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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学124--大海原に夢を見た者の証--
2000.12.30
 
世界遺産雑学124

--大海原に夢を見た者の証--

大航海時代を切り開いた者たち
すべてはこの場所から始まった。
ここは彼らの夢の跡。
王国の繁栄を導いた軌跡


リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔   ポルトガル

ユーラシア大陸最西端。
そこからほど近いポルトガルの首都、リスボン
人口約60万弱ぐらいの街。
この街には大西洋に抱かれた街として古代ローマ時代から港町として栄えた場所。
こんな街が一躍世界最大の貿易港と変化する。
それは人々が海を目指す中心地となったから。
すべてはこの場所から旅立っていったのである。

時は12世紀。
イベリア半島はイスラム教が支配する場所であった。
このため、ヨーロッパ中でイベリア半島をキリスト教の地に戻す運動が始まった。
レコンキスタ(国土回復運動)である。
こうしてイベリア半島の中でもいち早く国土を回復した場所がポルトガルであった。
彼らは国土を回復した後、安定させるために内政に従事。
そして産業として海の交易を盛んとしていった。

こうしてイベリア半島全土でレコンキスタが終了するとポルトガルは強国スペインに囲まれてしまった。
このため、彼らはこれ以上の領土の拡大ができなくなってしまった。
おのずと大西洋に向かうしかなかったのである。
そしてポルトガルに生まれた一人の王子が国を繁栄させるきっかけを作ることになる。
王子の名は「エンリケ航海王子」
彼は大航海時代の始まりをもたらした王子
ポルトガルの繁栄のため、航海術・天文学の研究や航海者の育成にあたった。
彼は一度も航海に出たことはないが、ジブラルタル海峡の要所セウタを占領。
さらに喜望峰への航路発見という偉業を影で支えた人物であった。

こうして、アフリカ大陸への交易を手に入れたポルトガルにとって、重大な事件が起こる。
スペイン・コロンブスの新大陸発見という事実である。
当時、コロンブルは新大陸発見ではなくインドを東回りで到達したと考えられていた。
このため、ポルトガルは焦った。
西回りでインドに辿り着いていないため、交易がスペインに独占されると考えたのである。
そしてポルトガルは一人の男にポルトガルの未来を託す。
男の名は「ヴァスコ・ダ・ガマ」
彼はスペインを出港し、到達されていた喜望峰をこえ、とうとうインドへ到達したのであった。
ヨーロッパから初めて航路でインドまで到達した瞬間であった。

ここで一つだけ疑問に思うことがあるだろう。
なぜ、そこまでヨーロッパの人はインドにこだわったのか。
それは香辛料。
特に胡椒の輸入であった。
当時胡椒は金と並び最も高い交易品。
それは、胡椒はインドでしかとれずインドからヨーロッパまでの交易をイスラムに独占的に支配されていたためであった。
また、ヨーロッパの人は食物の保存に胡椒を使用していた。
このため、生きるために必要なものであったため、さらに交易が独占されたため高値がついたのである。

このインドまでの交易路が見つかったことによってポルトガルは最大の発展をする。
すべての輸出・輸入にはリスボンを経由され、すべての富がリスボンに転がりこんできたのである。
これによりリスボンは数々の豪邸・教会・宮殿など様々なものが建てられた。
その中でもベレン地区に残るのがジェロニモス修道院とベレンの塔である。
ジェロニモス修道院は大航海時代の装飾を現代に伝える修道院
当時の技法、マヌエル様式の緻密な技法が刻まれている。
マヌエル様式とはマヌエル1世時代に発展したゴシック建築に使われる装飾のこと。
海洋王国らしくロープや船、地球儀などの装飾が特徴である。
ここはマヌエル様式の最高傑作として大航海時代の繁栄ぶりを今に伝えている。
さらにジェロニモス修道院には英雄が眠る。
ヴァスコ・ダ・ガマの墓がここには存在する。
繁栄をもたらしたポルトガルの英雄は繁栄の象徴する場所に今でもポルトガルの歴史を見続けているのである。
ベレンの塔は大西洋につきだす要塞跡。
15世紀にマヌエル様式でたてられた塔である。
ここには大航海時代のリスボンに入る船を監視した場所。
王国の繁栄を見続けたのである。
またここには牢屋も残る。
数々の政治犯罪者がここで処刑された場所でもあった。


こんな繁栄を迎えたポルトガルであったが、大航海時代の表舞台から降りるときがやってくる。
それも二つの要因が重なって。
一つ目は富の分散。
スペインは植民地で儲けたお金が国王に入るようになっていた。
要するに国の富となったんである。
しかしポルトガルは違った貴族がそれぞれ富を独占したのである。
このため、国のお金とならなかった。
軍備にお金が回らなかったことにより、他国に負け衰退してしまうのである。
二つ目の要因として地震である。
1775年、リスボンに大きな地震が起こった。
これにより、ほとんどの物が崩壊。
さらに地震の影響により火災が発生。
火災は一週間消えることなくリスボンの街をすべて灰へと変えていったのである。
大航海時代の富がすべて消え去った瞬間。
唯一、ベレン地区のみ郊外であったため被害をまぬがれた。
しかしポルトガルにはすべてを元通りにする力はすでになく、ただ街の復興に力を入れるだけであった。


リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔はポルトガルが最も輝いた足跡を刻み、航路発見の出発点として1983年世界遺産に登録された。
天災ですべてを失ったリスボンにとって栄光の証であるジェロニモス修道院は奇跡の場所であった。



大航海時代の栄光はほとんど残っていない。
すごく悲しいです。
でも、ジェロニモス修道院は唯一その証が残っている場所。
ぜひ、見てみたい。
海に魅せられた人の風土を感じてみたいです。