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 【アルバニアの世界遺産

世界遺産「ブトリント」
2009.01.18
 
2009年1月18日    457日目


島の中に作られた都市

それは要塞化するには楽な地形でたったゆえ

ここには古代ローマの遺跡が残る


まだ眠い。

本日は5時半起きなので。

眠い目をこすりながらまずは朝食を。

本日泊まっている宿は朝食付きという宿で。

しかも、朝食の時間を指定してくれればその時間に朝食を食べれるのです。

今日はお願いをして6時に朝食と言う何とも朝早いお願いをしていたのです。

久しぶりに卵とか食べたな。

本当は食堂とかで食べたいのですが、お金がかかるのでかなり我慢をしているのですよ。

朝食を食べ終わってから、山を下りバスターミナルへ。

昨日聞いた7時に間に合うように到着しました。

しかし、待てどもバスが来る気配がない。

ここで待っていろと言われた場所にいましたが。

ようやくバスが到着したのに今度は出発しないというオチ付きで。

結局出発したのは8時でした。

こんなことならあと1時間も寝れたよ。

ほんとに時間だけはしっかりしてほしいものです。

ようやく出発して、向かうはサランダという街です。

と言っても道中のほとんどを寝ていました。

こんなに早起きするからですね。

9時45分にようやくサランダの街に到着して、早速本日の最終目的地ブトリント行きのバスを探しました。

バスターミナルと違う場所から出ていて、海側に下ったバス停でここで待てと言われ。

何時にくるんだと聞いたら10時だと言われました。

なんだもうすぐだ、これはラッキーかなと思ってバスを待っていましたが。

やはり待てども、バスが来る気配がない。

いったいアルバニアの人たちは正直に時間を答えてくれないのでしょうか。

結局ブトリント行きのバスが到着したのは11時でした。

これだったらさらにギロカストラの出発を1時間遅らせたのに。

ともかくブトリントに到着することができました。

って、目の前が川でここで道路が途切れているのですが。

そして横には入場口が。

こここそが世界遺産「ブトリント」なのです。

時は紀元前6世紀古代ギリシャの時代。

ここは古代ギリシャの植民地都市でした。

そしてここには面白い地形が存在したのです。

それは小さな島の周りに一方は大海原の海、一方は川の幅ぐらい海でその先が草原。

一部島に近い場所も存在しました。

海にもつながっており、陸からも近く、さらに敵から攻めにくいという立地条件があったのです。

この地形に古代ギリシャの人たちは目をつけ。

ここに都市を建設しはじめました。

丘の上にはイオニア式の神殿を、丘の下には劇場を

さらに近くの草原に橋をかけたり、近くから水道橋を引いたりと。

そしてここは十数世紀にわたりここは大小さまざまな興亡繰り返しながら都市として存在し続けたのです。

このためビザンツ帝国の教会も残されています。

こうして現在はほとんど廃墟と化していますが、当時の都市の遺構が今でも残り、当時の姿を今に残すブトリントは世界遺産に登録されました。

早速中に入ると、まず迎えてくれるのが小さな塔のような建物が。

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内部に入るというか近くに行くことができないので建物の内部に行くことはできません。

塔の周りには住居らしき礎石が残っておりその内部には水がたまっており全く近づけないんですよ。

近くには川というか海というかたぶん両者が存在しているためにそれより低地は水がたまってしまうんでしょうね。

礎石の周りはほとんどが森の状態になっており。

木々の中を進んでいくと今度は巨大な広場というか礎石が大量に残っている場所に到着します。

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奥には劇場が存在し、周りには様々な施設があったと思われる状態の礎石で。

