近代建築の世界遺産
それはたった一軒家だけが世界遺産に登録されている
街に同化しているただ一つの家が
おはようです。
というか眠いです。
結局寝たのが2時だったんですよね。
久しぶりのメンバーだらけだったので。
話すことも多かったり
ウクライナの情報を伝えたりしていましたから。
でも本日目的地のブルノの宿を予約していたので本日確実に移動しなければならないので。
しっかりと目覚ましの音で起床しました。
まずは朝食を食べるために台所に立ち即席ラーメンを作っていましたよ。
もちろん具なし。
味気ないですが、私的には朝食にしては豪華な感じです。
何しろいつも朝食はスナック系しか食べていませんから。
朝が早かったり、移動しているとまともな食事ができませんから。
そして食べ終わった後は起きてきた人と談話していました。
ただそんなに時間もないのでさっさと出発の準備をして。
みんなにお別れを言って出発しました。
どのみちこのアンダンテには1ヶ月後に戻ってくる予定なんですけどね。
さて荷物を背負ってからはひたすら駅に向かって歩き続けました。
もうこの道は数回も通ったので地図がなくても何の問題もなし。
簡単に駅に到着することができました。
そしてすぐにチケットを買ったのですが。
なんとブルノ行きを指定したのにもらったチケットがプラハ行き。
チケット売り場の人はプラハ行きを買ったほうが安いからブルノはその途中だし破棄してねと言うではないですか。
実はヨーロッパのチケットはよくわからないのです。
何しろ片道を買うよりも往復を買ったほうが値段的に安いという路線もあったりで。
正直どのように買っていいかがさっぱりわからないのです。
まあ係員が言うのだからこれが一番安いチケットなのでしょう。
ちょっとこのままプラハに行くことを考えてしまいましたけど。
宿を予約しているのでそういう訳にもいかないですよね。
こうして列車に乗り込んで、すぐにパソコンの電源を入れて早速日記を書いていました。
とりあえず昨日の日記は終了して。
ブダペストでためていた分の2日分も終了しました。
後は10日分ぐらい残っています。
そのうち世界遺産見た時も残っているので、かなりの時間が必要ですね。
もしかしたら日本に一時帰国するまでに書ききれないかもしれません。
まあ、絶対書きますので。
日本に帰った時に一気にアップになると思いますね。
さてこうしてブダペストから出発してしばらくコンパートメントは一人で占領できたのですが。
スロバキアの国に入ってからは何人か入ってきて。
しかもうるさい人たちが入ってきて正直迷惑だった。
完全にお酒を持ち込んで飲み始めるし。
あと私に話しかけてきて、日本人だと知ると余計にうるさくなったし。
挙句の果てには音楽をならし始めて。
他の人がいるって言うのに、よく音楽をならせるよ。
でもこれは日本の常識。
実は海外ではいろんなところで携帯から音楽をならしていて、周りの人もそれを気にしていないんですよね。
おばあちゃんも乗っているのにロックを流すとか日本人の感覚ではあり得ないですけど。
さらに言えば、日本人の有名なDJがいるらしく私にそのことを求めてきた。
俺はその系統がほんとにダメだからもちろん知るわけがない。
もうあまりにもめんどくさくなったので軽くあしらう感じになってしまいました。
自分の趣味を他人に押し付けるのはほんとにダメですよ。
こうして列車に乗っている4時間はほとんど日記に費やしていました。
そしてようやくチェコのブルノに到着です。
その間にスロバキアという国も通ったのですが今はヨーロッパには国境というものがなくなっているので、いつ通り過ぎたのかもさっぱりわからない状態なのですよね。
だから実際に国が変わった実感は通貨です。
チェコはまだユーロになっていないからチェコ通貨を使用しているのですよね。
ブルノについた時に思ったのはやはり懐かしいでした。
7年前に一度来たことがあるので。
あのときは街中のどこかに一泊しかしてませんでしたけど。
早速予約した宿に向かって。
これが結構街から離れていて苦労しました。
しかも地図と微妙に場所も違ったから、少し焦りましたよ。
ようやく宿を見つけてからはすぐにチェックインして。
少し体を休めてからすぐに出発です
この時点で午後3時を過ぎていましたが、このブルノではこの時間から回れる世界遺産があるのです。
すぐにそっち方面に歩いて行きました。
とりあえず数年前の記憶ですからあっているか若手いませんでしたけど。
途中にブルノ市内の地図があり。
やはり正しい道だとわかり、そのまま進んで行きました。
途中路地に入り、先に進むと普通の民家の中にある一軒家が見えてきました。
これこそが世界遺産「ブルノのトゥーゲントハート邸」です。
