式からヘレニズム文化に移る際の過程を示したものであると言われています。

またギリシャの建築様式コリントス式としては最古の建造物であるため、ギリシャの最初の世界遺産として登録されました。

目の前に現れたのは山の中にそびえる巨大なテント。

え、、、写真では青空に輝く遺跡だったのに。

現在は修復やその遺跡を守るために巨大なテントが遺跡を覆っているのです。

、、、、しまった、こんなことだったら三脚を持ってくるんだった。

テント内は薄暗く写真が。

でもそこに存在する神殿は天にそびえるようにたくさんの柱がそびえており。

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数多くの柱が天に向かって存在しています。

もしこれが青空だったらどれだけきれいな風景だったか。

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、、、、ってちょっと待ってよ。

ここ来てみればわかるけど山脈に囲まれた山の上で。

これほどの建材が集まるとは到底思えない場所に存在しています。

しかもこれって大理石ですよね。。。

周辺には大理石が取れそうな山なんて存在しないんですけど。

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しかもたくさんのパーツで作られていますが、それぞれが巨大で。

どのように運んできたかさっぱりわかりません。

1000m以上の山に運んだという事実しかここには存在しないのです。

、、、、ここに存在するだけでも絶句なのですが。

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しかも神殿の天井部分はすべてありませんが内部はほとんど当時の形を残しており。

たくさんの柱に囲まれ、その内部の壁もしっかりと見ることができるのです。

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当時はこの内部に巨大なアポロ像が安置されていたのでしょうか。

いくら、ペストからの解放だって言ってもこれほどの建造物をこの地に建てるなんてほんと信じられない。

どれだけ権力持っていたんよ。。

それにしてもよくよく見てみると、この遺跡は修復のためのテントではなく保存のためのテントという感じですね。

一生この建物は日の光を見ることがないのかもしれないのですが。

というのもテントが土台からしっかり作られていたので。

ギリシャ初の世界遺産。

ということは世界遺産の中でもかなり早く登録された世界遺産という意味で。

実は今では貴重な歴史をもった場所が世界遺産になりますが。

昔は早く保護をしなければいけない場所がすぐに世界遺産になった経緯があり。

このままほおっておくと崩壊の危機があったという場所だったのです。

ということはここはもしかしたら山の上にあり、平地に比べて風雨が激しい場所で。

風化の危機にあったのかもしれません。

世界遺産とは後世に残さなければいけない場所。

それはどのような手段を使ってもその遺跡を保護するのが目的なのです。

それだけ緊急を要していたということなのでしょうね。

この遺跡が青空の下見れないのが残念ですが

これもしょうがないのかもしれません。

神殿の周辺にもさまざまな遺跡が残っており。

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こちらは青空のもと、その姿を残しております。

ほとんどが礎石しか残っていませんが。

それにしてもこの遺跡は本当に辺境に作られた場所で。

どの場所から見ても周りには山々に囲まれている姿が拝むことができます。

その中に少し平地になった場所にはたくさんの神殿跡が残っており。

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大量の石が転がっているのです。

当時に残っていた遺跡がもしこの世の中に存在するのであれば神の創り出した場所として言われるかもしれない。

それだけ風景と遺跡の跡が信じられない場所にあるわけですよ。

そしてこの遺跡を回っている間に気がついたのですが。

この平地って存在したのではなく作り出したってことが。

山の斜面を見ると石組が組まれており棚田のように階段状になっているのがわかります。

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これは間違いなくこの斜面を切り開いた証拠。

それだけペストが怖くて、こんな誰も近づけない場所に住もうと思ったのでしょうか。

確かに現代の世の中でも人間がバタバタと倒れはじめ、その原因が全く分からないとしたら。

私たちは誰とも触れ合わないように山の中にひっそりと住むかもしれません。

当時はそれだけ切羽詰まった状態だったことを示しているのかも。

でもよくこれだけのものを作り出したと思う方が強いですが。

何しろ人がすむような場所までは数十kmの山道を歩かない限りここにはこれませんからね。

今まで数々の山に残る遺跡を見てきましたが。

数千年前の遺跡でここまで規模が大きいのは初めてですよ。

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あまりにも辺境の地なので本日の観光客は私一人みたいですが。

