TOP > ひさほゆうのリアルタイム世界遺産旅行ブログ

カテゴリー
ひさほゆうが独自の視点で世界遺産を解説!
最新コメント

 【クロアチアの世界遺産

世界遺産「ドゥブロヴニク旧市街」
2009.02.08
 
2009年2月8日    478日目


アドリア海の真珠

そう称えられている場所はまさしく光り輝く場所だった

それは中世から残る交易都市


目覚ましの音で目が覚めました。

朝食が8時だからそれに合わせて起きるように。

このため早速朝食をと思って食堂に行ってみたら。

なんと朝食の料金払ってないよいって言われた。

確かに昨日朝食はどうするかと聞かれて1日だけと答えたが。

それを勘違いされていらないと思われていたのかも。

あわててフロントにいったら昨日の段階でしか変更できないといわれてしまった。

あれ、朝食抜きですか。。。

まあどこかで買うとしましょうか。

さてまだ日が完全に出ていないので、少し宿で時間をつぶしてから出発しました。

向かったのは山です。

実は日の光の関係上、午前中は山側からの風景が逆光にならずに済むので。

ひたすら山に向けて歩いて行きました。

すると視界の開けた場所に到着。

そこから見る風景はまるで小説の中の世界が広がっていたのです。

こここそ世界遺産「ドゥブロヴニク旧市街」なのです。

アドリア海の真珠

そう謳われてきたドゥブロクニクは8世紀に街の建設が始まりました。

そんな中ここはバルカン半島でしかもアドリア海に面していることから様々な列強に脅かされてきたのです。

こうして現代まで様々な支配を受けてきました。

ビザンティン帝国、ヴェネツィア、ハンガリー、オスマン帝国と当時の強国に支配され続けてきたのです。

しかしドゥブロヴニクは列強の支配の中でも独自の自治権を認めさせ、この地で繁栄をもたらしていったのです。

それはこの地が交易にとって重要な位置であったため、交易のお金で資金は問題がなかったのです。

こうして16世紀まで増改築を繰り返し、現在のドゥブロヴニクの形となったのです。

しかも海上交易の施設として城壁に直結する港や造船所も作られました。

ここはまさしく海のための町だったのです。

しかしここでは大きな歴史が待っていました。

20世紀にはじまったクロアチア独立戦争です。

当時この地を併合していたユーゴスラビアはここに軍隊を派遣し、泥沼化した迎撃戦へとなったのです

こうして堅固な要塞を持つドゥブロヴニクの街はクロアチア人がそこで応戦し、城壁や街い2000発以上の砲弾が降り注いでしまったのです。

これにより街は壊滅的に破壊されてしまいました。

このためドゥブロヴニクは危機にさらされている世界遺産として、戦争が終わったと同時に修復が始まったのです。

こうして活動が現在ドゥブロヴニクが昔の街並みを今に戻すことができました。

こんな歴史を持つドゥブロヴニクの街は世界中でも港湾都市として理想的な形をしており、アドリア海の中でも重要な都市のひとつであったことから世界遺産に登録されたのです。

 title=""alt=""

海に出っ張っている城壁

それは光り輝く青い海とレンガ色の町。

それを堅牢な要塞が分けているという今まで見たこともない風景なのです。

海からはすぐに急な山が広がり、少しの平地に隙間なく街を作ったという印象。

海は今まで見たことのある海とは違い、その濃い青と透き通った青が重なるように輝いています。

それと街の屋根のレンガの色がすごい会うのですよ。

意外な組み合わせですが、見ていて素晴らしいコントラスを見せています。

本日晴れでほんとによかった。

 title=""alt=""

海がより一層輝いて見えますからね。

それにしてもこんなきれいな場所で十数年前は戦争が起きていたなんて信じられないです。

人々が争った歴史がこの国にはありますから。

日本では考えられない歴史を歩んだ街。

なんか悲しい限りですが。

さてこの風景を堪能した後は再び違う場所から風景を見るために山登りです。

今度は本格的な山登りで、ドゥブロヴニクの街の目の前にある山をひたすら登って行きました。

最初は森があったのですが、次第に岩肌だけになりアドリア海を一望できるようになります。

水平線の先にはイタリアがあるなんて信じられませんが。

もう日本からこんなところまで来たんだというのを改めて実感いたしました。

こうして登っていくと中腹あたりからドゥブロヴニクの街が一望できるようになります。

しかもほんとに上からのぞいているといった感じで。

先ほどの景色とはまた違った景色なのです。

 title=""alt=""

