マジですか。
休日のはずが急きょ移動。
はじめてのイタリアがこんな形で。
おはようございます。
ほんとにぐっすりと寝かせていただきました。
昨日は疲れていて泥のように寝ていたからね。
さて午前中はのんびり日記を書こうかと思っていました。
だからゆっくり朝食を食べて。
取り合えず、宿を一泊延長しないとと思ったわけです。
そしてフロントに行ってみると、、、大変な事態に。
なんと本日はフルだから出ていってほしいといわれて。
、、、、、しょうがない宿を変えないとと思ってもう一つの宿に行ってみると。
、、、、そちらもFULL。
もしかして本日金曜日だからいっぱいなのか。。
ともかくもうデヴァチャでは泊まる場所がないので移動をしないと。
でも荷物を一切まとめてないんですが。
しかも列車の時間は20分後に出発。
そして次の列車の便が4時間後。
、、、、、、、まずい。
こうなったら最速で荷物の片づけです。
片付けと言っても次の宿で片付ければいいからとりあえずすべての荷物をバックに入れるという感じで。
手当たりしだいバックの中に入れているのでいったいどこにものを入れているかわからないぐらい。
大事なものだけしっかりと片付けて。
あとは宿に何も残っていないのを確認してから、あわてて駅に向かいました。
駅に到着したのは列車の出発の2分前。
ま、間に合った。
もう汗かきまくりで、息も切らしているのですが。
ともかくすぐにチケットを買って。
列車を待ちました。
列車は5分遅れて到着して。
まあ汗をかいたまま乗り込みましたよ。
とりあえず、息を整えて列車の到着を待ちました。
というかこれ途中で乗り換えないといけないらしく。
すぐに列車は到着してまた乗り換えです。
なんか休まる時間が一切ないんですけどね。。
こうしてようやく列車はノヴィ・ゴリツァという街に到着しました。
実はこの町、とても悲しい歴史が残っているのです。
イタリアとスロヴェニアというのは昔でいう民主主義と社会主義の境界線。
そこには誰も越えられない鉄のカーテンが存在したのです。
しかもゴリツァは町を二分されそこで人の生活が分断されてしまったのでした。
近年ユーゴスラビアからの独立やシェンゲン協定によりイタリアとの国境が検査なしで通れるようになり。
そこにはただの国境があるだけになったのです。
ノヴィ・ゴリツァの駅を降りてみるとその目の前は何とイタリア。
というかこんな目の前に国境があっていいのかというかんじです。
町の目の前が100mもないのに国が変わってしかも昔はこの距離を通り抜けできなかったというのですから。
ほんとに目の前にあるから驚きです。
今だから何もないのですが、昔は国境検問所もこの狭い場所に存在していたみたいですし。
信じられない世界がここには残っています。
ということであっさりとイタリア入国。
こうしてゴリツァの街に入ったので今度はイタリア側の列車の駅に行かないといけないので。
バスに乗り駅に向かいました。
そして続いての世界遺産の場所に行くために列車の時間を聞いてみると。
なんとバスで行けと言われるではないですか。
聞いた情報によると、ここから列車で乗り継いでいかないといけなかったのに。
どうやらバスの直行があるみたいです。
さっそくバスの時間を調べてみると1時間半後にバスが出発するとのことで。
写真の整理や昼食を食べて時間を過ごしていました。
こうして時間になってバスが到着して。
バスに乗りゆったりと。
と思いますが、ゆったりとできるわけもなく。
何しろどのぐらいでつくのかさっぱりわからなかったので。
ずっと道の標識をみて目的地に到着したかを確認しなければならなかったので。
でも隣にやさしいおじさんが乗っていて。
親切にいろいろと教えてもらいました。
こうして本日の目的地アクイレイアに到着。
さっそく、ユースホステルに泊まることにしました。
ここもいっぱいだったら俺泣くしかないんですが。
ともかくユースに到着してさっそくあいてるかと確認すると。
普通に空いてました。
2泊すると告げて、あとは部屋に引きこもり。
というか荷物の整理などをしていましたけどね。
あとさらに失敗したことがありまして。
洗濯をしようと思い洗剤を買いに行ったのはいいのですが。
、、、なんと、使ってみると漂白剤でした。
色が落ちていく。。。
というかイタリア語だから真っ白に洗っているのを見て買ったのですが。
まさか漂白剤だとは。
まあ、石鹸があったのでそれで洗濯しましたけどね。
そしてその後はひたすら日記を書いていました。
ほんとに膨大な量を残してしまったので片づけるのに苦労しますけど。
明日にはある程度のところまで終わらせようと思っています。
明日はのんびり観光と一生懸命日記をがんばりますね。
とりあえず本日は書けるところまで日記をがんばります。