この世に一人の天才が生まれたのは1886年
彼は建築を学び徐々に頭角を現していきました。
そしてついには建築史を大きく揺るがす設計をするのです。
空間の魔術師
そう呼ばれた男の名はミース・ファン・デル・ローエ
彼はモダニズム建築を推進し、鉄筋を使い柱の少ない広い空間を生みだしていったのです。
その空間の広さにはだれもが驚いたのです。
こうしてミース・ファン・デル・ローエは近代建築の4大巨匠のひとりとなりました。
その中でもブルノにあるトゥーゲントハート邸は彼の中でも最高傑作なのです。
トゥーゲントハートという人物から建築の依頼を受け建てられた一つの住宅は当時としては最新の技術を導入されて作られました。
丘に建てられた家は町を見下ろす方向に一面ガラス張りの空間を作り上げ。
当時としてはこれだけ巨大で上部を支える部分がほとんどないといった建築が存在するだけでもありえないことだったのです。
さらに彼はこの家にさまざまな常識を覆すインテリアを導入したり。
当時としても珍しい空調設備のある家を造ったのです。
こうしてブルノにあるトゥーゲントハート邸は近代住宅建築の最高傑作として世界遺産に登録されました。
正直最初見た時は通り過ぎてしまうぐらい普通の家なのです。
しかも二階部分がないというか地下にあるためにほとんど小さな家という印象なのですよ。
さて早速予約を入れようとして。
ちなみにブルノのトゥーゲントハート邸は回るのに予約が必要で。
呼び鈴を勝手に鳴らして、人が出てくるのでツアーを申し込むのです。
前回来た時は全くこの仕組みが分からず苦労しましたが。
まずは呼び鈴を鳴らして、人が出てきたので次のツアーは何時かと聞きました
すると今度のツアーは来週の水曜日と言われるではないですか。
あと一週間ありますけど。。。
ちょっとこの事実は衝撃的でしたがすぐに係りの人が裏の庭だけだったら入ってもいいよと言ってくれるではないですか。
これはお言葉に甘えて建物の中には入れませんでしたが庭に入ることができました。
ちなみにこのトゥーゲントハート邸は正面からだと全くその建築が見れないですし、何が素晴らしいか一向に判らないのですが。
庭に出てみて初めてこの家がいかに素晴らしいかを伝えてくれます。
それは地下一階部分の総一面ガラス張りという手法です。
ミースファンデル・ローエは空間の魔術師と呼ばれました。
それは必要な場所に柱がないという空間を広く見せる天才だったのです。
ここも外見からだけだと良くわかりませんが、窓に近づくと支えが異常に少ないことがわかります。
まず窓はほとんど継ぎ目ぐらいしかガラスのない部分は存在せず。
しかも覗き込んでも広い空間が存在しているだけで視界をさえぎるものがないのです。
まあ、小さな柱は存在しますけど。
これは当時の建築にとって衝撃の空間だったのです。
現在ではこういう広い空間を生み出すのは簡単になってしまっていますが。
この手法が今の建築に生かされていてミースファンデル・ローエは近代建築の巨匠と呼ばれるまでになったのです。
何しろ今私が見ても、どこで支えているか不思議な構造なんですよね。
上の階をあの小さな柱で支えているのはわかっていますがそれにしても細いですし、このため空間が広く見えるという手法をとっているのです。
あと内部にある装飾品もそれぞれ今のインテリアとしては素晴らしいものがあり。
現在でも素晴らしいと思えるのですから当時は驚愕のデザインだったのではないでしょうか。
ちなみにミースファンデル・ローエはドイツのバウハウス三代目校長になっていて自分の技術を若者たちに継承したという立役者でもあります。
ほんとに建築史においてこの人を知らないものはいないというぐらい素晴らしい人なのですよ。
その最高傑作がこのトゥーゲントハート邸なのです。
たとえば、部屋の中に見えるイスは当時のデザインとしては画期的な形をしており。
バウハウスが教える建築理念に沿ったものが生み出されています。
赤やピンクといったクッションを今までと違った足の形に乗せられています。
しかも金属を使うといった今までにない椅子をデザインしたのです。
ゴシックとかバロックとか言った建築様式が主流だった時代にこのようなデザインのを作られると。
まるで最先端の技術だと思えてしまいますよ。
ここにミースファンデル・ローエが残した偉業の数々が保管されているのです。
しかも実はこれだけではなく当時としては画期的な空調を整備した家でもあるのです。
実は地下2階部分が存在するのですけど、そこは人が入れなく。
すべては空調のための設備だったという話です。
それを窓の近くの小さな隙間から浮きあげて人が住む空間だけに快適な空気を送りあげたのです。
それ以外にも家の中に観葉植物を育てるスペースを作り上げたりと。