交通機関もほとんどないのであまり来る人もいないのでしょうがね。

一通りの観光が終了して。

雲の流れを見てももうここには日の光が出ることがないのだと確認した後は。

街に戻ることにしました。

もちろん14kmを歩いて。

標高600m以上のところを歩いて行くのでもちろん景色は最高ですが。

なんと2回も犬に追われることになって。

ギリシャはほとんどの家庭が犬を飼っており、普通は鎖で固定されているのですが。

こんな場所に限っては放し飼いなのでなぜか追いかけられるのです。

海外で犬に追いかけられたことなんて数えきれない経験があります。

基本はこっちが犬を見つめていれば引き下がってくれますが。

たぶんこっちの方が大きいからでしょうね。

でもインドだけは別で本当にかみついてくるので狂犬病に気をつけていただきたいものですけど。

やっぱり私は犬よりも猫派です。

こうして2時間以上歩いているとようやくアンドリツェナの街に到着。

出発まで1時間以上残っていてよかったよ。

このため昼食はピタギロというナンのような記事に肉を挟んだファーストフードを食べることができました。

普段は昼間観光しているので食べることができないのですがね。

こうして宿から荷物を回収して。

バス停の前でずっと待っていました。

聞いていた時間より30分遅れてバスは到着して一路トリポリへ。

バスの中では寝そうでしたが、寝ずに頑張りましたよ。

でもトリポリに到着する前にメガロポリという街でなんとバスを乗り換えろと言われ。

しかもそっちは満員でしたがなんとか席に座ることができ。

予定より30分遅れでトリポリの街に到着しました。

早速、本日の目的地のナフプリオンのチケットを買おうと思いましたが。

すでに5時を過ぎており。

本日はないと言われてしまいました。

明日の時間を聞こうとしましたが、、、このトリポリでは宿がほとんど見つかる自信がないというか。

バスターミナルが郊外にあるのでどこに行っていいかが分からない。

このため、ナフプリオン行きではなく、コリントスというペロポネス半島からどこでもつながっている付け根の町に行くことにしました。

ここで泊まってもいいし、ナフプリオンまでのバスもあると思ったので。

ちょっと大周りになりますが。

と思ったら、乗ってきたバスに再び乗り込むことになってしまった。

どうやらメガロポリから乗ってきたバスはアテネ行きのバスだったらしく。

コリントスはその途中にありますから。

すぐにバスに乗り込んでからはすぐに寝てしまいました。

あたりは真っ暗闇になっていましたからね。

そして気がついたらコリントスに到着しており。

降りてみて気がついたのですが、、、なんとコリントスのバスターミナルも郊外にあり。

見渡す限り、暗闇でどうしていいかわからない。

近くに宿なんて一切ないし。

こうなったら本日の目的地ナフプリオンに移動するだけです。

正直目的地に着くに何時になるかわかりませんが。

ともかく、まずナフプリオン行きのバスのチケットを買ってみると。

なんと一時間待ち。

19時半出発と言われましたが、もう選択肢はそれしかないし。

一時間ゆったりと待っていました。

そしてようやくバスが到着して、早速乗り込みましたが満員。

なんとか一番後ろの席に座ることができましたが。

そのまま、音楽を聴きながらバスに揺られていましたよ。

こうしてようやくナフプリオンに到着した時には夜の8時半。

この時間から宿を探すのは少々つらいものがあります。

しかも夕食も食べていないし。

ともかく宿を探さないとどうにもならないので、一生懸命宿を探しました。

が、暗くてホテルがどこにあるか一向に判らず。

いろんな場所をめぐりましたが、冬季で開いてない宿が多く、開いていても高い宿がたくさんで。

しょうしょう困りました。

ようやく1つ30ユーロを下回る宿を見つけて。

といっても6ユーロも値切ってその値段にしたのですが。

まあ、自分の上限を下回る宿を見つけました。

ここに泊まることにします。

これ以上探してももう夜も遅いのでここに泊まることにしました。

まあ、ネットフリーというのにも引かれましたが。

そして宿も決まり、すぐに夕食を食べに行くことに。

と言っても夜も遅いのでほとんどの店はやっておらず。

レストランとかは開いているのですが、そんな値段の高い場所は食べに行くこともできず。

かなり歩きまわってようやくファーストフードを見つけて安く食べることができましたよ。

その後は宿に戻って。

日記やら、雑務やらを。

結局、本日いろいろやりすぎたために日記は書き終わりませんでしたが。

しかも明日は世界遺産観光ですので。

頑張るしかないですね。

ではまた明日です。




バッセイのアポロ・エピクリオスへのアクセス
まずは最寄りのアンドリツェナandritsenaを目指す。
ピルゴスからは6時と12時発。
トリポリからは11時45分発。
それ以外の便はないので注意すること。
アンドリツェナからバッセイまで南へ14kmあり、交通機関がないのでタクシーか徒歩になる。
基本的に行きは上りが多いために行きにタクシーを使い帰りは歩きが良い。
ちなみにピルゴスやトリポリから日帰りがほとんど不可能に近い。
このためアンドリツェナで宿泊することになるが、バス停の目の前にホテルがあるので特に問題はない。
ピルゴスの6時のバスに乗り、到着後すぐに観光をし、トリポリ行きの15時のバスに乗ることは可能。





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