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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学99--世界最大宗教の最大の聖地--
2000.12.30
 
世界遺産雑学99

--世界最大宗教の最大の聖地--

この場所に立てば神を信じてしまう。
そう思われるほどこの場所は荘厳にして壮大。
世界最大宗教キリスト教の聖地
すべてはここから歴史が作られた。


ヴァティカン市国  ヴァティカン市国

イタリア、ローマ。
この中にある面積わずか0.44km2、世界最小国家がヴァティカン市国である。
しかし世界最小国家ではあるが普通の国と何ら変わらない。
独自の通貨があり、切手もあり警察署・消防署・郵便局・駅などすべてがこの小さな国に詰まっているのである。
この場所はかつてヨーロッパの歴史を動かしてきた。
それは一人の男のために造られた聖堂から始まり、カトリックの総本山までなったのである。

時は紀元64年。
ローマである一人の男が処刑された。
十二使徒の一人「ペテロ」である。
十二使徒とはキリストに直接仕えた弟子を指す。
「聖トマス」「聖マタイ」「聖小ヤコブ」「聖タダイ」「聖シモン」「ユダ」「聖ペテロ」「聖アンデレ」「聖大ヤコブ」「聖ヨハネ」「聖ピリポ」「聖バルトロマイ」の12人である。
彼らはキリスト亡き後、彼の信念を伝えるために各地に散らばる。
そしてローマにたどり着いたのがペテロであった。
ペテロはキリストの最初の弟子。
キリストが処刑された際にキリストと関係の有る人も処刑されようとされ、自分は無関係だと言い続けた。
ペテロはその事を悔やみ続けローマの地で布教活動に専念したのであった。

しかし、時代はローマ帝国時代。
当時のローマ帝国には別の宗教が存在した。
このため、キリスト教は異教徒であったのである。
そして皇帝ネロがペテロを迫害。
ついにはヴァティカンの地で亡くなってしまうのであった。
こうしてその地に埋葬される。

そしてペテロが亡くなったその後もキリスト教が迫害されてきた。
しかし、時代は移り変わりとともに変化する。
それはローマ帝国の民衆のほとんどがキリスト教を信仰してしまうのである。
このため皇帝もキリスト教を無視出来なくなる。
やがて一人の男によって改革が行われる。
「コンスタンティヌス帝」
彼はローマ帝国の国教をキリスト教と定める事を決定。
ペテロが埋葬された地に聖堂を建設した。
これがヴァティカンの始まりでもあった。
実はこのコンスタンティヌス帝はビザンツ帝国のコンスタンティノープルを造った人物。
キリスト教を国教とし、カトリックと東方正教会の聖地を作り上げた重大な人物であったのである。

その後このヴァティカンが大きく発展するときがやってくる。
聖堂の老朽化である。
聖堂が老朽化したため、新しい聖堂を建てることとなった。
こうして1506年教皇ユリウス2世によって聖堂の建設が開始される。
それはちょうど、ルネサンスと重なる時期であった。

このヴァティカンの建設においてある一人の芸術家を紹介しなければならない。
「ミケランジェロ・ブオローティ」
レオナルド・ダ・ヴィンチと同じ時代を生き、天才の名前を手にした彫刻家である。
しかし、彫刻だけでなく絵画・建築などすべてのジャンルに置いても彼は天才であった。
ミケランジェロはフィレンツェのメディチ家の支援を得て芸術を学ぶ。
そして30歳になったときに教皇の目にとまるのであった。
こうしてミケランジェロは教皇にある仕事を頼まれる。
システィーナ礼拝堂の壁と天井への絵画である。
当初ミケランジェロはこの依頼を断ってしまう。
それはミケランジェロが彫刻家であったためであった。
しかし、教皇の命令には逆らうことが出来ずとうとう天井画の作成を始める。
それは想像を絶する作業であった。
毎日天井に描くために寝ながらの作業。
絵の具は滴り、顔や服は色まみれ。
目に顔料が入ることもよくあり、失明の危機さえあったほどだった。
ミケランジェロはこんな作業を4年半も続け一つの作品を完成させた。
「最後の審判」である。
キリスト教のあらゆる場面を描いたこの作品は壁画の最高傑作と言われるほど。
あまりにも見事なことから除幕式の際にミケランジェロは神のごときと呼ばれたのであった。

その後ミケランジェロはサン・ピエトロ大聖堂の設計を手がける。
聖堂の中にある円形の天井はその時設計されたもの。
その巨大さには誰もが目を疑ったのである。
また、ミケランジェロはある一つの作品を完成させていた。
ミケランジェロの最高傑作にして、彫刻史上の最高傑作。
「ピエタ」
聖母マリアが処刑されたキリストを抱く場面を描いた彫刻。
真っ白な大理石で掘られた作品であるが、驚くべきはその精密さ。
石であるのにそれはまるで柔らかい物で造られた雰囲気をかもしだす。
その彫刻がこのサン・ピエトロ大聖堂に置かれているのである。

こうして完成したヴァティカンはその後動乱の世界へ突入する。
現代への移行である。
ローマ帝国滅亡後イタリアは教皇領となっていた。
それが現代に移り変わり、イタリア王国統一の際に教皇領は併合。
この事件がきっかけで教皇とイタリア政府が対立。
このため一次、ヴァティカン市国は消え去った。
しかし、1929年ラテラーノ条約により正式に和解。
はれて世界最小国家ヴァティカン市国が誕生したのであった。
そしてそれから10年後このヴァティカンにおいて驚きの発見がある。
聖ペテロの墓の発見である。
長年にわたりペテロの墓は不明であった。
それどころかペテロの墓が有るのかも分かっていなかった。
この発見が世紀の大発見となったのである。


ヴァティカン市国
キリスト教にとってもっとも重要な場所であり、数々の芸術品がバロック・ルネサンスにおけるもっとも重要な作品であることから1984年世界遺産に登録された。
まさしくここは国が世界遺産なのである。




ヴァティカン市国
キリスト教の総本山としてすごく行ってみたい。
ここに行かなきゃ日本に帰れない。
それぐらいの想いのある場所です。
とくにピエタ!!
彫刻の最高傑作。
この前に一時間以上いそうです。。。