上には山の頂上がありそこから人々が監視したであろう展望台のような場所があります。

現在では遺跡の監視員が悪さをしないように見張っているようになっていますが。

早速この遺跡を回ろうとすると下には水が。

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あれ、雨でこの遺跡回れないのかなと思いましたが。

よくよく見ればほとんどが水に沈んでいる状態なのです。

地面はすべて水で沈んでおり。

礎石を辿って進むしかないのかも。

と思いましたが、よくよく見てみれば大周りしたら内部に入れるようになっており。

橋などがかかっていて、そこを進むと劇場へとたどり着くようになっていました。

進んでみるとびっくり。

なんと劇場のほとんどが水に埋まっているのです。

残っているのは観客席のみ。

劇場の踊る場所はすべて水で埋まっているために新たに木で舞台を作ってあり。

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そこはまるで水上の劇場。

もともとはしっかりとした劇場だったのでしょうが、長年の雨水でここは水に沈んでしまったのですね。

水はけが悪いのか、水面より下だったのかはちょっと判断が付きませんが。

それにしてもこの部分は古代ギリシャに建てられた建物なのかもしれません。

劇場などはその時代に建てられたものが多いですが。

気になるのは周りの遺跡。

いったい何に使用したかさっぱりわかりませんが数々の部屋があったことがわかります。

その中でも唯一使用目的が分かったものこそ。

お風呂です。

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お風呂は二重の床が敷き詰められており、熱いお湯を感じないように二重になっているのです。

このお風呂は礎石からでも二重になっている部分がわかり水が敷き詰められていますから。

でも礎石から想像する限りではここにお風呂だったとわかる要因が少ないのかも。

何しろお風呂の上部はかなりの高さがあり。

それは劇場部分よりも高い位置にあるのですよね。

もしこのまま水を流したらこの遺跡全部沈んでしまうのではと疑ってしまいたくなるぐらい。

きっとここにはそれを解決するぐらいの灌漑設備があったのではないでしょうか。

この遺跡をさらに進むと数か所の遺跡に遭遇します。

円形の遺跡で内部はもちろん十数本の柱が残っている遺跡。

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教会の遺跡で、周りにはたぶん修道院が残っていたと思われる礎石。

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巨大な教会が建っていたと思われる壁の跡など。

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しかしびっくりするのが建築様式などが全く一致しないこと。

これはかなりの年代が違ったことを証明します。

古代ギリシャの円形の建物は紀元前5世紀ぐらいの話ですし。

キリスト教が普及したのは紀元後の話ですから4世紀ぐらいに建てられた建物でしょうか。

しかもこの柱や壁まで残っている教会はその巨大さやその建築構造からしたら10世紀ぐらいの建物で

これを見る限りここは様々な支配者や様々な文明に支配されながらも重要な拠点だったことがうかがえるのです。

千年以上ここには様々な建物が作られ、さまざまな人たちが住んだ証が残っているのです。

すべて礎石なのが残念なことですが。

ただし、島の反対側に行ってみると城壁が存在してびっくりします。

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城壁にびっくりしたわけではなく、なぜその方向にあるのかということが。

