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 【イタリアの世界遺産

世界遺産「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」(2)
2009.06.10
 
2009年6月10日    575日目


現在に現れた古代ローマの街

そこは火砕流に埋まるという悲しい過去を持つ

しかしこのため昔ながらの街を残すという特異的な場所


とりあえず、起床。

でもやる気がなく。

のんびりとすごしていました。

何しろ、昨日の疲れがいまきていますから。

正直、本日観光を諦めるぐらいまで。

が、いい加減観光をしないとまずいので。

午前も遅い時間から活動開始しましたよ。

なんかネットをずっとしてしまうのですよね。

ゆっくりと駅に向かい、そのまま列車に乗り込んで。

30分ぐらいでエルコラーノに到着しました。

エルコラーノの駅から遺跡までは少し離れていて。

最初はどこに遺跡があるかわかりませんでしたが。

ようやく標識を見つけて、エルコラーノの遺跡に辿り着くことができました。

エルコラーノはポンペイと違い街の規模が小さい遺跡。

そしてヴェスヴィオ火山から最も近い遺跡なのです。

そのためこの遺跡はポンペイとは少し違う形で残されています。

それこそ溶岩です。

ポンペイは火砕流だけで埋まった街に対して、エルコラーノは火砕流と溶岩が突然押し寄せてきて沈んだ街なのです。

これにより、町は一気に沈み溶岩により様々な木造物が燃えたのです。

なにより、これにより、木造建築物が一気に炭になったこと。

ゆっくり燃えて形がなくなるよりも一気に燃えて炭になったために当時の木造建築がそのまま保管されてしまったのです。

このためエルコラーノの方がより忠実に古代ローマの街が残されたのです。

ただエルコラーノは掘り起こすのが大変な遺跡でした。

何しろ溶岩が混ざっていたために大地は岩を含み、その発掘は難航を極めたのです。

しかし、ようやく掘った時にはポンペイよりも鮮明な街がそしてしっかりとした内部の壁画が残されていたのです。

チケットを購入して中に入るとそこは斜面に掘られた街が現れてきます。

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もちろんエルコラーノ自体も斜面に作られた街で。

小さい街ながらも碁盤の目に区切られていました。

何より一番びっくりしたのが、その斜面を削った量です。

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現在の街よりもだいぶ深い所にあり、当時の斜面はだいぶ下にあったことがわかります。

きっとこれが一瞬にして、埋まったのでしょうか。

人々の悲鳴とともに。

さてようやく街に入ると、そこは石造りで作られて街が存在します。

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何より一番驚くのはポンペイよりもしっかり残されていることにあります。

中には二階部分もしっかり残されていて。

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当時どのような建物だったかが鮮明に残っているのです。

通りもしっかりと保存されていて。

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まるで本当に古代ローマにタイムスリップしたかのようなのです。

