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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学81--特殊な世界遺産Vol.12--
2000.12.29
 
世界遺産雑学81

特殊な世界遺産Vol.12
「美術、博物館」

--王国の粋を集めた場所--

かつての国王はここに何をみたのだろうか。
国王は国のすべてをここに集めることを指示。
世界中から集められたコレクションをここに展示した
ここは「島」である。


ムゼウムスインゼル(博物館島)   ドイツ

ドイツ首都、ベルリン
このベルリンに流れているシュプレー川の中洲が今回の主役。
世界遺産、博物館島が存在するのである。
ここには5つの博物館が並ぶ。
「旧博物館」
「新博物館」
「旧ナショナルギャラリー」
「ボーデ博物館」
「ペルガモン博物館」
の5つである。
こんな密集した場所に5つの博物館が存在するのには国王の願いがあった。

最初に中州に博物館が建てられたのは1830年完成旧博物館である。
このとき当時ドイツで最高の建築家カール・フリードリヒ・シンケルによって建てられた博物館だ。
そしてドイツで憩いの場所となる。
そんな時プロイセン国王がこの中州にある構想を得た。
「芸術と科学の聖域」
の計画である。
すぐさまプロイセン国王は中州を聖域と定め複数の博物館を建設計画を発表したのである。
これはプロイセン王国がフランスやイギリスに対抗するだけの力があることを見せ付けるためでもあった。
この計画により、瞬く間にこの中州には博物館が建てられた。
1850年完成、新博物館
1876年完成、旧ナショナルギャラリー
1904年完成、皇帝フリードリヒ博物館(現ボーデ博物館)
1930年完成、ペルガモン博物館
と、1830年から1930年の100年間に5つもの博物館が建てられたのである。
こうして、ベルリンに博物館島が完成したのであった。

しかし、博物館島にはここから悲しい歴史が待っていたのである。
一つ目にはナチス、ヒトラー政権による美術品の没収と売却であった。
ヒトラーはドイツの政権を握ると博物館島を掌握。
芸術品を自分のものにし、さらに軍備費のために売却までしたのである。
二つ目に第二次世界大戦。
ヒトラーはその後各国に侵攻。
しかし、連合国軍の攻撃によりどんどん追い詰められていった。
その際連合国軍は飛行機によりドイツ各地を空襲していったのである。
博物館島もその例外ではなかった。
特に新博物館はほとんどが破壊され壊されたのである。
ちなみにまだ各博物館の柱には今でも銃痕が残っている。
三つ目としてドイツの東西分裂。
じつは、博物館島の人たちはどうにかして作品を守るために戦火になる前に作品をドイツ各地へ隠したのである。
しかし、戦後すべての作品を戻そうとした際にドイツ国内が分裂しており作品を博物館島に戻せなくなったのである。
こうしてほとんどの作品は博物館島から去ってしまったのであった。

そして博物館として意味のなくなった場所に再び栄光が戻ったのが実はつい最近のことである。
戦後44年後の1989年に起こった出来事により博物館島は一気に息を吹き返す。
その出来事こそ
「ベルリンの壁崩壊」である。
このため、1990年には東西ドイツが統一。
各地に散らばっていた作品がどんどん博物館島に運ばれるようになる。
また、戦争でき傷ついた建物も修復が加速されたのであった。
こうして、5つの博物館は再び日の目を見るようになるのである。


そして、東西ドイツ統一9年後の1999年、博物館島は複合文化施設の先駆けで近代博物館建築の歴史を示すものとして世界遺産に登録された。
しかしいまだに新博物館は修復中である。
開館までにはあと3年の歳月を待たなければならない。





久しぶりの特殊な世界遺産でした。
面白いですよね。
博物館だけの世界遺産。
でも、敗戦国ドイツだけあって悲しい世界遺産でも有ります。
爆撃でどれだけの作品が戦火に燃えたか。
今となっては分かっていません。
シルクロードに残っていた壁画などもこの博物館に貯蔵されていたのですが、戦火へと消えたそうです。
じつは、この博物館は世界の作品とも繋がっている場所です。