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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学74--星の光が降り注ぐ場所--
2000.12.30
 
世界遺産雑学74

--星の光が降り注ぐ場所--

真の巡礼者
かつてここを目指すものはこう呼ばれた
エルサレム、ヴァチカンに次ぐキリスト教第3の聖地
人々はここを目指して歩いたのである


サンティアゴ・デ・コンポステーラ  スペイン

イベリア半島北西端。
ここにキリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラがある。

伝説は語る。
この地は昔から星の光が降り注ぐ場所として知られた場所であった。
そして9世紀、この地で一人の遺体が発見された。
それは、首の無い遺体。
しかし、この遺体にキリスト教はある認定をする。
聖職者の遺体であると。

聖ペテロ、聖アンデレ、聖大ヤコブ、聖ヨハネ、聖ピリポ、聖バルトロマイ、聖トマス、聖マタイ、聖小ヤコブ、聖タダイ、聖シモン、ユダ
彼らは全員キリストの最初の弟子
キリストの十二使徒である。
彼らはキリストが亡くなった後にヨーロッパ各国でキリスト教の布教を行なった。
有名なのが聖ペテロ
最初のキリスト教皇となった人物。
しかし、彼らに待っていたのは処刑であった。
なぜならば、キリスト教が根付いた時期ではなく、キリスト教もまた新興宗教の一つであったからである。
このため、人類みな平等を唱えるキリスト教は権力を持った人に対して、邪魔な存在であったため。
聖ペテロもローマの街で逆さ磔により殉職したのである。

伝説ではこの中で聖大ヤコブもエルサレムにて処刑されている。
しかし、十二使徒の中で一人だけ違った殺され方をした。
首をばっさり切られたこと。
このため、スペインで見つかった首の無い遺体は聖ヤコブのものと認定されたのである。
こうして、スペインに新しい聖地が誕生する事となった。
そして、遺体が見つかった場所に聖堂が建てられると一気に修道士達が住み始め、街が出来上がり、巡礼者が膨れ上がったのである。
街の名前は聖ヤコブ(スペイン名:サンティアゴ)の墓(ラテン語:コンポストウム)と名づけられた。
その後発展を遂げるのである。

しかし、サンティアゴ・デ・コンポステーラには大きな歴史の動乱が待っていた。
実は、中世の時代スペインはイスラム教の領土であったことである。
コンポステーラは10世紀にはイスラム軍に占領されて徹底的に破壊された。
が、ここでヨーロッパに大きな歴史の流れが生まれる。
「レコンキスタ」
日本語に直すと国土回復運動である。
イベリア半島からイスラム教を取り戻す運動。
8世紀に始まり、イベリア半島全域を取り戻すに1492年まで行なわれた戦争であった。
こうして、サンティアゴ・デ・コンポステーラもキリスト教に解放されたのである。
このため、徹底的に破壊された街が瞬く間に再建の道を歩む。
街には7つの門が作られ、堅固な要塞が建てられた。
その中心にはサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂が横たわる。
すべては聖ヤコブへの信仰心で建てられた巨大建築。
それは現代においても巡礼の対象となっているのである。

こうして、サンティアゴ・デ・コンポステーラはヨーロッパから巡礼者が訪れる場所となった。
12世紀には毎日1000人以上を数えるほどまで膨れ上がったのである。
人々は
「聖ヤコブの霊廟を巡礼すれば、すべての罪は許され、天国にいける」
と信じたのである。
そして、巡礼者たちはフランスからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道を作り上げ、そこをたどって巡礼したのであった。
まさしく、聖ヤコブはキリスト教の光となったのである。



このサンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教の信仰の場所として、またロマネスク、チュリゲラ、バロックの傑作として1985年世界遺産に登録された。
まさしく黄金に輝く傑作(オブラ・ドウロ)とたたえられたのである。





今回はキリスト教の聖地の紹介でした。
ここまで書けば、次回の世界遺産雑学は何処を書くのか分かるでしょう。
このサンティアゴ・デ・コンポステーラと対を成した世界遺産です。
ちょびっと触れていますが。。
と同時に、特殊な世界遺産でもあります。
ぜひ、次回を楽しみにしていてください。