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 【チェコの世界遺産

世界遺産「トシェビーチのユダヤ人街とプロコピウス聖堂」
2009.03.13
 
2009年3月13日    511日目


普通の街並みに普通の教会

しかしここの価値は歴史が語る

ユダヤ人を受け入れたという歴史が



なんか今日はぐっすり寝れた。

昨日の夜、宿に泊まっていた人がうるさかったのに。

まあ、夜遅くどこかへ出かけていましたからね。

ヨーロッパ人と日本人の旅のスタイルは全く違いますし。

彼らは基本夜に出歩くので。

クラブとか行って騒ぐ方が楽しいみたいです。

朝早くから観光するのは日本人ぐらいですよ。

なんか変な感じもしますけど。

みんなが泊まるような宿に泊まっていると朝早く起きるのは日本人ぐらいなものです。

さて起きてからはまず朝食を。

ヨーグルトとポテトチップスという何とも微妙な食事ですが。

朝といったらこれぐらいしかないので。

そして準備を整えてすぐに出発。

トラムに乗ってまずは駅に出て、そこから歩いてバスターミナルへ行きました。

昨日の段階で出発の時間は聞いていたので。

バスの出発場所で待っていて、ようやく到着したバスに乗り込みチケットを購入。

すぐにバスは出発しました。

実はブルノから日帰りできる世界遺産は7つもあるのです。

そのうち3つは昔に訪れたので、残りの4つを回ろうと思っていたのです。

本日はそのうちの一つですよ。

バスはブルノから出発して一路西へ。

バスの中では音楽を聴いていたら寝てしまいましたよ。

でもたった1時間で到着するのであまり寝れませんでしたけど。

こうしてようやく目的地に到着。

しかし、どこが世界遺産か分からず。

うろうろとさまよっているとなんと街の至る所へ案内する標識があり、その中で世界遺産マークが乗っている場所がありました。

そしてそこに向かってみるとようやく世界遺産「トシェビーチのユダヤ人街とプロコピウス聖堂」を見ることができました。

ユダヤ人

彼らは歴史上もっとも迫害され自分たちの土地を持てなかった民族

その彼らがこのトシェビーチに自分たちの街を作り上げました。

町の規模は小さいですが川の北側に小さなユダヤ人街と墓地を造ったのです。

これは当時としてかなり珍しい事でした。

というのも迫害されてきたユダヤ人がこの地のキリスト教と共存していたからです。

このため今ではほとんど残っていないユダヤ人の建築様式が見ることができるのです。

彼らは一階を商店、二階を住居として用い、近くにはお祈りをするシナゴーグという建物も建設されているのです。

また近くにある教会は、ユダヤ人と共存をし、町の高台に君臨しています。

この街並みこそがトシェビーチを世界遺産にするものとなりました。

ここにはユダヤ教とキリスト教が共存した証が残っています。

最初に見ると、いたって普通の街並みです。 

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そういうと語弊がありますけどパステルカラーが使われているチェコにあるような街並みなのです。

しかし見た目とは違ってここはユダヤ人が住んだ街。 

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ユダヤ人と現地人が共存をした証の街並みなのです。

もともとユダヤ人って歴史上もっとも嫌われた民族なんですよね。

どっちかって言うと有能過ぎて周りから嫌われるという民族だったのです。

現にユダヤ人は有名人をたくさん排出しており、アインシュタインもユダヤ人でしたから。

このためどこの場所もユダヤ人は迫害され続け、一か所に定住というのが難しい民族だったのです。

しかしこのチェコのトシェビーチはユダヤ人を受け入れ、ともに共存したという歴史が残る場所。 

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おかげでユダヤ人が残した街並みも壊されずに存在しているのです。

