TOP > ひさほゆうのリアルタイム世界遺産旅行ブログ

カテゴリー
ひさほゆうが独自の視点で世界遺産を解説!
最新コメント

 【ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産

世界遺産「モスタル旧市街の古橋地区」
2009.02.09
 
2009年2月9日    479日目


小さな川に架かる小さな橋

それは内戦という暗い過去を経験した橋

同じ場所に住む友人同士が戦った悲しい場所


本日は早起きです。

同じ宿に泊まっていた日本人の方が7時発というので。

私の出発は8時でしたから一時間ぐらい早めに出てもたいした問題ではないから。

一緒に起きて一緒にバスターミナルへ向かいました。

まあ、バス停が見つからずというか一方通行が多くてどこで乗ったらいいかわからなかったので。

バスターミナルまで歩いていくことに。

2、3km離れているのでかなり疲れると思っていましたが。

なんか普通に歩けてしまってびっくりです。

一週間も休んだのにまだ体力残っているんだって感じですよ。

さてバスターミナルに到着してからはまずもう一人の日本人を見送って。

ひたすらバスが出発するのを待っていました。

それにしてもクロアチアというかバルカン半島って冬でも寒くないんですね。

ここって北海道と同じ緯度なんですけど、氷点下にならないですし。

朝で9℃もありますから。

日本の2月ってかなり寒いイメージありましたけど。

バルカン半島は外に出てても肌寒いという印象しか持たないというのにもびっくりです。

こうしてサラエボ行きのバスが到着してそのバスに乗り込みました。

本日の目的地モスタルはサラエボ行きの途中にあるので。

後はひたすら到着まで待っていました。

途中まではアドリア海にそってすすむためにかなり景色はいいですけど。

これは魔女の宅急便や紅の豚の風景そのままなので感動ですよ。

紅の豚で出てくる空飛んでいる風景がそのまま見えるのですから。

こうしてアドリア海を進んでいると急にバスは止まりパスポートチェックが始まりました。

実はボスニア・ヘルツェゴビナって内陸国のような感じですけど実際には10kmほどアドリア海と接しているんです。

要するにクロアチアの国は分断されているという意味なんですが。

ここだけはとりあえず出国しているためにパスポートチェックが必要になるのです。

日本では考えられない経験ですけど。

そして10kmの中には港も街も存在して。

少々ここがボスニアだってことが信じられないのですよね。

バスに乗りっぱなしなので実感はないですが、ここはクロアチアと別の通貨が使われているなんて。

ドゥブロヴニクから国内バスにのっても通貨が違う場所を通るという事実が。

こうしてこの街を過ぎてからはやっぱりクロアチアに戻るためにパスポートチェックが始まりました。

ここだけは完全にパスポートのチェックだけですけど。

こうして再びクロアチアに戻りましたが、目的地がボスニアなのですぐに国境にたどり着いて。

出国審査と入国審査が始まりました。

ただここの国境は一味違う。

というか今までにない場所です。

普通国境って出国と入国のゲートは数百メートルは離れているものですが。

いままで回ってきている国では完全にそうでした。

しかしこの国境は出国ゲートも入国ゲートも同じ場所にある。

まずはクロアチアのゲートをくぐってバスは止まり。

クロアチアの係員が来てパスポートチェック。

出国スタンプすら押さずに終了して、そのまま待っていると今度はボスニアの入国審査官がバスに乗ってきた。

今までは出国と入国では少しの距離を移動するので停まったままで出入国審査を受けるのは初めてですよ。

というか一番びっくりしたのは入国も出国もスタンプが押されなかったこと。

、、、、俺クロアチアの入国もスタンプ押されてないし出国も押されなかったから入国した事実は残ってないし。

ボスニアも入国でスタンプが押されなかったのでパスポート上はいまだにモンテネグロにいることになっていますが。

こんな経験は初めてなので少々びっくりしましたよ。

こうしてボスニア・ヘルツェゴビナへ入国してから1時間でモスタルへ到着しました。

すぐさま宿さがし。

昨日のインターネットでホテルの名前と住所は控えておいたので。

たまたまガイドブックのその住所の通りが載っていたためにそこに向かいましたよ。

看板とかなくてちょっと焦りましたが。

なんとか宿が見つかってそのままチェックイン

かなりいい宿だったのちょっと感動。

