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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学98--ヨハネ騎士団が守り抜いた街--
2000.12.30
 
世界遺産雑学98

--ヨハネ騎士団が守り抜いた街--

宗教を守るためにこの場所に騎士が派遣された
それは「ヨハネ騎士団」
ここはたくさんの血が流れた場所
地中海のど真ん中の島


バレッタの市街  マルタ

イタリアのシチリア島の南にある国
マルタ
この首都がバレッタである。
現在バレッタには重苦しい城壁に囲まれている。
この城壁こそ過去において戦争があった証
血の流された歴史

時は16世紀。
このマルタ島に一つの騎士団がやってきた。
「ヨハネ騎士団」である。
彼らは一つの使命持っていた。
ヨーロッパの国々とキリスト教を守ることである。

当時、トルコで巨大な帝国が成立していた。
オスマン帝国である。
オスマン帝国はイスラム教徒の国であり、キリスト教東方正教会の総本山ビザンツ帝国を占領していた。
そして彼らはその強大な軍事力を元に地中海世界を征服し始めたのであった。
この強大な帝国の成立に驚いたのがヨーロッパである。
彼らは次々と征服される地中海世界においてマルタ島を最終防波ラインとして軍事力を派遣した。
マルタ島は地中海の丁度真ん中にあり、南はイスラム教があるアフリカ大陸、北はキリスト教のイタリア半島と宗教に置いても真ん中の場所にあったのである。
ここに派遣されたのがヨハネ騎士団であった。
実はヨハネ騎士団は一度オスマン帝国に負けた集団。
その前はトルコのロードス島を移住地とし、イスラム教から守っていたのである。
しかし、彼らはロードス島で敗退。
彼らは新天地を求めて各国の王に謁見。
そして、スペインの王にあった際にマルタ島の防衛を任されたのであった。

こうして、ヨハネ騎士団はマルタ島の守備についた。
そしてすぐにヨーロッパの覇権をねらうオスマン帝国がマルタ島に侵攻するのである。
オスマントルコ軍5万人。
対してヨハネ騎士団1万人。
この戦争が始まるとマルタ島は激戦の地となる。
当初はオスマン帝国の圧倒的な戦力のため、すぐに崩落してしまうと思われた。
しかし、ヨハネ騎士団は何とか持ちこたえ、シチリア島からの味方が到着すると激戦の末にオスマン帝国を破ったのであった。
この際に、広大な大地に付着した血の地面、地中海に面した港の真っ赤な血の湾など膨大な人々が命を失ったのである。

そうして、戦争を勝ち抜いたヨハネ騎士団に栄光の日々が待っていた。
その後、オスマンが去ってからは彼らがマルタ島の覇権を握ったためである。
とくに騎士団長の居城は本人の意向で政治の場は豪華で有りたいということから、煌びやかな装飾で邸宅を飾ったのであった。
また、その権力で様々な空間やきらびやかな物を飾っていったのである。

しかし、時代が変わるにつれてこの権力が効果を失ってくる。
厳格だった思想がゆるんでくるのであった。
こうして統率が取れなくなった騎士団は1798年ナポレオンによりマルタ島を追放されるのである。
この瞬間マルタ島の栄光は終わりを迎えた。
それは270年も栄えた栄華であった。
ヨハネ騎士団はその後、ローマに本拠地を置き現在も貧しき人を救っているのである。

現在、バレッタにはかつての戦争と栄光の足跡が残る。
激戦となり数百人が亡くなった城壁
海からそそり立つ堡塁
床すべてを大理石のモザイクで飾った聖ヨハネ大聖堂
権力の中心だった騎士団長の宮殿など
バレッタはまさにヨハネ騎士団の歴史を物語っているのである。


マルタの首都バレッタは城塞建築に優れた例であり騎士団の歴史を物語るとして1980年世界遺産に登録された。
街を造ったラ・バレット騎士団長から名をとった場所である。



ここ!!
是非行ってみたい。
ホントに綺麗な街なんです。
城壁と宮殿のバランスがいいというか、地中海の真ん中にあり海岸線が綺麗というか。
ここには絶対行ってみせます。