まるで海に浮かんでいる町が陸に流れ着いたという感じの趣もあり。

今度は上から眺めているので海はどちらかというと暗い青といった色をしており。

街が完全に城壁に守られているのを一望できるのが特徴です。

街の形もここから見れば一目瞭然。

ほんとにドゥブロヴニクの街から山がそびえているのでここから見る風景も今まで見たことのない風景です。

もうこれだけでもドゥブロヴニクの素晴らしさがわかる感じですよ。

ただしあまりにもこの山急で登るのも大変ですが。

中腹までこればドゥブロヴニクを一望できますので一番上まで登らなくて済むというのもありますが。

見るのもあまり急なので転がって落ちてしまいそうで怖いという点もありますけど。

さて遠くからの風景を見終わったので今度はドゥブロヴニクの旧市街の中に入ることにしました。

まずは山を降りて、海の方角へひたすら歩いて行きました。

するとある程度降りたところで城壁が見えてくるではないですか。

ってまだ海までかなりの高さがあるのですが。

そうなんです、遠くから見ると平地になっているように見えるのですが。

実際ドゥブロヴニク旧市街は少しの平地と斜面になっているために。

城壁も結構な高低差で築かれているのです。

今まで日本にいるときにドゥブロヴニクの写真をよく見ましたが。

遠くからの風景しかなく、実際内部や地形がどのようになっていたのかなんて知らなかったので。

これは結構びっくりしました。

またこの城壁があまりにも堅牢でびっくり。

下から見上げると高層ビル7階ぐらいありそうです。

一番高いところは高さ25mもあるのですから聞いただけでもものすごい高く感じますよね。

実際、城壁から街に入る場合城壁の周りにはお堀みたく削られていて橋を渡らないと入れないようになっています。

ほんとに城壁としては完璧な構造をもった場所なんだということを思い知らされました。

早速ブジャ門という場所から内部に入ってみるとそこは細い路地に高い住宅が建てられていて。

 title=""alt=""

目の前はいきなり階段になっていて下るようになっていました。

ドゥブロヴニクがこんなに高低差があるなんて遠くから見ただけではわかりませんし。

日本で見た写真はそんな感じは一切なかったので。

これは驚くべきことでしたね。

そしてその高低差にあわせるように城壁が築かれており。

街の広さもかなり大きいものがあります。

もっとこじんまりとした街だと思っていましたから印象がガラッと変わりましたよ。

しかも中心部に行くとなんとドゥブロヴニクを東西に分ける巨大な通りも存在しました。

 title=""alt=""

旧市街の中にこれだけの巨大な通りがあるというのも今まで見たことがなくてかなりの驚きです。

この通りには様々な商店が存在し、また教会や政治の場などもこの周囲に築かれています。

何より一番奥には時計塔が設置されており、人々へ時を刻んでいったのです。

さてまず最初に城壁に登り街を一望することにしました。

このドゥブロヴニクの城壁は上から一周できるようになっているのです。

早速城壁に登ってみるとドゥブロヴニクの街の屋根が見えレンガ色の平原といった趣があります。

 title=""alt=""

城壁に囲まれている部分もしっかりわかり、その中だけは通りとかも小さいために屋根が埋め尽くされているという印象なのです。

所々教会の塔が塔がそびえており上からだとその位置が把握できますね。


 title=""alt=""

こうして城壁の周りをまわっていると海側の城壁がもう海目の前の岩壁の上に築かれているのがわかりますよ。

というか何でこんなぎりぎりまで寄せて城壁を築いたのか。

何しろ城壁から落ちたらそのまま海に転落という近さ。

 title=""alt=""

、、、まあこの方が攻められないというのもありますが、ここに建設するのには大きな労働力が必要になったのではないでしょうか。

城壁は港の上にも存在していて。

 title=""alt=""

ドゥブロヴニクはどこから攻められても陥落しないようにできているのです。

海からは崖の上に城壁、陸からはお堀を作ってその横の城壁と。

まさしく、地形的な条件がなくてもここを難攻不落の街へと変貌させたのでした。

いやはや、やはりここは来てみて初めてドゥブロヴニクの魅力がわかるというか。

今まで日本での写真の印象とは全く違った場所にびっくりです。

アドリア海の真珠というかアドリア海の要塞といったイメージのほうが強いですよ。

しかもドゥブロヴニクは巨大な街で城壁一周するのにも1時間かかりましたから。

さてそのあとは旧市街の中を散策していました。

旧市街の中には多数の教会や修道院が存在します。

 title=""alt=""

ただし冬季だったのでほとんどの施設は閉まっていました。

唯一ドミニコ会修道院は中に入ることができ、その中庭を拝見することができましたよ。

中庭ですから周りに薄暗い回廊が一周しており、その中は外に開けており様々な植物を植えてありました。

 title=""alt=""

中心には井戸が設置してあり、ここで生活用水を確保していたのでしょうか。

、、、、海の近くで井戸?