ほんとに古代ローマの街って一見すると今と大差ないような気がしますね。

しっかり都市計画もされているし、石造りの2階建の家が並んでいるのは先進国ではないですが、発展途上の国なら今だにこんな感じですから。

ただこの町はそれ以上に建物の内部がすごいのです。

エルコラーノの街の半分ぐらいの建物に入れるようになっていて。

入口を入るとほとんどが中庭に直結している家になっています。

中庭といってもほとんど天井で囲まれていて中心部分だけ少し穴があいているという状態ですが。

その広い空間からたくさんの部屋が存在していて。

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当時の家の構造が簡単にわかります。

ただ、これは一般家庭ぐらいの家で。

権力の持っている家になると中庭が完全に植物が植えられている中庭になり。

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水路を張り巡らされている豪華な中庭も存在するのです。

特にそんな家には部屋の壁に豪華な壁画が描かれており。

赤い朱色の色が主体の壁画が描かれているのです。

ただ、あまり鮮明に残っていないために何が描かれているのかわからないものが多いのですが。

だだし家の中には鮮明に残されているのもあり。

それはまるで当時のローマ時代の風景を描いているものでした。

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当時の建物や人たちが描かれているのですからね。

そのほかにも浴場などがあり。

そこは浴場だけあって、しっかりとした建物が作られており。

天井まで残されているのです。

しかしここで驚いたのが床部分です。

床にはしっかりとしたモザイクが残されていて。

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それは誰が見てもタコの絵が描かれているのです。

当時はお風呂にはこのような床が使われていてここで人々は憩いの時間を過ごしたのでしょうか。

またモザイクが壁に使われている家も存在し。

それはネプチューンとアンピトリティスの家と呼ばれている場所。

内部に入ってみるとそこには鮮やかなモザイクが壁を覆っているのです。

非常に小さい部屋ですが、その部屋一面モザイクが残されていて。

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特に男女の姿はほんとに古代ローマ時代の技術で作りだしたのかと思うぐらい細かくて芸術性の高いモザイクなのですよ。

あまりにも美しくて一瞬現実を忘れるかの様です。

ここはもともと噴水が作られていたみたいで、水の音とともにこのモザイクを楽しむ場所だったのですね。

街を歩いてみると街の所々には商店だったとわかる場所もあり。

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通りに面した場所に窯が存在しているのがわかるのです。

でも台の中に亀が入っているような状態なので。

この中に商品を入れていたのか、窯だったのかよくわからないのですが。

もし窯だったら小麦を練ったものをこの亀に貼り付けて焼くというナンを作るような感じだったのでしょうか。

このような構造は今でも中央アジアで見ることができますから。

もちろんそのさらに内部に行くといくつかの部屋に分かれていて。

その中には柱も存在して。

古代ローマの世界が今でも見ることができる状態なのです。

ほんとにエルコラーノは今でも古代ローマを姿を私たちに見せつけているのですね。

それにしてもなだらかな斜面にできている街なのですが。

突如として段差のある場所があるのです。

街のいちばん南なのですが、崖のような雰囲気を醸し出しているのですよね

海まで緩やかな斜面なのにここだけいきなり下に落ちるような場所にあるのか不思議です。

しかもそこに家までしっかり建っているのですから。

エルコラーノは特殊な場所に建設された街なのかもしれないです。

ただやはりヴェスヴィオ火山からすごい近い場所に作られた街というのは街とともに火山が見えることからもわかります。

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街の斜面を登っていくと、遠い場所に火山がありますから。

古代ローマの人たちにとっては普通の山だったのでしょうか。

それが突如牙をむいて、襲ってきたのですから。

逃げまとう暇もないですよね。

あの山から赤い溶岩流が流れそしてこの町を襲ったのでしょうか。

でもこれだけ海が近いと逃げ切れるような気もしますけど。

ただ自然の恐ろしさは分かっているつもりなので。

火砕流なんかは車どころか新幹線ぐらいのスピードで迫ってきて。

一気にすべてを飲み込んでしまうのですから。

そんな情景を想像するとなんか悲しい気分になってきます。

まあ、結構小さい街ですので。

観光は比較的早く終了して。

すぐさまナポリに戻ってきました。

帰りがけにもちろん夕食を作るための食材を買いに行きましたよ。

この宿は自炊ができるのでずっと自分で作って食べています。

基本自炊ができても、周りの店が安かったらそちらを食べに行くのですが。

イタリアはすべてが高い。

しかも食事も偏ってしまう。

ケバブとか中華料理をよく食べていたぐらいですから。

これによりイタリアで自炊ができるならずっと自炊をしてしまうのですよね。

相変わらずおいしいものは作れませんが。

おなかがいっぱいになれば何でもいいというたちなので。

ある意味旅の楽しみのひとつを損しているかもしれないです。

こうして宿に戻ってからは。

ずっと日本人の方と話していました。

もうかれこれ1週間以上同じ宿に泊っているのでしょうか。

一日、先にナポリに行ったぐらいで。

結構会話も合うので楽しいです。

おかげで日記は全く書いてませんけどね。

さて明日は休養します。

あさってには違う世界遺産でも行くとしますか。