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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学85--特殊な世界遺産Vol.14--
2000.12.30
 
世界遺産雑学85

特殊な世界遺産Vol.14
「塩抗」


--繁栄をもたらした白い金--


外からは全く見えないこの場所
ここは地下300mにある
巨大で複雑な空間
それらは人の手で作り上げられたのであった

ヴェリチカ塩抗  ポーランド

ポーランド南部。
この塩が見つかった場所は当時の首都クラクフとアウシュヴィッツの近く
どちらからも1時間ぐらいもかからない場所。
そんな場所にポーランドを根底から変えるものが眠っていたのである。

でも地図を見て欲しい。
クラクフの場所を。
海とはかけ離れていて、周りには塩の湖すらない。
どうしてこんな場所に塩が眠ったのであろうか?
それは遠い遠い地球の記憶

2000万年前、ポーランドのクラクフは海であった。
それが地殻変動によって一気に陸地が浮かび上がった。
その際、クラクフは塩の湖へと形を変えた。
そこから長い年月をかけて、水分が蒸発。
塩だけが結晶か、そして堆積していったのである。
700年掘り続けても塩がいっこうに無くなる気配が無いほどに。


それにしても何故「塩」なのだろうか?
現代の人にとってとくに塩を考えたことはないだろう。
しかし、このヴェリチカで塩が見つかった際、中世の人は塩を掘り続けた。
それは700年間で全長300km、深さは300m以上にも達したのである。
彼らは一体そこに何を見たのだろうか?
それは10世紀の伝説から始まる。

当時のポーランドの王は他国の王妃と結婚するために自国の王宮まで案内していた。
その際、王妃がある湖に婚約指輪を落としてしまう。
王は部下に命令し、湖の探索を命ずる。
すると部下は湖の地下に塩があることを発見。
同時に指輪も見つかったのであった。
しかし、王は指輪発見よりも塩の発見をたいそう喜んだ。

実は中世時代には塩は金と同じ額で取引されていたためである。
人間は生きていくために必要なものの一つとして塩があげられる。
中世の時代には内陸の人にとって塩はどうしても手に入れられないものであった。
このため、「白い金」といわれるほど高値で取引されたのである。
こうしてヴェリチカ塩抗の発見によりポーランドは塩の取引により繁栄をみせる。
それは当時のポーランドの国家資金の約1/3もの額をもたらしたのであった。

また、このヴェリチカ塩抗はただの塩の採掘所ではない。
労働者がただ塩を掘っているのがつまらなく、塩に彫刻をし始めたのである。
塩のシャンゼリア、塩の礼拝堂、塩の彫刻、塩の絵画などなど

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あげくの果てには塩の体育館までも造ってしまうしまつ。
しかし、これが世界でここしかない塩で出来た芸術が生まれたのであった。

こんなすばらしいヴェリチカ塩抗だが、世界遺産に登録されたあと危機遺産に登録された経緯がある。
それは世界遺産になったことと地下にあること。
みなさん、想像して欲しい。
密室にたくさんの人間が来るとどうなるか。
きっと蒸し暑くなって耐えられなくなってしまうのではないだろうか。
実は世界遺産に登録されて観光客が激増。
地下にある遺跡はその観光客が発汗する汗に侵略されていったのである。
汗の塩が塩抗の塩を浸食する。
この問題を抱え続け、1989年に危機遺産に登録。
いまでは、観光客が増えてもそれだけの喚起システムを導入して危機遺産から脱出したのであった。

ヴェリチカ塩抗は世界最古の岩塩鉱山の一つとして、さらにその後の採掘に影響を与えた場所として1978年世界遺産に登録された。
ここには白い財宝が眠っていたのである。



塩の世界遺産!!
おもしろいと思います。
実は塩ってホント貴重なものでいろんな場所で塩が世界遺産になってます。
また、この遺跡は世界遺産がなんなのかを考えさせた場所でもありました。
世界遺産は保存が目的であったのに、世界遺産になることで観光客が増える。
その後、観光客の多さに価値が無くなる寸前まで行った場所。
世界遺産になる前に保存方法を造っていかなければならないと教えてくれた場所です!!