TOP > ひさほゆうのリアルタイム世界遺産旅行ブログ

カテゴリー
ひさほゆうが独自の視点で世界遺産を解説!
最新コメント

 【チュニジアの世界遺産

世界遺産「カルタゴ遺跡」
2009.06.18
 
2009年6月18日    583日目


ハンニバル

この有名な人こそカルタゴの将軍

古代ローマ帝国を苦しめた唯一の文明


なんか良く寝れたね。

でもやっぱり、夜は暑いので。

ファンがあるホテルへ移ろうかと思うこのごろ。

朝も比較的早く起きたのに、一向に観光に出発する気もないので。

正直言って、本日休日にしたかったぐらい。

でも明日を休日にする方がいろいろと都合がいいので。

宿変えるにしてもいいし、何より明日は金曜日でイスラム教では休日ですからね。

ということで本日は頑張って観光することにしました。

とりあえずゆったりと準備をして。

そしてその後は宿を出発して、近郊列車の駅へ向かいました。

宿から歩いて15分ぐらいしてようやくTGMという列車の駅に到着。

切符を購入して、列車に乗り込みました。

この列車が人も多いし冷房なんてものがないからすごく暑くて大変でしたよ。

こうしてようやく目的地に到着。

駅の目の前には何もないので歩いて遺跡まで行くことに。

意外にのどかな住宅街を進んでいくのでびっくりです。

そしてようやく到着した場所こそ世界遺産「カルタゴ遺跡」です。

地中海の覇権を手にしたフェニキア人

その中心都市がこのカルタゴです。

ちょうど地中海の真ん中にあり、ここを支配することで交易を盛んにさせました。

またカルタゴは肥沃な大地の近くにあり、たくさんの穀物をとることができたのです。

こうして瞬く間に繁栄したカルタゴにはその後戦争という歴史が待っていました。

それこそポエニ戦争です。

これは古代ローマとの覇権を争い、戦った戦争。

合計3回もの激戦を繰り返し、一回目は敗北。

二回目は英雄ハンニバルが北イタリアからアルプスを越えるという偉業を成し遂げ、ローマをせめて勝利

しかし三回目の戦争によってカルタゴの街が占領され破壊されてしまったのです。

その後ローマの支配下にはいったカルタゴですが、ここに古代ローマの植民都市が建設されてから再びこの地は繁栄を迎えるのです。

立地条件や肥沃な土地によりここはローマ帝国で2番目に巨大な都市へと変貌

ローマと変わらない設備が作られ、大浴場や円形闘技場なども建設されました。

こうしたカルタゴの遺跡はその後時代の波によって歴史の幕を降りましたが、ここには古代ローマの都市遺構が鮮明に残り、さらにフェニキア人の遺跡も残る唯一の場所として世界遺産に登録されたのです。

最初に向かったのはローマ人の住居です。

 alt=""title=""

ここは小さな丘に築かれた街並みが残る場所で、当時から都市設計がなされていたことがわかる場所となっています。

中に入ると突然草原ではないですが、荒野の中にいたるところに礎石が残る場所が現れてきて。

丘の斜面に並んだ住宅街が見えてきます。

街の中には石畳の道が並び。

 alt=""title=""

いたるところに礎石が細かく配置されていていくつかの部屋を形成しているのです。

中でも一番驚くのは丘の上にある家

ヴォリエールの別荘と呼ばれるこの家は、なんと昔の姿をそのまま復元されており。

丘に面する部分には広い庭が広がり、その床にはモザイク画が。

その庭を囲むように建物が配置されていて。

 alt=""title=""

そこから眺める景色は最高です。

当時の人たちはこんな贅沢な暮しをしていたのですね。

絶景ですから。

こうしてローマ人の住居をあとにして、続いてはローマ劇場へ

最も繁栄した時で1万人も収容したという、劇場。

それは今まで見た中でもかなり巨大な方で。

 alt=""title=""

