TOP > ひさほゆうのリアルタイム世界遺産旅行ブログ

カテゴリー
ひさほゆうが独自の視点で世界遺産を解説!
最新コメント

 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学93--美しい広場が血で赤く染められた時--
2000.12.30
 
世界遺産雑学93

--美しい広場が血で赤く染められた時--

ここは世界で一番大きい国の中心
世界の歴史を動かしてきた場所
激動の歴史を見続けた・・。
戦争という歴史を。


モスクワのクレムリンと赤の広場  ロシア

世界二大大国の一つロシア。
このロシアの首都モスクワにある宮殿と広場がクレムリンと赤の広場である。
ここはロシア王国が居城と定めた場所。
以来、この場所は世界の歴史を見続けることになる。
すべてはこの場所から繋がっているのである。
血で染められた悲しい過去を持つこの場所から。

モスクワの歴史は12世紀半ばに始まる。
木製の城塞を築いたことがきっかけ。
これにより城塞の意味を持つクレムリンと呼ばれるようになった。
しかし、この時代は諸公国があらそう群雄割拠の時代であった。
このためあまり発展することはなかったのである。

クレムリンが栄光と繁栄を迎えるのは15世紀。
諸公国を統一したイヴァン3世が木造のクレムリンをレンガ造りに変えたことに始まる。
そしてイヴァン3世はここにローマと同じような街を建設することを望む。
こうしてクレムリンの中心部には聖堂などが建ち並ぶようになる。
玉葱頭の独特な教会。
西洋とロシアの文化を忠実に融合した建築。
また、東方正教会からロシア正教会へと独り立ちした瞬間でもあった。

それと同時期に造られたもの。
中心に構える赤の広場である。
広場は交易を発展させるために造られた。
そしてここには各国の様々な交易品があつめられるようになる。
色とりどりの商店に様々な商品。
このため、人々は次第にここを「赤の広場」と呼ぶようになる。
それは当時のロシア語に赤=美しいという意味があったため。
美しい広場と名付けられたのであった。
しかしこの場所が本当の赤の広場となってしまう。
血と兵器の広場へと。

それは、16世紀当時の国王イヴァン4世から始まる。
彼はロシア正教の熱心な信仰者であったとともに残虐な一面も持っていた。
現在赤の広場に面する聖ヴァシーリー聖堂は当時木造の聖堂しか無かったロシアに置いて初めて石造で造らされた聖堂である。
この聖堂があまりにも美しく、壮大であったためイヴァン4世は
「これほど美しい聖堂を二度と造れないように」
と、建築家の目をくりぬいてしまうのである。
また彼は赤の広場を公開処刑の場所としてしまう。
彼に刃向かったものはすべて血の広場へと送られたのであった。

その後、赤の広場は世界史の中心に建つ。
17世紀には民衆蜂起を指揮した指導者が処刑。
19世紀にはナポレオンがモスクワに侵攻。
ここで死闘が繰り広げられた。
そしてナポレオンの敗退。
失脚までの歴史を刻む。
20世紀には社会主義を成立させたレーニンのお墓がこの場所にある。
現在でも防腐処理をされているレーニンをみるためにたくさんの人が並ぶ。
ソビエト社会主義共和連邦が成立した証でもある。

こうして、歴史を見続けた赤の広場は冷戦という穏やかな日々を取り戻す。
しかし、中心のクレムリンでは歴史が動かされていた。
キューバ危機
朝鮮戦争
などなど。
すべての戦争はここの場所から生み出された。
血の流される戦争を。



クレムリンと赤の広場はロシア正教会の聖域としてロシアの伝統的な建築とイタリアの建築の融合する建物として、そして歴史上の重要な事件と深い関わりを持つ場所として1990年世界遺産に登録された。
ここには近代の歴史がすべて詰まっているのである。




ここは悲しい世界遺産の一つです。
栄光の影には残虐な歴史もあります。
美しい広場が血の広場へと変わりゆく悲しさ。
とってもつらい歴史です。
でも、反面ここには大国としての栄光があります。
巨大な宮殿、美しい聖堂。
訪れてみたい場所です。