現在ブトリントは陸伝いになっていますし、その方面には一切の城壁がないのに。

湾のようになっている場所に自分の身長の数倍する城壁が築かれているのです。

これは当時その場所が一番陸地に近かったという意味を示しているのかも。

そうするとこのブトリントは当時完全な島として存在していたという証明ですね。

現在は海流のせいで今の場所に土砂がたまり陸から普通に行けるようになってしまったのでしょうね。

ただ面白いのがブトリントの遺跡を挟んだ川の対岸にも当時の遺跡が残っていること。

城壁や礎石などいろんなものが残っています。

やはりそれはいろんな時代の遺跡であり、当時どのような風景だったかを明かす証明になっています。

古代にはやはりここは島であって生活用水のために水道橋を作ってあったり、敵が攻めてこないように一部分しか橋がかかってなかったりと。

今ではさっぱりその姿が想像できませんが、遺跡のいたるところに当時の状況を示す説明書きが存在しますし。

それを見ていると当時の状況がわかってくるようです。

こうして島の周りをまわった後は島の頂上へと向かいました。

島の頂上には想像以上にきれいな要塞が残っており。

要塞というか教会のような趣がありますが。

中庭が存在し、ここは誰も近づかない、近づけないという面影のある場所。

レンガ造りできれいな塔が建っていますが、目につくのはそこに咲いている花の数々。

小さい花ながらも目の前にある塔に負けてないのですよ。

この頂上にある遺跡は結構新しいというか昔からあった状態に残っていないような気がしますね。

かなり新しい感じがありますから。

それにしてもやはりここは島だった面影が大きいですね。

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さまざまな遺跡が島に沿って建てられているのですから。

半分は城壁に囲まれているといってもいいですし。

ほとんどが礎石になって崩れていますが。

このブトリントは来てみないとどのような場所か説明しにくいかもしれません。

たぶん写真をみてすべての構造を分かった人はすごいと言わざるをえないぐらい。

結構複雑な形をしているのです。

それだけ長年住んだ跡が存在し、歴史に翻弄されることなく存在した場所なのでしょうね。

ぜひここは来てみてその全景を見てもらいたいものです。

観光が終わってというか体調が悪いので一通り見て終了しました。

何でこんなに悪くなっているんだよ。

ともかくサランダ行きのバスが到着していたので、そのバスに乗り込むことに。

そして深い眠りへと。

気がついた時には既に出発していて。

どうせまだ到着しないからと再び睡眠。

起きた時にはサランダに到着していました。

しかし、ここからが事件勃発。

なんとバスターミナルに到着してみるとバスが一台も存在せず。

普通だったら一台ぐらいは待っているはずなんだけど。

近くの人に聞いてみると。

、、、、本日のバスは終了したって言うではないですか。

まだ3時半ですよ。

ちょっとまじですかい。

いや、ガイドブックにもまだこの時間はバスがあるはずと思ってよく聞いてみると。

本日日曜日だから便が減っているんだよだって。

、、、、確かに本日日曜日だ。。。

これは確認しなかった俺のミスだよ。

完全にあるもんだと思って到着した時に確認しなかったからな。

兎にも角にも選択肢は2つ。

このままサランダに泊まって明日の朝ギロカストラに戻るかタクシーでギロカストロに戻るの選択しかない。

ちょっとの間街の中でこの選択肢について悩み。

まずはタクシーの値段を交渉してみることに。

ちなみに70km離れていますから、相当な値段するでしょうし。

日本だったら2万円ぐらいするよね。。

交渉の結果、30ユーロ(約3600円)。

、、、、これだったらサランダに宿泊した方が微妙に安くなるでしょう。

でも、現在の持ち物ってカメラと傘だけだよ?

すべての荷物はギロカストラの宿においてきているから。

泊まってもこの暇な時間何していろと。

写真の整理もできなければ日記の整理もできない。

時間の効率を考えるとやはりタクシーで帰った方がいい気がしたので。

タクシーで帰ることにしました。

まあ、こればっかりはしょうがないと思って。

でも交渉はなぜかユーロなんだよね。

この国のお金で交渉しないのは不思議です。

ちなみにアルバニアレケだとなぜか値上がりするので確実にユーロで払ったほうがお得なんです。

なぜでしょう。

ともかくタクシーの運ちゃんと仲良くドライブです。

ちなみにこの運ちゃんは日本語を少し勉強しているみたいで。

前に乗せた日本人から日本語を教えてもらいメモしてあってそれで話してくれました。

定型文だけね。

どこへ行きますかとかどのぐらいかかりますかとか。

と言うことで日本語レッスンが始まりました。

Sorryは日本語でなんて言うかとかね。

ただしいろいろ教えていて改めて日本語の難しさがわかった。

Pleaseって何って聞かれたときにこたえられなかった。

だって直訳したらくださいになりますけど、これそのまま使うとgive meの意味になってしまうから。

~をしてくださいとかいっても分かってもらえないだけだし。

これは日本語ではいろんな意味になるからわからないといってごまかしておきましたけど。

あと、途中の風景で真っ青な湖も見れて。

これはあらかじめ運ちゃんが言ってくれなかったらわからなかったな。

ただもう薄暗かったので写真は撮れませんでしたけど。

こうしてギロカストラに戻ってきました。

すぐに夕飯を買い込み、宿に戻り。

後はひたすら写真の整理と日記を書いていましたね。

あとmp3プレーヤーの使い方を。

音楽は聴けるのですが、動画がいまいち見れないのでそれを調べていたのです。

まあ、勝手にいじっていたら動画が見れましたけど。

それにしても本日は移動でいろいろあってつかれてしまいましたね。

明日は首都ティラナへ移動します。

一泊してからマケドニアですけど。




ブトリントへのアクセス
アルバニアのティラナ・ギロカストラからサランダ行きのバスに乗り終点下車
サランダのバスターミナルからは海方向に歩き突き当りにバス停があるのでそこからブトリント行きのバスがある。
ただし一日数便なので気をつけること。
サラナダ11時発ブトリント14時半発が便利
ギロカストラからは日帰りが可能。ただし日曜日は便が減るので日帰りできない。



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