半円形に作られた劇場は、古代ギリシャと全く同じ構造をしており。

アフリカ大陸で見ていると思うとなんか不思議な感じがします。

ここまでヨーロッパの文化があったという事実に。

何しろ千数百年前の話なので、地中海を越えてきたというその事実がすごいです。

私が見に行った時には近々コンサートがあるのか、舞台の設置をしていました。

ここで一度コンサートを見てみたいものです。

ちなみにやはり劇場の構造はギリシャで見たのと全く同じでした。

劇場を見たあとは海側に向かい、アントニヌスの共同浴場に行きました。

ここはローマ帝国でも3番目に巨大な共同浴場で。

100以上の部屋を持ち、サウナなどさまざまな施設があった場所。

現在では礎石や一階部分が多少残っているほど。

 alt=""title=""

しかし、そのロケーションにびっくり。

なんと地中海の海の目の前に作られており、景色がいい。

 alt=""title=""

そしてその礎石を見るとすごく巨大で、建物自体もあまりにも広く。

これほど巨大な共同浴場が必要だったのかと思うぐらい。

遺跡の中には修復されて数本ほど柱が残っていて、それがあまりにも高いのに驚きです。

柱がこれだけの高さなので、そこから屋根が付きますから当時はもっと巨大な建物だったというのが予想ができて。

海沿いにこれほどの建造物があったら正直驚きますよね。

それが浴場だって言うのならなおさら。

あまりにも人が小さく見えるのでびっくりです。

ある部分には崩れた大理石部分が残されており。

 alt=""title=""

当時は大理石で覆われた遺跡だったというのがわかります。

巨大な建物に白亜の浴場

そこは楽園のような風景だったのでしょうか。

もし過去が見れるなら一度見てみたい建物です。

浴場が見終わった後は、カルタゴで一番高台にある遺跡を見に行ってきました。

ここはビュルサの丘と呼ばれており、カルタゴの中心地であった場所とされています。

小高い丘の上にあり、登ってみるとそこは360°一望できる景色が待っています。

 alt=""title=""

地中海や、チュニスの街、そして内陸部など。

ここではどこから攻めてきても一目瞭然の場所にあるのです。

その中にたくさんの柱や壁などの礎石が残されています。

実はこれ、ローマではなくフェニキア人の方の遺跡とされているのです。

しかも礎石部分から一階建ではなく数階建の建物だったことがわかっており。

 alt=""title=""

こここそフェニキア発祥の場所といわれているのです。

このためフェニキアの女王の伝説すら残っているところ。

ここから見る景色は最高です。

カルタゴの街を一望できますし、下から見ていると一見平地が多いように思われましたが、丘などが乱立している場所だと気が付きます。

地中海も眺められますし、そこにあった港なども確認できるからです。

 alt=""title=""

そこに一緒に遺跡も眺められますから。

絶景の姿を一度見てはいかがでしょうか。

ビュルサの丘の隣にはカルタゴ博物館があり、ここで発掘された生活用品などが見ることができます。

あとは神々の像やモザイク画などもおかれていて、当時の生活が鮮明に伝わってくるようでした。

というか何よりびっくりしたのが、当時のカルタゴの街の想像図。

そこは碁盤状の区画整理が行われており、円形の港が存在する計画都市だったということ。

 alt=""title=""

当時ってそんな技術あったの。。

これは予想以上にしっかりとした街並みに驚きました。

何より港が、運河みたいなところを通って、円形の輪のような場所に出てそこに船を係留するというかなり高度な技術がつぎ込まれていて。

確かにこれだったら嵐が来ても何の問題もないけど。

フェニキア人の技術ってこれほどまでとは思ってませんでした。

どおりで地中海の覇権を手に入れるわけです。

博物館が終了してからは丘を下り円形闘技場に行ってまいりました。

小さな林の中に隠れた円形闘技場。

当時は36000人ほど収容し、ローマ帝国の中でもかなり巨大な闘技場だったのです。

ここでたくさんの人が争い、そして多くの血を流してきた場所。

周りでは歓声が響きその命の駆け引きを楽しんだのです。

さて円形闘技場に到着してびっくりしたのは、、観客席がないことでした。

 alt=""title=""