他の場所に住んでいたユダヤ人が残したものって意外にないのですよ。

しかもそれが中世から残るといえばもうすごいとしか言いようがない。

見た目は普通の街でもそこには歴史という内面が残っている町なのです。

それにしてもここは意外に範囲が狭い。

一周するだけで30分もかからないですから。

ちょうど川と小高い丘に囲まれた場所がユダヤ人街となっており、パステルカラーが並ぶ大通りやシナゴーグなどが点在しています。 

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チェコの伝統的な様式も継承しているみたいで。

パステルカラーの小さな街並みってチェコの南部ではよくある風景なのです。

それの特徴的な街も世界遺産になっていますし。

ここのユダヤ人はチェコの人たちと共存をしたという証がこの町に残っている証拠なのです。

すなわちユダヤ教とキリスト教の共存。

実この二つの宗教が共存した例がほとんどないのが事実。

ユダヤ教から発生したキリスト教ですが(もともとイエスキリストはユダヤ教の宣教者)宗教から派生する宗派というのは相対することが多いのです。

現にキリスト教の中で派生したカトリックとプロテスタントと東方正教会などは対立していますしね。

イスラム教でもスンニ派とシーア派で相対していますから。

それらが一緒に共存するということはほんとに珍しいことなのです。

人種を超えた生活がここには存在していたのです。 

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こういう歴史があるからこそ、この普通に見える街並みは世界遺産に登録されたのです。

実際にはほんとに小さい区間だけが世界遺産に登録されていますから。

でも景色は最高ですね。

街は川と丘にはさまれていますので丘に登れば街が一望できますし。

街には広場に面する時計台や西にある聖プロコピウス聖堂が見えるのですから。

こじんまりとしているほんとにいい街ですね。

さてこの丘の裏手にはユダヤ教の墓地が存在します。

途中標識が分からなくなってしまい、ちょっと迷いましたけど。

ようやく到着して眺めてみると黄色い小さな建物の上部にユダヤ教の六望星が掲げられていました。

これから見ても今まで見てきた墓地とは一味違いますね。

私ユダヤ教の墓地を見るのは初めての経験でしたから。 

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ちなみにこの建物は中に入れないようになっていたので横から墓地へと入りました。

墓地の中は街の喧噪とは無縁の世界で。

静かな空間に鳥がさえずり、森深き場所という感じの場所で。

その木々の中にたくさんのお墓が安置されていました。

一つ一つのお墓にそれだけの歴史が存在したのです。

それにしてもこちらのお墓と日本のお墓の違いというのは。

一人に対して一つの墓標みたいで。

日本みたいに一つのお墓で沢山の人が入らないみたいです。

それと墓標がすごく不安定に見えます。

私の実家が墓石やだったので日本のお墓はかなり頑丈に作られているのがわかるのですが。

こちらはほんとに支えがなくて不安定そうなのですよ。

まあ、ヨーロッパは地震が起きないからこの程度でも十分なのかもしれないですけど。

それにしても墓標一つ一つに六望星が書いてあるのが印象的です。

しかも森の中ですから意外に暗いというのが実際の反応。

何しろ本日曇りですからね。

と思ったら突然雨が降ってきた。

しかも大雨です。

傘をさして雨宿りしていると普段とは聞きなれない雨音がするのでよくよく見てみると。

なんと雨に混じって氷まで降っていました。

雹が降っていたみたいです。

傘の上には次第に氷がたまってきて、たまらなく屋根のある場所に移動。

雨宿りしているとほんとに晴れてくれるか不安になってきますよね。

こうして15分は待ったでしょうか。

ようやく雨と雹はやみ続いて聖プロコピウス聖堂へと足を向けました。

この聖プロコピウス聖堂は聖堂と修道院がセットになっていて。

川からその姿を見るのが壮観です。

川の目の前の丘の上にそびえているのですから。

空が青いとほんとに映えますよね。 

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さて早速教会内部へと入ろうとするとなんと15時半から入れるとのことで。

