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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学114--イングランド最大のライバル--
2000.12.30
 
世界遺産雑学114

--イングランド最大のライバル--

寒さ凍てつく北の大地
ここにはかつての王国の首都が存在する
この国の歴史のほとんどがイングランドとの戦争に集約される。
王国の名は「スコットランド」


エディンバラの旧市街と新市街  イギリス

グレートブリテン島、北部。
ここは冬にもなると凍てつくような寒さに覆われる場所。
北緯65度、そこは北海道よりもはるかに北極圏にちかくロシアとカナダと同じ位置に属する。
この都市の名はエディンバラ。
ここには王国の首都であった歴史がある。
強国イングランドと対等にわたりあったスコットランド王国の歴史が。

スコットランドの歴史は9世紀にさかのぼる。
アイルランドから移住してきたスコット人によって周辺諸国を統一したことに端を発する。
そして王国の首都に選ばれたのがエディンバラ。
ここには7世紀より建てられた城砦が存在した。
数億年前の火山活動により平地に隆起した岩山が絶好の砦として有効であったためであった。
現在ではキャッスル・ロック(岩の城)の愛称で呼ばれているエディンバラ城はスコットランドの象徴でもあったのである。

しかし、建国したスコットランドに待っていたのは戦いであった。
南に大国イングランド王国が存在し覇権と領土問題に絶えなかったのである。
戦争が激化したのは13世紀。
イングランドの国王エドワード1世がスコットランドの王位継承権に介入したことにはじまる。
エドワード1世は強引にスコットランドの王をジョン・ベイリチャルにすることを決定。
しかし、余りの横柄ぶりにジョン・ベイリチャル王がイングランドに対して兵を起こす。
ところがジョン・ベイリチャルは破れスコットランドはイングランドの配下となってしまうのであった。
その配下の証としてエドワード1世はスコットランドの国王戴冠の椅子であった「スクーンの石」をイングランドへ運び出す。
このスクーンの石はまさしくスコットランドの心であったのだ。
まさしく屈辱を味あわされたのである。

その後、イングランド支配下に苦しむスコットランドの中で二人の英雄が現れる。
一人目は「ウィリアム・ウォレス」
彼は多くの支持者を集め、イングランドに戦争を挑む。
スコットランド独立戦争の始まりであった。
ウィリアム・ウォレスはスターリング・ブリッチにおいてイングランドを壊滅まで追いやる。
こうしてスコットランドの勝利かと思われたが、翌年イングランド軍がスコットランドに侵攻。
この戦いにおいてウィリアム・ウォレスは敗北を喫し、処刑されてしまう。
しかし、このスコットランドの意思を受け継いだものが現れる。
二人目の英雄「ロバート・ブルース」
彼はスコットランドの王位に就くとすぐさまイングランドに戦争を仕掛ける。
1314年にはバノックバーンで勝利し1328年には完全独立を勝ち取ったのであった。
18世紀の詩人ロバート・バーンズはこのときの兵士たちを
「ウォレスとともに地を流せしものよ、喜び迎えよ血染めの床を、しからずは勝利を」
と歌っている。
それほどまでに激しい戦いだったことを物語っているのである。

こうして独立を果たしたスコットランドであったが、ここから悲劇と栄光がやってくる。
それこそ悲劇の女王メアリ・スチュアートの誕生である。
彼女は驚くべきことに生後6日後にスコットランドの王位が継承される。
それはメアリの父親が急逝したためであった。
跡継ぎがこのメアリだけだったため彼女に王位が回ってきたのである。
もちろんこの幼い少女の権力を他国は黙って見ているわけがなかった。
彼女が5歳の時、強引にイングランドの王子と結婚させる話が浮上する。
イングランドがこの婚姻を軍を率いて強要したため、いつ拉致されるかわからない幼い少女は秘密裏にフランスへと逃げたのであった。
しかし、この出来事も政略の一つ。
彼女は15歳の時にフランスの王フランソワと結婚することとなる。
しかし突然フランソワが急死。
子供もいなかった彼女にとってフランスにいることが苦痛となりスコットランドへ逃げかえることとなる。
そしてメアリはスコットランドにて再び結婚することとなる。
その後一人の王子を出産。
が、その時には離婚をしており、すぐに違う男性と結婚するのであった。
しかも驚くべきことはその男性二人が旧教徒と新教徒という敵対している人物だったこと。
もともとの旧教徒からは新教徒と結婚したメアリを守らなくなり、新教徒は権力を握るために息子に王位を譲らせたのであった。
こうして何の力を持たなくなったメアリは自分の命の危険を感じイングランドに逃げ込むこととなった。
しかし、更なる不幸が彼女を襲う。
メアリはイングランドの王の血をも受け継いでいる人物だった。
当時の女王エリザベス1世はこのことにより自分の王位がメアリに乗っ取られるのではないかと不安でしょうがなかった。
そのため、エリザベスはメアリを逮捕、幽閉してしまうのであった。
こうして19年にもわたる歳月をも幽閉されたメアリに待っていたもの。
「死刑」
彼女はエリザベス暗殺計画の首謀者とでっち上げられ死刑を命じられるのであった。
スコットランド女王メアリ、享年44歳。
彼女の最後は女王として堂々とした態度をとりつづけたのであった。

その後、エリザベス1世がなくなると驚くべき人物がイングランドの国王に任命される。
それはエリザベス1世が誰ひとりとも結婚せず、子供を残さなかったことにも原因する。
任命された人物こそ
「メアリの一人息子 スコットランド国王ジェームズ6世」
メアリはもともとイングランドの王家の血をひくものであった。
このため、息子に王位が回ってきたのである。
このときはじめて両国に同じ国王が誕生した瞬間であった。
そして1707年イングランドとスコットランドは連合王国としてグレート・ブリテンが誕生することとなる。

しかし、連合王国が誕生しても両国間の対立は存在したままであった。
中には戦争を起こすもの達まで。
この状況を解決したのが連合王国誕生から115年後。
イングランド国王がエディンバラを訪問することで和解することとなったのである。
そして1996年、イングランドに保管された「ラグーンの石」がスコットランドに返還することが議会で承認される。
実に700年ぶりにスコットランドの心が戻ることとなったのである。


現在エディンバラにはスコットランドの歴史を刻む建物が数多く残る。
スコットランドの王宮、エディンバラ。
メアリも暮らしたとされる、ホリルードハウス宮殿。
旧市街には教会は新宮殿など。
人口が増えてきた際に作られた計画都市、新市街。
すべてはスコットランドの記憶。
戦争が絶えない国家の心に刻まれた愛国心。


エディンバラに残る旧市街は中世の街並みを今に残し、新市街は都市計画に基づき建設され、新旧のバランスが見事に調和されているとして、またスコットランドの歴史の証として1995年世界遺産に登録された。
イングランドの度重なる侵攻に挑み続けた人々の信念がここに残る。




あ~~、長くなってしまいましたね。
意外にたくさんの歴史を紹介しないと話がわからなくなってしまうので。
ちなみにスコットランドとイングランドの関係はいまだにいいものではありません。
スコットランドの人はイギリス人とは言わないそうですよ。
それだけ深い因縁があるようです。
日本人からしてみたら考えられないですよね。
中国と台湾のような関係かも。。