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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学92--塩の城に生まれた天才--
2000.12.30
 
世界遺産雑学92

--塩の城に生まれた天才--

小高い丘に一つの城が建てられた。
この丘の下には贅を尽くした宮殿などが立ち並ぶ。
こんな街に一人の天才が生まれた。
音楽の天才「モーツァルト」


ザルツブルグ歴史地区   オーストリア

オーストリア西部、ドイツとの国境の町。
ザルツァハ側の両端にザルツブルグがある。
ザルツブルグとはドイツ語で「塩の城」を意味する。
ザルツ=塩、ブルグ=城ということである。
では、何故ここは塩の城と呼ばれるようになったのか?
今回は名前の由来から天才が生まれるまでの歴史を紐解いていきます。


時代は紀元前。
この場所から岩塩が見つかったことに始まる。
とくに塩は当時貴重なものであった。
それは金と同じ価格で取り引きされたほど。
塩が白い金と呼ばれる由縁である(雑学85参照)
こうして街は繁栄することとなる。

最大の繁栄を見せたのが10世紀以降
ザルツブルグに大司教が住むようになったことがきっかけとなる。
「司教座都市」
司教の座る椅子が設けられた大聖堂がある都市のことを指す。
司教とは布教や伝道活動をするもので、キリスト教の時代には彼らに大きな権力が巡ってくるのである。
ザルツブルグにもこの司教座が設けられた。
このため、司教はザルツブルグの塩で儲けた富と権力を支配することとなった。
彼ら司教は自分のために豪華絢爛な世界を造っていく。
大聖堂、宮殿、修道院、女子修道院など。
その中にはお城も造られた。
オーエンザルツブルグ城だ。

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小高い丘の上に建てられ、当時のローマ教皇と神聖ローマ帝国の対立のために建てられた城。
それは雄大なアルプスの元でザルツブルグを見守るように建っている。
この城が塩で儲けたお金で建てられたためこの地をザルツブルグと呼ぶようになったのであった。

こうして発展していく街に一人の司教が新たな息吹を芽吹かせる。
芸術という息吹。
1587年、ヴォルフ・ディートリヒ・ファン・ライテナウが司教となり町造りを始める。
彼はフィレンツェのメディチ家と親交があったためルネサンスにあこがれていた。
このため彼はザルツブルグをルネサンスへと変貌させていく。
また芸術家、音楽家の庇護も行っていた。
街は瞬く間に芸術の街になり繁栄をきわめることとなる。

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こうした中、このザルツブルグに一人の天才が生まれる。
1756年1月27日、旧市街の9番地に一人の子供が生を受けた。
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」である。

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彼は父を大司教に仕える音楽家という音楽の一家に育った。
4歳の時にはコードを覚え、6歳の時には既に完璧なピアノの演奏が出来たという。
神々しい天才
こう呼ばれた神童は司教が住む宮殿でもたびたび演奏することとなる。
そして、ヨーロッパ各地へと演奏旅行に出ることとなった。
旅行の中で、門外不出の賛美歌を一度聴いただけで譜面に起こしあげたという事実まで残されている。
現在、大司教宮殿(レジデンス)にはモーツァルトが演奏をしたとされる一室が残っている。
こうしてモーツァルトはオーストリアが生み出した天才としてオーストリアが発行する1,2ユーロ硬貨の裏に描かれているのである。




芸術の街ザルツブルグはヨーロッパにおけるキリスト教都市の見本として、天才モーツァルトが生まれた場所として1996年世界遺産に登録された。
ここは「北のローマ」「北のフィレンツェ」と呼ばれたほど繁栄した証が残っている。



ザルツブルグには行ったことあります!!
何日いても飽きない。
ホントに見所満載です。
モーツァルトが子供の時に使っていたピアノなども置いてありました。
景色は最高、お酒もおいしかった、川も流れていてのどかな感じもあります。
すべてがほんと良かったです!!
ただ一つ、食事をのぞいては・・。