しかも安いしね。

ただこの宿でゆっくりしているわけにもいかないですから。

早速観光することにしました。

ここは世界遺産「モスタル旧市街の古橋」がある場所。

実はこの世界遺産は特殊な世界遺産に分類される場所なのです。

というのも世界遺産の登録基準としてはありえない基準を満たしている世界遺産。

文化遺産の登録基準6番の各国の重要な信仰や心のよりどころある場所という登録基準だけの世界遺産です。

実際に6番だけの世界遺産の登録は禁止されています。

基本的に世界遺産に登録される場合、それ以外の条件とともに6番の登録基準も含んで世界遺産になる場合があるのですが。

しかしここをどうしても守らなければいけないという場合のみ6番だけで世界遺産になるのです。

ちなみにこういった世界遺産は日本にも存在します。

広島にある原爆ドーム。

世界でも原子力爆弾が落とされた唯一の場所として、それがいかに人類にとって最悪な兵器かを示すために登録された世界遺産。

同様にこのモスタルも原爆ドーム同様に悲しい過去を持っています。

それはボスニア・ヘルツェゴビナ内戦。

1992年から始まった戦争であり、この地に住む3つの民族が分かれた戦った争い。

この戦争によりモスタルの人々は友達と闘わなければならなかったのです。

しかもここは内戦の中でも激戦地となったのです。

人々が川を挟み、銃を撃ち続け。

そしてここに架かる橋をも爆弾によって破壊しつくしたのです。

同じ国の人々を殺しあった悲しい内戦。

現在はその内戦が終わりモスタルの橋も修復されました。

オスマン帝国時代に作られた橋がこのような悲劇の場所になるなんて誰が思ったのでしょうか。

こうしてこのような内戦を忘れないためにも、その後の修復で国際協力が迅速に成され橋が復活したこと、そして平和を忘れないためにこのモスタルに架かる橋が世界遺産に登録されたのです。

まずは川に向かって歩きはじめましたが

川に到着しても橋が見つからない。

近くに地図が置いてあってよく見てみるとだいぶ下流の方にあることがわかり。

すぐに歩いて行くとようやく小さな橋にたどり着きました。

 alt=""title=""

ここが内戦の歴史の舞台。

しかもここが爆発により崩壊した映像が今でも残っているというのだから驚きです。

その時の映像を一度見たことがあるのですが。

完全に橋は破壊しつくされていたのに。

現在では昔ながらの橋が復元されているのです。

確かにちょっと新しい感じはありますが。

橋の傾斜も意外にあるのが驚きです。

 alt=""title=""

何より驚いたのが川が意外にせまいこと。

写真で見ていたので、現物で見るとこれほど小さいのかとびっくりしましたよ。

それにしても川って意外に流れが速くて。

ここで年に一度飛び込み大会があるらしいですが、これほど川の流れが速いと溺れてしまわないか心配ですね。

それにしても橋はほとんど新品状態になっているので実感が湧きませんが。

ここで毎日銃弾とか鳴り響いていたのですよね。

今は平和そのものですけど。

周りの商店も石づくりで昔ながらの風景を残しています。

 alt=""title=""

ここもすべて修復されたのでしょうか。

 alt=""title=""

しかしよくよく見てみると少し離れた建物には壁に無数の小さな穴が存在し。

これこそ銃弾の跡。

 alt=""title=""

一見するとただの壊れた建物ですが、壊れ方があまりにも不自然でそこにはたくさんの穴が。

見るからに恐ろしい風景です。

一つ一つが人が殺せるほどの殺傷能力があるなんて。

しかもここは戦争が終わったとはいえ街の人たちや友人同士が戦ったのです。

それは誰が誰を殺したと今でもわかるという悲しさにあります。

私たちが知ることのできない辛い過去があるのですよ。

それにしても良くここまで復元したものです。

内戦終了時には橋は完全になくなっていましたし、旧市街もほとんど壊滅的だったのに。

今ではそんなそぶりすら見せないほどきれいな街並みとなっています。

ここを直したのも自国だけでは無理なので国際的な援助があってこその修復。

その好例として世界遺産に登録されたんですから。

ある意味この風景が素晴らしいのだと思います。

さて続いては橋の周りをめぐっていろんな角度から橋を見ることにしました。

昔の街並みだけあってかなり複雑に入り組んだ道なので。

なかなか視界が開けていて橋が見える場所を探すには大変でしたが。

川の下から橋を見渡せるところもあり。

 alt=""title=""

