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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学71--ジャンヌダルクが解放した大聖堂--
2000.12.30
 
世界遺産雑学71

--ジャンヌダルクが解放した大聖堂--

歴代のフランス皇帝が戴冠式を行なった場所
それは25代もの長きに渡る
フランスの歴史を見つめてきた大聖堂
ゴシック建築の女王と呼ばれる


ランスの大聖堂、サン・レミ修道院、トー宮殿  フランス

北フランス、シャンパーニュ地方
ここにランスの大聖堂が横たわる。

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1233年~1824年にわたる歴代の皇帝25代が皇帝になるために戴冠を行なった場所。
ここが戴冠式を行なうようになったのはフランスの起源から始まる。

フランク王国
フランスの起源とも呼ばれる
その中でフランスの創始者フランク王クローヴィスがいた。
クローヴィスはランスの大司教にある約束をした。
「戦争に勝ったらカトリックに改宗すると」
その後、戦争が終わり見事勝利を飾るとクローヴィスは496年のクリスマスにランスに再び戻り改宗をしたのである。
そして、フランク王国はカトリックの国となった。
こうして、フランスの起源を作ったこのランスの大聖堂で戴冠式を行なわれるようになる。

しかし、ランスにも戦乱が待っていた。
フランス、イギリスが争った百年戦争
お互いの領土をかけて戦ったこの戦いであったが当初イギリスがフランスの上半分を占領していた。
が、戦争にピリオドをうった女性がいる
「ジャンヌダルク」
である。
ジャンヌダルクは16歳の時に大天使ミカエルからあるお告げを聞いた
「皇太子シャルルをランスへ連れて行き戴冠させよ」と。
このため、ジャンヌダルクは戦地に赴いた
そして彼女はこの街を開放し、フランス皇帝を戴冠させたのである。
いまでは、聖堂の正面隣にジャンヌダルクの像が飾られている。

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また堂内にはいたるところにジャンヌダルクの彫刻や絵が飾られているのである。


またここはフランス、シャンパーニュ地方
言わずと知れたシャンパンの産地
実はこのシャンパーニュ地方は土地がやせており、おいしいワインが出来ない土地でもあった。
しかし、ランスは皇帝が戴冠式を行なう地。
その際、聖杯に入れられるワインは必ず土地の者を使用していた。
当時、ワインを作るのは聖職者であった。
これはイエスキリストが人々を救うためにワインとパンを与えた事にはじまり、聖職者達はこぞってワインを作ったのである。
聖職者達は皇帝にワインを気に入られるように改良を加えた。
しかし、どうしてもワインの発酵過程で炭酸が残ってしまった。
そしてコルクで閉めたガラス瓶が次々と割れてしまったのである。
また発泡したワインがあまりおいしくはなかった。

こうして、聖職者達は一人また一人とワイン作りを断念したのである。
そんな中一人の聖職者がこの問題に立ち向かった。
「ドン・ペリニョン」
である。
いわずと知れたシャンパンの有名な銘柄。
彼はシャンパンの歴史に大きくかかわった者であった。
実はドン・ペリニョン盲目の聖職者。
このため、視覚に頼らず味覚のみに特化されていたのである。
さらに時代が彼を後押しする。
産業革命の到来である。
産業革命により頑丈なガラス瓶が開発された。
ドン・ペリニョンはこのガラスを使い、発泡する難点を逆手に取ったのである。
こうして現在、世界中で飲まれるシャンパンが生まれたのであった。


ランスの大聖堂は中世ゴシック様式の最高傑作として、またフランスの起源である場所であることから1991年世界遺産が登録された。
フランスの滅びる危機を救ったジャンヌダルクの像とともに。



たぶん歴史を知らない人はジャンヌダルクって何したか知らないでしょう。
フランス滅亡の危機を救い、各地を開放してランスにて王を戴冠させた人です。
今のフランスがあるのはジャンヌダルクのおかげ。
しかし、ジャンヌダルクはその後魔女とされ火の中で処刑されました。
16歳だった少女にここまでの力があるのははおかしいと思われたためです。
戴冠した王はこの際見てみぬふりをしたそうです。
なんとも非情な出来事でした。
それだけ、歴史を持つ大聖堂です!!