ほんとに当時としては考えられない建築だったのです。
ただし、よく見てみると階段の下とか壁がはがれていたりと保存状態が現在悪いみたいで。
少ししたら修復が始まるようです。
もしここに住めたなら、この巨大な空間を独り占めしてふとした時に外の風景を堪能したりと心落ち着く生活ができることでしょう。
トゥーゲントハート邸は丘の斜面に造られているからブルノの街並みも見ることができますし。
ガラスの目の前は小さな庭がありますから。
これもきっと計算された風景なのでしょうね。
まあ、もしこの事実を知らないでこの家だけを見た場合。
なんでこれが世界遺産という印象を持ってしまうぐらい一軒家の世界遺産ですから。
ぜひともこのブルノのトゥーゲントハート邸はその内面を知ってから見ることをお勧めしますよ。
さて内部も見たかったのですが前回みたので今回は諦めです。
まあ、十数日後に修復作業が始まってしまうらしく数年見られなくなるとうことなので。
今予約がいっぱいみたいですね。
だから一週間後しか見れない感じなのかも。
ともかくこの世界遺産内部は写真が撮れないので、外部から写真が撮れて満足ですね。
ほとんどガラス張りだから内部も写真が撮れるから。
こればっかりは来たタイミングが悪かったということで。
まあ実際見たから何の問題もないですけどね。
さてこうして観光が終了したので。
続いてバスターミナルへ向かいました。
もちろん、明日の移動時間を調べるためです。
歩いて駅まで向い、そしてさらにバスターミナルへ。
これが意外に遠くてびっくりした。
途中に大型ショッピングセンターみたいなものがあって、昔こんなのなかったと思いながら。
チェコもほんとに先進国のようになりましたね。
ようやくバスターミナルへ到着して、すぐに明日行く世界遺産の場所の出発時間を聞くと。
これまた丁寧に教えてくれて。
なんかこれほど優しく教えてくれたのは初めてかもというぐらい感動してしまいました。
いやな顔せず、すべての出発の時間と出発のホームを紙に書いて教えてくれたのですから。
これだけでもブルノ最高と思ってしまいます。
旅人はこんな些細なことでもその街の印象が変わってしまうものですよ。
こうして明日の移動に関してはすべて調べが終わったので続いてはショッピングセンターのテスコへ。
これも数年ぶり。
確かにここのテスコに行ってビールが安いと思った時がありました。
その感動を再びと思いましたが。
なんと物価が上昇しているためかビールも高い。
というかヨーロッパの中でも高い印象です。
確かに安いビールもありますが、チェコのブランドのビールは2つありまして。
一つは現在主流になっているビールの基礎を作り上げたビールで、もう一つは世界で一番売れているビールがまねしたビール会社なのです。
どちらも本当においしくて。
世界で旅した中で一番おいしいビールはどこの国と言われたら間違いなくチェコというぐらいおいしいビールなのです。
しかし前は1ユーロで2本買えたのですが、今では1本1ユーロ弱ぐらいになっていて。
なんか時の流れを感じてしまいます。
とりあえずお酒と明日必要なものを買い込んで終了しましたが。
そして夕食をどこかで食べようとしましたが。
やはり物価が上がっているので微妙にレストランでは高く感じるので。
中華料理に走ってしまいました。
ヨーロッパでは中華料理は安くてたくさん食べれるという印象があるので
案の定、比較的安くてかなり量が多くて大満足です。
こうして宿に戻り、ドミトリーには一人しかいなく、ゆったりとした時間を過ごしていました。
すると突然3人の人たちがチェックインしてきて。
かなりうるさくしてくる。
まあ、こっちも起きているから文句は言わないけど。
このため日記も途中で書けなくなってしまって。
もう寝ることにしました。
でも彼らは暗くしたら静かになったよ。
その後どこかへ遊びに行きましたけどね。
さてさて明日から世界遺産を見る日々が続きます。
ブルノのトゥーゲントハート邸へのアクセス
ブルノまではチェコ・プラハ、オーストリア・ウィーン、スロバキア・ブラッチスラバ、ハンガリー・ブダペストなどから列車の便が存在する。
ブルノの駅からは旧市街にある自由広場のさらに北から出発するトラム3,5,11番の北東方面に向かうトラムに乗りDETSKA NEMOCNICEで下車。
降りた場所からは三叉路になっているのでトラムが走っている道と直角に分かれている道をひたすらまっすぐ行くと左手にある。(ただし普通の家なので注意しながら向かうこと)
歩いても行ける距離にあるため、ブルノの街に点在するブルノの地図があるのでそれの北東(右上)部分にトゥーゲントハート邸の位置が乗っているのでそこに向かう