ここから見るとより一層橋の形がわかります。

橋のアーチはまるでモスクの入り口を思わせる形をしており、橋は平らではなく中心が一番高く、それに伴い両岸が一番低いといった構造。

両側には橋を守るかの様に巨大な建物が存在します。

 alt=""title=""

川の色は翡翠色をしており、なんか独特な色合いとなっていますよね。

川の流れが速いためかひっきりなしに水のせせらぎが聞こえてくるのも特徴。

ここはじっくり見ていたい場所の一つになってしまいました。

 alt=""title=""

まあ、こんな急な川によくこれだけの橋を建てられたものだと。

当時のオスマン帝国の技術力の素晴らしさを実感してしまいます。

当時はクレーンとかもなかっただろうし。

今の人がこれほどのものを作れと言われたもきっと作れないかもしれないですね。

そういえば、この橋を境に住んでいる民族が違ったんでしたっけ。

ボスニア・ヘルツェゴビナはいまだに多民族国家であり、人種問題が解決していないのです。

そのために街に区画を作り、人種ごとに住む場所を決めたのです。

モスタルの場合、橋から東側がムスリム人、西側がクロアチア人という感じで。

いつかその分け目なく暮らせる日が来ることを祈るだけです。

こういう過去を聞くと日本人でほんとによかったと思います。

でも日本も私が生まれる前に同じようなことをしたのですが。

平和な世の中に生まれて、そしてほんとに世界を回れるだけのお金を稼げる国でほんと幸せです。

この世界遺産を見るとこうした思いを抱く。

その思いこそここモスタルが世界遺産に登録された要因なのかもしれません。

このモスタルの橋はこれからも平和への願いという意思をこの世の中に示し続けるのです。

さてこれにて本日の観光は終了です。

というかこの世界遺産は見どころが少ないです。

川に架かる橋とその周りの街並みだけですから。

あっさり回ると30分で観光が終了してしまいます。

私は2時間半以上回っていましたが。

角度によっていろんな顔が見れるモスタルの橋はかなりのお気に入りになってしまいました。

まあ、昔からこの世界遺産には興味があったんですけど。

こうして一通り観光し終わって宿に戻り写真の整理。

写真の整理が終わり、宿で暗くなるのを待っていました。

何しろ今度は夜景の写真を撮りたかったので。

夕食を食べるついでに再び橋の周りも観光ですよ。

夜は夜で昼間とは全く違った趣があります。

幻想的に浮かび上がる橋。

 alt=""title=""

周りにオレンジ色に輝く塔がそびえています。

 alt=""title=""

夜ですので川の色までは見えませんが、それでも音は昼間と変わらずせせらぎが聞こえます。

空には満天の星が輝いており、橋をさらに幻想的なものへと変貌させている気がしますね。

ほんとに戦争ということを忘れそうな風景ですけど。

ここは夜の風景もお勧めですね。

こうしてすべての写真を撮り終わったところで。

本日の観光は完全に終了しました。

もちろん宿に戻って日記を書いて、、、、いませんでしたけど。

なんかお酒飲んでいたらそのまま気持ち良くなって。

結局日記は進まなかったんだよね。

昨日分と今日分を明日がんばって書きましょうか。

明日はサラエボ移動だけで終わらせる予定ですから。

気楽に移動するとしましょうかね。




モスタルへのアクセス
首都サラエボからは一日十数便のバスがある。
他にもクロアチア・スプリットやドゥブロヴニク、セルビアのベオグラードからも直通の便が存在する。
モスタルのバスターミナルからは南の道を進み、近くの交差点で右に曲がると川が見えるので川沿いを流れる方向へ進んでいくと古橋が見える。



もしよろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ
世界遺産のことを皆に知ってもらう為によろしくお願いします。