はたして真水が出てくるのでしょうか?

こればっかりはよくわかりません。

このほかにも宮殿や屋敷は内部を見ることができました。

スポンザ宮殿はもともと宮殿と呼びながら当時の財を保管していた場所。

このため内部には装飾がほとんどなく殺風景な感じです。

しかし建物の外側は時計塔の隣にあるために時計塔とセットで見るとほんとに宮殿といった趣があります。

 title=""alt=""

下には柱で支えられた日差しよけの部分が存在し、上部の窓枠なども当時の建築様式で作られているのです。

本日曇りだったのでもし晴れていればもっときれいに見えたのではないでしょうか。

このほかにもこの地をおさめていた総督の住居も入ることができました。

総督邸は外部からしてまさしくここのトップの住居といった感じ。

 title=""alt=""

何しろ周りの建物に比べるとその装飾の度合いが全く違うのですから。

先ほどのスポンザ宮殿といい勝負といった感じです。

内部も議会として使用していたために複雑な構造をしています。

中二階があったり、半地下があったりと。

中央の階段から登るとそこは総督が住み、公務を行った場所がそのまま展示されています。

当時の家具や公務に使った机やペンなども展示してあって見応えがありますよ。

壁には肖像画や趣味の絵などが掲げられたりして。

、、、、女性が上半身裸の絵が多いのはなぜでしょうかね。。

この総督邸は当時のトップの暮らしが見えるところなので面白かったです。

さて一通り内部に入れる施設の観光が終わった後は旧市街をうろついてました。

基本的には道は狭く住居は3階建て以上なので、道は晴れていても薄暗いのです。

なぜこのような街を建てたのか。

きっと城壁の内部に人が住むにはたくさんの人を住ませなければ街を守れなかったのかもしれないですね。

人数が多くなるということはおのずと通りは狭くなって高層建築になったのかも。

しかも結構迷路のような感じなので。

夜とかに歩いたら少し怖いかもしれません。

昼間に歩く分には中世の世界にタイムスリップしたかの様でかなり面白いですが。

こうして観光が終了してからは、旧市街にあるインターネットカフェに行ってました。

昨日の場所はやっぱり高くて。

そこよりも安い場所を見つけたのですが、それでも高いですけど。

とりあえず情報を調べたかったのでインターネットをやることに。

去年登録された世界遺産の名前を調べてどうやって行くかを検討しようかと。

ボスニアにもクロアチアにも最近登録された世界遺産があり。

ガイドブックに載っていないような場所だったので。

ネットでどこだかを調べていたのですよ。

ようやく調べ終わったので残りの時間は適当に。

ネットが終わったらそのまま宿に戻りました。

途中で食料品の買い出しをしようと思いましたけど。

本日は日曜日。

びっくりするほどすべての商店が閉まっているのです

おかげで何も買えず。

レストランは普通に開いていたのでそこで夕食を食べてすごすごと宿に帰りました。

そして宿で日記を書いていると、同じ宿に泊まっている人が戻ってきて。

なんと日本人でした

このため結構話し込んでしまいましたよ。

大学の休みで旅行をしているみたいです。

もう学生のシーズンになってきたのですね。

バルカン半島でほとんど日本人に会わなかったのにここで出会ったのも学生シーズンになったからなのかもしれません。

これからも日本人に会えるとうれしいな。

まあ、日本人にあったら日記が進まなくなるのはお約束なのですけど。

こうして話していると夜遅くになってしまい。

そのまま就寝です。

明日は珍しく移動&観光という感じになりそうですよ。




ドゥブロヴニクへのアクセス
クロアチアのザグレブ・スプリット、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ・モスタル、モンテネグロのコトルからバスの便がある。
スプリットからが一番バスの便が多い。
ドゥブロヴニクのバスターミナルからは1A、1Bのバスに乗り終点下車で旧市街の目の前に到着する。


もしよろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ
世界遺産のことを皆に知ってもらう為によろしくお願いします。