戦った場所はかなり巨大で、地下には通路も存在しますし。

入場口もたくさん存在して迫力のある闘技場なのですが、人が見る場所がなくなっているのです。

というのもここには闘技場の周りに巨大な観客席が作られていたのですが。

イスラム教に占拠されたあと、資材の調達のためにここの観客席の石をすべて持ち去られてしまったのです。

11世紀ごろ訪れた人は円柱のアーチの上にさらにアーチが重なりそしてたくさんの彫刻が存在する闘技場と伝えているのですが。

今ではその面影が一切ないのです。

 alt=""title=""

チュニスの旧市街ではカルタゴの遺跡からたくさんの資材を持ってきたというのでここの遺跡の物が使われたのではないでしょうか。

今となってはさみしい闘技場となっているのです。

そして今度は海の方に向かい、古代カルタゴの港へ向かいました。

これは博物館にかいてあったように円形の港に運河があるような場所。

現段階では円形部分の一辺が海とつながってしまい。

運河部分もつながっていなく、ただの池があるように見えるだけ。

 alt=""title=""

しかし実際見てみるとそこは人口で作られた場所というのが一目瞭然なのです。

その姿はドーナッツ状の池がきれいに残る場所。

1/4ほどすでに埋め立てられていますが。

それでもここに船が集まっていたと思うとなんだか楽しいですね。

中心部や周りに船があげられて、置かれていたみたいで。

内部の一角にはその上にあげた場所の礎石が残されていました。

 alt=""title=""

それはあまり大きい船ではなかったことが想像できます。

大型船ではなく40人ぐらい乗れる船が作られていたという証拠でしょうか。

当時はこれだけの大きさで地中海を渡ったということですね。

ただカルタゴにしては港が小さいような気がします。

もう少し大きくてもいいような感じですが。

それでも当時の港の形が鮮明に残されているというのも素晴らしいですね。

そして本日観光の最後にトフェと呼ばれるタニト神の聖域に行ってきました。

ここには小さな墓が乱立する場所。

実際にここでは小さな子供の遺骨が大量に見つかったのです。

カルタゴの聖域のひとつになっており、当時のいけにえを安置した場所。

実はカルタゴは生贄の文化があったのです。

幼児を火で焼きここに捧げた。

こうしてこの墓石一つ一つから遺体が見つかったのです。

 alt=""title=""

それを思うとこの大量の石はすべて子供。

ただそれ以外には何もない場所なのです。

この石を見ているとなんか残酷な風景しか出てきませんが。

生贄という文化は本当に恐ろしいものです。

こうして観光が終了して。

すぐさまチュニスへ戻ってきました。

というかほんとに暑かった。

チュニジアはこれから暑くなるのですが、もうちょっと大変ですよ。

特に雨季とかがないので夏はただ暑いだけというのも困りものですが。

といっても、緯度的には仙台あたりと同じなので。

夜は涼しいのですが、風がないとかなり暑く感じるのでもう大変です。

宿に戻ってからはすぐにシャワーを浴びて。

そのまま写真整理とかしていました。

が、やはり暑くて、ぐったりと。

もうこれ毎日続けていたら、おれ体調崩してしまうのでは。

やはり明日宿を変えたいと思います。

夕食はいつものところでラザニアとサンドイッチを購入。

夜はのんびり暑さに耐えていました。

そしてそのまま寝ようと思いましたが。

なぜか寝れず、汗がどんどん出てきて。

もう大変でした。

明日はファンかクーラーのある部屋に移動したいと思います。



カルタゴへのアクセス
チュニスのTGMの始発駅、チュニスマリン駅から、カルタージュ・ハンニバル駅下車
ただしカルタゴの遺跡は広範囲に点在しており、カルタージュ・サラン駅からカルタージュハンニバル駅までの4駅ほとに散らばっている
主要の遺跡はハンニバル駅周辺にある。