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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学82--たった14年で近代建築の真髄を築き上げた学校--
2000.12.30
 
世界遺産雑学82

--たった14年で近代建築の真髄を築き上げた学校--

ここは観光客にとってはただの学校。
一見、何処にでもあるような学校だ。
しかし、建築を学んでいる人にとってはここは聖地と代わる。
現在の建築物の基礎を築き上げた学校がここにはあるのである。


ワイマールとデッサウのバウハウス関連遺産  ドイツ

ドイツ中部、チューリンゲン州とザクセン・アンハルト州
ここにワイマールとデッサウの街がある。
この2つの街にはなんとも奇妙な建物が残っている。
一見するとガラス張りの何処にでもあるような建物。
形も正方形などのありきたりな様式で至って普通なのである。
しかし、こんな建物が世界遺産に登録された。
それはいったいなぜなのだろうか?
この場所の歴史を紐解くと現在の建築の出発点であったことが分かるのである。

第一次世界大戦後の1919年、ワイマールに一つの学校が設立された。
その学校の名前は「バウハウス」
初代学長は建築家ヴァルター・グロピウスである。
グロピウスはこの学校設立にあたり、中世の建築職人たちの作業工房のようにしたいと考えた。
このため、中世の職人の作業部屋「バウヒュッテ」から名前を頂戴し「バウハウス」となずけたのである。
学校もグロピウスの意向を守り、学科の事を工房、教授のことを親方と呼ばせたのであった。

こうして、学校ではいろいろな工房が設立された。
基礎過程
家具工房
木彫工房
金属工房
織物工房
版画工房
舞台工房
ステンドグラス工房
などなど、その数は16個にも上るのである。
しかし、グロピウスは最終的に目指すものは違っていた。
それは建築である。
バウハウス開校宣言文には
「すべての造形活動の最終目標は完璧な建築にある」
とうたっている。
では、なぜこのような多岐にわたる工房を設立したのか。
これは例えていえば大聖堂を建てるのには建築家だけでは成り立たない。
彫刻家、ステンドグラス職人など多くの職人が共同の建築を作っていく。
これと同じようにさまざまな職人を育て協力し一つの建築の完成形を作ることを実現させようとしたためである。

このグロピウスの考えは成功を収める事となる。
各分野の職人が育ち、それにむかって発展していったのである。
そのバウハウスの思想は世界中に広まることとなるのであった。
現在の建築においてバウハウスの思想を踏襲している建築がほとんど。
また、皆さんの身近なものにもバウハウスの思想が残っているのがある。
「電気スタンド」
「パイプ椅子」
「折りたたみテーブル」
金属工房から作成されたガラスと金属を使用したテーブルランプは現在の電気スタンドの基礎となったもの。
家具工房からは金属のパイプを使用した椅子を発明。
また折りたたみテーブルもここから作られたのである。
ただし、現在の量産されたものではなく当初はシンプルを兼ね備えたデザインあふれる作品であった。

こうした成功を収めたグロピウスは実は建築界ではかなりの有名人。
建築を学ぶものにとってこの名前を知らない人は無知であるのと同じである。
近代建築の4大巨匠の一人に数えられているのである。
さらにバウハウスはもう一人の天才を作り上げる。
その人物こそ第3代目学長、ミース・ファン・デル・ローエである。
チェコの世界遺産、ブルノのトゥーゲントハート邸を作った人物(雑学2参照)
近代建築の4大巨匠の2人目である。
彼もまたバウハウスに影響された建築を数多く建てたのであった。
さらに教え子達が建てたドイツに残るツォルフェラインの第12坑は世界遺産に登録されている。

バウハウスの人たちが数多くの世界遺産を残す事実がここにはある。

こうして栄光を手にしたバウハウスには廃校という運命が待っていた。
しかも、それは創立14年目のこと。
まず、バウハウスがワイマールに建てられた後地元の右翼政党に圧力がかけられた。
グロピウスがその圧力のためデッサウへ移転。
デッサウで新校舎が建てられた。
しかし、ミース・ファン・デル・ローエの時代にナチスから激しい弾圧が与えられたのである。
そしてデッサウを追われる事態に発展。
どうにかしてベルリンで存続を試みるのだが、廃校に追い込まれてしまった。
それは1919年設立から14年後の1933年のことであった。

しかし、バウハウスはたった14年で世界の建築を変革した奇跡の学校となったのである


バウハウスは世界の建築芸術に多大な影響を与え、近代建築の傑作といわれた建物は1996年世界遺産に登録された。
ここは建築界に激震を与えた場所。建築を学ぶ者すべてが目指すところである。




ここも特殊な世界遺産に入るかも知れません。
でも、特殊のくくりには入れませんでした。
大聖堂や宮殿と同じで建物は特殊ではないですから。
ちなみにこの世界遺産も見て何でここ世界遺産と思う事間違いなしです。
近代建築のさきがけとはつまり現代の建築の少し古いバージョンのことですから!!
しかし建築学んでいる人はあこがれの場所です!!