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 【[雑学]アジア

世界遺産雑学90--平安京が残した日本の文化--
2000.12.30
 
世界遺産雑学90

--平安京が残した日本の文化--

桓武天皇
彼はここに中国の長安と同じような都市を建設した。
碁盤の目に区画された街
日本古来の首都


古都京都の文化財  日本

そして、時代はさらに移り変わり室町時代に突入する。
足利政権の誕生である。
足利一族は京都に本拠地を構えた。
こうして、京都に再びの繁栄が訪れるのである。
この時代には西芳寺(苔寺)、天龍寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺) 、龍安寺が建てられた。
ほとんどが足利の息のかかった建物である。
この室町時代の特徴として一つあげられる事がある。
「庭園」の文化ということである。
枯山水、借景庭園、浄土式庭園。
すべてはここで最高傑作が生まれたのであった。

苔寺は僧・夢窓疎石によって禅宗寺院として復興した場所。
ここには「枯山水」の最高傑作が残っている。
夢窓疎石は庭園建設の革命家であった。
その夢窓疎石が苔寺に採用した庭園こそ枯山水。
枯山水とは石組みや白砂のみを用いて自然景観を表現した庭園様式。
この枯山水がこれからの日本の庭園を根本的に変えるものとなったのである。
日本最高傑作にして日本最古の枯山水が残っている。

天龍寺はその夢窓疎石が足利尊氏にすすめて建てられたお寺。
ここにもすばらしい庭園が残る。
夢窓疎石は天龍寺には枯山水の技法ではなく、また新たな技法を用いた。
それこそ「借景庭園」である。
借景庭園とは文字道理、「借りる景色」のことである。
庭園の外の景色を取り込んで庭園を後ろの山などと一体化させる技法のことである。
この天龍寺の庭園こそ借景庭園の原型でありその後の日本の庭園に大きな影響をあたえたのである。

金閣寺は室町幕府3代目将軍足利義満が別邸として建てたもの。
その後、足利義満没後、僧・夢窓疎石によって禅宗寺に改められた建物だ。
この金閣寺はとてもおもしろい構造が残っている。
周りを金箔で覆われていることから金閣寺と呼ばれているのだが、その構造がとても傑出している。
一番下の階は公家が使用する寝殿造り、二階は鎌倉時代に使用された書院造り、三階は禅宗で用いられる禅宗様である。
すべての階で様式が異なる事は当時としても特異的な建築であった。
また、庭園も借景庭園と浄土式庭園を合わせた構造となっている。
金閣寺はすべてが折衷された建造物なのである。
しかし、この金閣寺には悲しい運命が待っていた。
1950年、金閣寺は放火により突然焼失してしまったのである。
現在見られる建築物はその後復元されたもの。
ほんの50年しか立っていないのである。

銀閣寺は室町幕府8代目将軍足利義政が別邸として建てたお寺である。
ここにも借景庭園として後ろの月待山と庭が一体化して見える様になっている。
銀閣寺は現存する室町時代の楼閣建築として貴重なものである。
実はこの銀閣寺と呼ばれるようになったのは江戸時代のこと。
足利義政が金閣寺をまねて造った事からここには銀が貼られていたのではという噂からついたものだ。
しかし、ほんの2ヶ月前に銀閣寺に銀は使われていなかったことが証明されてしまった。
それでもここは銀閣寺なのである。

竜安寺は応仁の乱の東軍の長とされる細川勝元が禅宗寺院としたものだ。
ここには日本一有名な庭園、石庭が残っている。
これも枯山水の庭園である。
作者は不明とされ、戦後エリザベス女王などが訪れたことから世界的にも有名になってしまった。
抽象美術であるかのような石の配置や個数、白い砂の文様などは人々の心を掴んで離さないのである。


こうして室町時代に再びの栄光を手に入れた京都ではあったが、とうとう没落の時代がやってくる。
戦国時代への突入である。
政権は大阪や江戸へと移っていくのであった。
こうして再び京都で繁栄がもたらされることは無かった。
そして明治に入りとうとう首都が東京へと移っていったのであった。
こんな激動の時代戦国時代中建てられた建物が本願寺(西本願寺)と二条城である。

西本願寺は浄土真宗・親鸞の墓所である。
実は最初の墓所は別のところにあった。
それが日本各地を転々と移されていたのである。
そんな中、政権を握った豊臣秀吉により現在の場所に移転されることになる。
現在残る建物の配置は浄土真宗の寺院として典型的な形をみせる。
また、西本願寺の奥には書院が残っており桃山文化を色濃く伝えているのである。
とくに書院の中に残る2つの能舞台はそれぞれ日本最古と日本最大の能舞台として有名。

二条城は徳川家康が上洛した際の居城として建てられた。
その後、徳川家光が拡張して現在の形式となったのである。
ここには桃山文化の武家書院造りで建てられ、城郭に残る書院として現存するものはここにしか無いと言われる。
また、ここは京都で最後となる歴史を刻んだ場所。
徳川幕府が天皇へ政治を返還した出来事
「大政奉還」
それ以降、日本では一人の人に権力が持つことが無くなった出来事であった。
そして、現代の世の中へ受け継がれている。


「平安京」
日本古来の文化を如実に表しているこの場所は京都市、大津市、宇治市にある古都京都の文化財として1994年世界遺産に登録された。
日本の心と文化がここに凝縮されているのである。



あ~、めちゃめちゃ長くなってしまいました。
ご静聴ありがとうございます。
日本の世界遺産はみなさんが日本の歴史を知っている分詳しく書かないといけませんでしたので。
おすすめは延暦寺です。
日本の宗教を変えたこの場所はもう雰囲気が普通のお寺と全く違います。
ここには彼らの心を動かす程の何かが眠っているのです。