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 【ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行記

ボスニア・ヘルツェゴビナ・サラエボ
2009.02.10
 
2009年2月10日    480日目


内戦があった国

その首都サラエボは巨大な街だった

戦争の傷跡は今も残る


さてゆっくりおきまして。

出発の準備と。

この宿は意外にあったかく寝れたのでよく寝れたというかんじです。

値段も安いし設備もきれいだし。

どのみち一泊しかしませんでしたけど。

準備が終了してからはすぐにバスターミナルへ向かい。

サラエボ行きのバスに乗りました。

モスタルからサラエボまでは120kmぐらい離れており。

3時間ぐらいの移動です。

それにしてもバスに乗っているとわかるけど、ボスニア・ヘルツェゴビナってほとんど山脈の国だってことがわかります。

ほとんど山の中を進んで行きましたから。

隣に流れる川は翡翠色をしており。

山脈の灰色と比べると幻想的な色をしていますね。

ただ山脈に覆われているのできれいな景色が見えるという訳ではないのですが。

こうしてひたすらバスは進み。

ようやくサラエボの街に到着しました。

まずは次の次の移動のバスの時間を確認してから早速街へ。

実はこのサラエボの宿ですが、宿の名前と宿の住所はわかるのですがそれがどの場所にあるのかさっぱりわからないのですよ。

とりあえずツーリストインフォメーションに行って聞こうかと思っていました。

こうしてサラエボの街を歩いていると目の前にファーストフードがあって。

ちょうどお昼だったし、結構な距離を歩いていたのでここで休憩をとることにしました。

ハンバーガーを注文した後にこの宿の名前と住所の場所を知らないかと尋ねると。

なんと調べてくれて、案内してくれるではないですか。

どうやら比較的近い場所にある通りだったために簡単にわかったみたいですが。

こうしてインフォメーションに行く前に宿が判明してしまいました。

しかし住所にあったのはマンションで。

その一室がホステルとしてやっているみたい。

これは情報がないと全く分からないよ。

そしてマンションの4階に上り、インターフォンを押してみると。

なんと誰もいないではないですか。

扉も開いていないし。

こうなったらここでひたすら待つことにしました。

先ほど買ったハンバーガーもあるのでゆっくりと昼食を食べて。

本日の朝時計が壊れていたのでそれを直したりしていましたよ。

するとこの宿に戻ってくる人たちがいて。

中に入ることに成功しました。

ただオーナーに連絡しないといけないみたいで、電話持っていないということを伝えると優しい人が電話を貸してくれてオーナーに連絡してくれて。

ここで30分ほど待ってほしいと言われたので。

とりあえず、待っていることに。

その間、この宿に入れてくれた人たちはチェックアウトして出発してしまい。

一人さみしく待つことに。

ようやくオーナーが来てチェックインが完了し、この宿のかぎをもらって。

すぐさまサラエボ観光へ。

ここは十数年前まで内戦が激化していた場所。

当時私もこの地名は何回も聞いたものです。

しかし現在はほとんどその面影が残っていません。

というかかなり巨大な都市といったイメージがあります。

高層ビルも存在して、ほんとに大きい国の首都といった感じ。

ボスニア・ヘルツェゴビナはそれほど巨大な国ではないですけどね。

ただ建物と建物の間の間隔が広いためにそれほどの印象を持つのかもしれないのですが。

まあ、オリンピックも行われたほどの町ですから、それなりの人口もいるみたいです。

そして街を歩くといたるところに住宅の壁がぼこぼこになっている場所があります。

これこそ戦争の証。

銃弾の跡が壁に残されています。

古い建物は基本的にこの銃弾の跡が存在し。

この場所でも争った形跡があるというのにも驚きですよ。

戦争と復興が同時に見れる街なのかもしれません。

さてサラエボに流れる川をひたすらさかのぼり。

20分ぐらいは歩いたでしょうか。

そして見えてきた場所こそラティンスキー橋です。

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この橋は誰も知らないと思いますが世界史にとっては重要な橋。

ここから世界の動乱が始まった場所なのです。

時は1914年6月28日。

ここで一発の銃声が鳴り響きました。

それは見事にこの地を遊説していたオーストリアハンガリー二重帝国の皇太子の胸に突き刺さったのです。

これに起こったオーストリア・ハンガリー帝国は犯人がセルビア人であったことからセルビア人の排除へ向かうのです。

こうして始まった戦争こそ第一次世界大戦。

このサラエボのこの橋の周辺から始まったのです。

ただ実際には何もない古い橋といった場所で。

どこで撃たれたとかも説明がないのでちょっとわかりにくいのですが。

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この場所で世界史に残る出来事が起きたという事実。

見ていて少し感動ですよ。

さてあまり見るところもないのでその後はインフォメーションに行って明日の観光のバスの時間を確認してきました。

が、なんと一日一便、しかも15時発というではないですか。

これじゃ日帰りができない。

ともかく一度バスターミナルに行ってこの情報が正しいのか確認してみることにしました。

近くのバス停からトロリーバスに乗り込み。

12kmぐらい離れているバスターミナルへ行ってきました。

すぐに時間を確認すると明日の朝発があるらしく。

それに乗っていくことにしましょうか。

ともかくバスがあってよかったよ。

こうして本日はすべてが終了したので再びバスに乗りインターネットをやることにしました。

次の街の宿情報も調べたかったので。

なにしろ次のスプリットには日本人宿があるとのうわさがあって。

やっぱり調べてみると日本人宿が存在しているので。

これで泊まる場所決定ですね。

インターネットも終わりその後は宿に戻りのんびりとくつろいでいました。

すると新しい宿泊者が到着したみたいで。

しかもなんと日本人。

ここガイドブックにも載ってないホステルなのに。

あまりにも偶然でびっくり。

さらにさらに話しているとヴェネチア留学中とのこと。

、、、、あれ、私の知っている人2名ヴェネチア留学中なんですけど。

いろいろ話しているとそれがお互い知っている人だと判明。

世界ってせまいって実感する瞬間ですよ。

まさかこのサラエボで会えるとは思ってもいませんでした。

こうして夜はずっと話が盛り上がってしまい。

結局日記は書けず。

明日も書けそうもないのですが。

いったいいつになったら頑張るのか。

しっかりしないといけないですね。

さて明日も朝早いので寝るとします。

おやすみなさい。




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