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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学77--マジャール人が作り上げたドナウの真珠--
2000.12.30
 
世界遺産雑学77

--マジャール人が作り上げたドナウの真珠--

悠久の時を流れる河
ドナウ川
ここにマジャール人が建てた都市がある
ドナウの真珠と呼ばれるほど壮大な都市が。

ブダペストのドナウ河岸とブダ城  ハンガリー

ハンガリーの首都、ブダペスト。
ドナウ川の中流にあり、町を左右に分ける。

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東側はペスト地区。
国会議事堂などがあり、行政、商業の中心。
西側はブダ地区。
王宮があり、かつての繁栄した場所。
マジャール人が建てた都市。
いずれの場所も過去の繁栄を伝える。

マジャール人とはハンガリー人のこと。
JAPAN(ジパングが由来)の人が日本人と呼ぶように、ハンガリー人は自らの事をマジャール人とよぶのである。
このマジャール人は9世紀にドナウ川にやってきた。
元はロシアウラル山脈を拠点とした民族。
彼らはいろんな地を遊牧しながら、この地にたどり着いたのである。
しかし、最初彼らはここを拠点としなかった。
数々の街を侵略し、自身の土地をふやしてくのである。
が、ドイツ皇帝に敗北したのをきっかけにこのハンガリーに永住を決意する。
こうして内政化、西洋化を推進していくのであった。
そして、1000年にイシュトヴァーン1世がローマ教皇から王冠を授かりハンガリー王国を建国したのである。

しかし、まだこのときプダペストは首都ではなかった。
当時の首都はエステルゴム。
ここで首都を変える大きな歴史の動乱が待っていた。
モンゴル帝国の侵略である。
世界最大の国家を手に入れたモンゴル帝国。
モンゴルから中国を制圧、中東を侵略し、彼らは中央ヨーロッパまで勢力をひろげたのであった。
そしてハンガリーは壊滅的な敗北を喫する。
が、ハンガリー帝国は国王の死去により撤退を余儀なくされた。
このため、当時の国王は王国の復興をするために首都を移したのである。
そこはドナウ川の横岸に小高い丘がある場所。
こうして、プダの丘には王宮が建てられたのである。
そして15世紀にハンガリーは最大の繁栄を迎えるの。

が、このブダ城とハンガリーには侵略・破壊と再建という歴史が待っていた。
まずブダ城に侵略したのはオスマントルコだった。
王宮は爆薬庫になり、突然の火薬の発火によりブダ城は一気に破壊されたのである。
それは壁が一切残らない瓦礫化した状態であった。
その後、オスマン帝国が衰退しオーストリア帝国に支配されるのである。
この城を再建したのがオーストリア帝国のマリア・テレジア。
マリア・テレジハはオーストリア帝国初の女性国王であったため、権力争いが激化し後ろ盾が必要であった。
このため、当時オストリアー帝国の中にあった、ハンガリー人に応援をもとめた。
その見返りとして王宮を再建したのである。

こうして、ハンガリー王国に再びの繁栄が待っていた。
それは、オーストリア=ハンガリー二重帝国。
当時、オーストリアにはヨーゼフ1世という皇帝がいた。
この皇帝の王妃としてお見合いがなされていたときに、ヨーゼフは一人の女性に惚れる事になる。
それこそ、「19世紀最高の女神」エリザベートであった。
そして二人は結婚する。
しかし、エリザベートは王宮の暮らしに疲れ各地を放浪する事となる。
中でも一番に気に入った国がハンガリーであった。
エリザベートはハンガリー語を習得しハンガリー国民に支持される事になった。
そうしてエリザベートはヨーゼフにハンガリー独立を言い寄った。
これに折れたヨーゼフはヨーゼフとエリザベートを国王としハンガリーの独立を認める。
ここにオーストリア=ハンガリー二重帝国が存在する事となる。

こうした再び繁栄を手に入れたブダペストであるが、第二次世界大戦の際壊滅的な打撃を受けることになる。
そしてハンガリーに待っていたものは社会主義であった。
このためハンガリーに民主主義を求める動乱が待っていた。
ハンガリー動乱である。
動乱の際もブダペストは壊滅状態となる。
これによりブダ城が現在の姿となったのは1980年のことであった。
しかし、現在は王宮としての機能は無い。
王宮は国立博物館として残っているのである。


ここで、見てほしい。
ハンガリーの国旗を。
そこには王冠が描かれている。
ハンガリーの歴史は王冠の歴史といっても過言ではない。
それは、初代ハンガリー国王がローマ教皇に戴冠された冠だからである。
これはいままで歴代のハンガリー国王が戴冠の度に渡された冠。
いまから1000年前の冠である。
が、歴史の動乱により一度ハンガリーを離れることなる。
それは第二次世界大戦。
もともと侵略される事の多かったハンガリーは第二次世界大戦でも各国から侵略されたのである。
このとき王冠をアメリカ軍に略奪されてしまった。
こうして、王冠は海を渡ってアメリカへと渡ることになるのである。
1978年まで王冠はアメリカにわたったままであった。
しかし、ハンガリー国民の熱意により返還された。
こうして、今は国会議事堂の中に展示される運びとなったのである。

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でも、よく王冠を見てほしい。
なぜか王冠の頂点に描かれている十字架は斜めを向いている。
この事実はいまだに分かってはいない。
ハンガリー国民の永久の謎となっているのである。


こんな街には世界遺産として世界唯一のものも残っている。
特殊な世界遺産
地下鉄である。
アンドラシー通りに作られた地下鉄は1996年にヨーロッパ大陸初として完成した。
これがヨーロッパ初をしてその後の影響を与えたため地下鉄自体が世界遺産となった唯一の例である。


ブダペスト、1000年にも渡って破壊と再興を繰り返した街。
中央ヨーロッパ最大の国家となり、オーストリア=ハンガリー帝国としていち早く独立した場所として1987年世界遺産に登録された。
ドナウの河が見守り続けた場所である。


ここはぜひ一度行ってみてください。
国会議事堂は特に見ごたえあり。
王冠ももちろん見れますよ!!
ハンガリーの歴史を感じることが出来ます。
地下鉄も必見。
世界遺産唯一の地下鉄の世界遺産。
ヨーロッパ初としてデザインが結構いいです。