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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学111--世界の半分を征服した国の中心--
2000.12.30
 
世界遺産雑学111

--世界の半分を征服した国の中心--

大きな鐘の音が聞こえる
時間を知らせるために首都に響き渡る音
そこは世界帝国のすべてが詰まった場所
テムズ河のほとりに立つ国会議事堂


ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビー、セント・マーガレット聖堂  イギリス

イギリスの首都、ロンドン。
街に流れるテムズ川に沿った場所にこの宮殿がある。
大きな時計台を要し、豪華絢爛に彩られた宮殿。
ここは現在イギリスの国会議事堂。
真っ赤な席で国王の座る場所がある上院と緑色の席で絶対国王が座れない下院が存在する。
イギリスの国王が絶対入れない場所、下院。
それこそ、イギリスが歩み続けた歴史の跡。
革命という名の。

この地に宮殿が建てられたのは11世紀の半ばのこと。
その後、16世紀にこの宮殿に王宮の機能をすべて移管されることとなる。
またその際には政治の機能もすべてこの場所に移管された。
このためここは宮殿と呼ばれながらも国会議事堂の役割を持っているのである。
イギリスの国会は日本と同じ議院内閣制。
貴族などで構成され、すべては世襲される上院。
国民の代表として選挙で選出される下院。
この2つによって政治がおこなわれるという手法である。
しかし、驚くべきことはこの制度が14世紀から行われているということ。
イギリスの歴史は国王があらゆる権力をもつのではなく議会によっても決められていたのであった。

しかし、そんな中イギリスにある事件を起こす人物がいた。
当時の国王「チャールズ1世」である。
彼には野望があった。
それは隣国スコットランドの人々にイギリス国教会を信仰してもらうこと。
このために彼は兵を用い強制によってイギリス国教会に帰依させてもらおうとしたのであった。
しかし、この強制は戦争に発展。
たくさんの血が地面へと流れたのである。
この戦争により膨大な軍事費が消費された。
チャールズ1世はさらなる戦争のために軍事資金を国民に負担させようと国会に提案する。
が、この案に下院が反発。
王を批判するのであった。
これに怒ったのがチャールズ1世。
彼は軍を引き連れ下院に乱入。
こうして国王軍対議会軍による内戦に発展する。
そして6年後国王軍が敗退し議会軍が勝利。
チャールズ1世は国民の敵として断頭台に送られた。
この出来事こそ「ピューリタン革命」(清教徒革命)である。
イギリス始まって以来の市民革命であった。
この事件により国王は下院に入ってはならないという掟ができたのであった。

こうした歴史をもったウェストミンスター宮殿であったが1834年に大火災により焼失されてしまう。
このため、再建計画が浮上する。
担当したのはチャールズ・バリー。
彼は当時の主流だったモダン建築を採用せずに過去に戻ることを決意。
中世で流行ったゴシック様式を復元する、ゴシック・リバイバル様式を採用したのである。
しかし、彼には時計台の知識だけはなかった。
そのため時計台は一人の人物にすべてを委託することとなった。
男の名は「ビックベン」
現在ビックベンの愛称で呼ばれている時計塔は実は建設者の名前なのである。
彼は見事にこの時計塔を完成させ、ロンドンの街に時刻を伝え続けているのであった。

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このウェストミンスター宮殿の隣にある教会がウェストミンスター・アビー。
名前だけ聞くとよくなんだかわからないが、実は大聖堂のこと。
イギリスの国王がここで戴冠式を挙げるのである。

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このため、ウェストミンスター・アビーが完成直後の王ウィリアムス1世の時代から現在の女王エリザベス2世まで歴代の王が戴冠しているのである。
この戴冠式で最も重要な儀式は塗油の儀式。
体に聖油を塗ることによって王はイギリス国教会の神の代理人となるのであった。
また、この場所は王と王妃の墓でもある。
このウェストミンスター・アビーの中に埋葬されこれからのイギリスを見届けている。
今まで歴代の25人もの王と王妃がここで眠っているのである。
さらにこのウェストミンスター・アビーはイギリスの偉人を埋葬する場所となっている。
万有引力の法則を発見した「アイザック・ニュートン」
ラジウムなどの新たな物質を発見した「キュリー夫人」
など、イギリスが世界に誇る人物をこの大聖堂で埋葬しているのである。
ここはまさしくイギリスのすべてが眠っている。

セント・マーガレット聖堂はウェストミンスター・アビーの横にある小さな教会。
当時、ウェストミンスター・アビーは国王や政治家、著名人しか入ることを許されなかった。
このため、一般人はこの聖堂で礼拝したのである。
また、この教会は結婚式を挙げる場所としても有名。
チャーチル首相などもこの場所で挙式をあげたのであった。

これら3つの建造物は王家とともに歩んだ歴史をつないでいるのである。



テムズ川にそびえ、ウェストミンスターにある宮殿と2つの教会はイギリスにおけるゴシック建築の傑作として、またイギリス王権を象徴するものとして1987年世界遺産に登録された。
大航海時代に世界の半分を植民地にしたイギリスの歴史はここから生み出されたのである。




ウェストミンスターにびっくり。
国会の中見てきました!!
めちゃくちゃ装飾が中世の雰囲気をかもしだして荘厳。
上院、下院ともにきれいでした。
ここから歴史が作られたんだと実感。
アビーではキュリー夫人の墓を見つけてはしゃいでしまいました。