それまで再び街並みをのんびりと散策していました 

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現在では明らかにユダヤ人と思われる人は全然いませんね。

ユダヤ人の男性は 帽子をかぶっている場合が多いのですがそんな人は一人もいなかったので。

こうしていろいろまわって時間をつぶした後はもう一度プロコピウス聖堂へ向かいました。 

今度は内部に入れるようになっていて、聖堂の中は薄暗く。 

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数人の人が祭壇に向かい拝んでいるのが印象的です。

特に告解をする場所では何人も入れ替わりながら入って行って中には泣いている人まで。

これを見ると宗教の素晴らしさが伝わってくるようです。

聖堂の内部は装飾が少ないのが特徴ですが、上部には均等に聖人の彫刻が設置されています。

そして司教が皆に説法を行う台も細かい装飾でおおわれているのです。

一番奥の祭壇は近寄れないようになっていましたが、周りに鮮やかなステンドグラスなどがありまるでいろんな色に輝いているようでした。

それにしてもリヴィウの教会を見たからかもしれないですがあまりにも質素という印象で。

いやきっとこれは錯覚かもしれないですね。

リヴィウの教会が鮮やか過ぎたからそう見えるのかもしれません。

それにしてもこの聖プロコピウス聖堂がユダヤ教とキリスト教を共存させた立役者。

この教会に住む修道院たちが街の人たちに教え込まない限り共存なんてできないはずですから。 

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それにしてもこれだけ小さな町にここまで大きな教会はいらないのではないかと思ってしまうほど結構大きいです。

まあ、他の街も人口に比べて教会の数がすごく多い場所もありましたし。

ほんとは教会の内部はバスの時間の都合があり見れない可能性がありましたが。

見れてほんとによかったです。

こうしてようやく観光が終了して。

バスターミナルへ戻り。

ブルノ行きのバスをまってようやくバスに乗り込むことができました。

道中はほとんど寝ていましたが。

いやはや、基本移動で音楽を聴いているのですが。

最近、ダウンロードしたラジオを聴いているのですよね。

でもなぜかラジオを聞くときまったように睡眠してしまう。

何か睡眠効果があるとしか思えないのですが。

ちなみに音楽を止めるとピタッと眠気がさえてしまうのですが。

よくわからないですけど、眠りたいときにこれを聞くといいのかもしれないですね。

さてようやくブルノに到着してからは、明日の移動の時間を聞いて。

続いて夕食を食べに行きました。

夕食は昨日と同様に中華です。

やはりいろいろ見た結果ヨーロッパでは中華が安くて量が多いという結論に達しましたよ。

しかも日本人の口に合いますし、何より御飯が食べれるというメリットがありますから。

本日もおなかいっぱいになりました。

こうしておなかもいっぱいになって、トラムに乗り宿に戻ることに。

宿ではドミトリーにも関わらず人は一人もいない状況で。

本日は独り占めの状態です。

でもやはりネットにつながるという状況はまずいですね。

一切日記が進みませんから。

やはり追い込まれないとやらないという状況は今も昔も一緒のようです。

とりあえず寝る時間に近づくにつれて日記の書くスピードが上がりますが。

それでも本日分が終わらないという感ですから。

ほんとにいい加減にしないとまずいですね。

とりあえず日記を書くのも限度が来たので寝ることにします。

明日も世界遺産観光ですよ。




トシェビーチ(トジェビーチ)へのアクセス
ブルノ-チェスケー・ブディェヨヴィツェ間のバスの途中にトシェビーチがある。
一日約7便。
ブルノから約1時間、チェスケー・ブティェヨヴィツェからは3時間かかる。
バスターミナルからは標識があり、世界遺産のマークがついているので簡単にわかる。
ただしユダヤ人墓地だけは途中で世界遺産のマークがなくなるので最初に表記されている部分をメモってその名前通りに進むと到着する。
このバスの路線の途中には世界遺産「テルチ」も存在する。
ちょうど中間なのでどちらからも2時間かかる