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 【[雑学]アフリカ・中近東

世界遺産雑学126--巨大ピラミッドが示すものとは--
2000.12.30
 
世界遺産雑学126

--巨大ピラミッドが示すものとは--

見渡す限りの広大な砂漠
近くには巨大な河が流れる
そんな場所にある巨大な三つのピラミッド
謎だらけが残るこのピラミッドの意味とは


メンフィスのピラミッド地帯   エジプト

エジプトとそこに抱かれたナイル川
かつて世界四大文明とよばれるほど世界で初めて大きな文明をもった場所
それは紀元前3000年にまでさかのぼる。
「エジプト文明はナイルのたまもの」
かつてギリシアの歴史家はエジプト文明をこう総称した
これはナイル川が肥沃な土地を毎年氾濫によって運んでくるため。
このため毎年豊作が約束された場所だったため文明が発達した。
こうしてエジプト文明は3000年間ナイル川周辺に君臨することになる。
繁栄を手にしたエジプト文明にはあるものが突然建てられるようになった。
まるで天を目指すかのような。
それこそ「ピラミッド」

エジプト文明は紀元前3000年ナルメル王が各地の王朝を統一したことにはじまる。
そして首都をメンフィスに置き内政を重点におくことになる。
ナイル川は毎年7~8月にかけて必ず氾濫した。
その氾濫が終わった後に土地を耕し、麦などをまいた。
ナイル川の氾濫の跡には肥沃な土地が流れてくるため必ず麦は豊作を迎えるのである。
こうしてエジプト文明はどんどん繁栄していくのであった。
また、この地は周りを砂漠に囲まれる地形であったため敵の侵入がなかった。
このため、滅びることがなかったのである。

こうして紀元前2680年頃、ある出来事が起こる。
王の神格化である。
王は絶対的存在:神としてみなされ、絶対的支配をおこなうのである。
中央集権体制を確立したのであった。
これにより権力を握った王にあるブームが巻き起こる。
ピラミッドの建設である。
実はピラミッド建設は以前から存在していた。
しかし、大きな権力をもたなかったため一段のレンガ造りだった。
それが権力が増大するにつれて巨大化。
各王はピラミッド作りに勤しんだのであった。

ピラミッドが建てられる場所はメンフィス近郊のギザからダハシュールの間。
最初に大きいピラミッドを建てたのはギュゼル王。
サッカラに階段ピラミッドを建てたことにはじまる。
この階段ピラミッドはその名の通り、ピラミッドが階段状に組まれている。
その後ダハシュールに屈折ピラミッドが建てられた。
屈折ピラミッドは建設者が途中レンガを積み上げる角度を間違えて崩れそうになったため突然角度を緩くして建設したものである。
そして次のギザの地でピラミッドは最大の繁栄を迎えることになる。

それを建設した人物こそクフ王。
紀元前2550年に建設された真正ピラミッドである。
一片の長さ230m、高さが137m。
使った石灰岩の岩がおよそ230万個。
クレーンもない時代にこれほど正確にこれほど巨大に組み立てるという奇跡の建築
さらにこれが30年という短い工期でつくられているのである。
現代の技術レベルでもこれほど短い工期でたてることは不可能といわれている。
すべては謎に包まれている。
その後、カフラー王、メンカフラー王が相次いで巨大なピラミッドが次々と建てられた。
エジプトはまさにこのとき最大の繁栄を見せたのであった。

しかし、ここで一度ピラミッド建設は途絶えてしまう。
それは中央集権の崩壊。
短い治世の王が続くのであった。
その後、一度はピラミッドの建設が始まるが規模がまるで小さいものとなってしまった。
さらに次に大きな権力を握った時にはピラミッド建設ではなく、神殿建設そして王家の谷へと建設は移動したのである。
二度とピラミッドが建てられることはなくなってしまった。
そして西暦30年、最後のプトレマイオス朝エジプトをもってエジプト文明は最後を迎える。
ローマ帝国の属州となったため。
世界三大美女クレオパトラの死をもってエジプト文明は消滅した。


ここで一つ疑問に思うことがある。
エジプト文明はなぜピラミッド建設をしたのだろうか。
実は皆さんは王の墓というふうに習ったかもしれないが近年それが間違いではないかといわれている。
まず、すべてのピラミッドに王の遺骨が見つかった例が一つもないこと。
クフ王のピラミッドですら、9世紀にイスラム教のカリフがピラミッドに穴をあけ侵入したが何一つ残されていなかったと示されている。
それは誰も入った形跡が何もなかったのに。
また、近年の研究でクフ王の推定身長が推測されたがそれはピラミッドの石棺より高い身長であった。
というよりピラミッドの石棺が小柄な人しか入れない石棺となっている。
ミイラは足を伸ばしているのが普通であるため、ここに王は葬られなかったのではないかという考えが一般的になっている。

では、ピラミッド建設とは何の目的であったのか。
一番有力な説は公共事業だったという説である。
古代文字ヒエログラフが解明されて遺跡の周りから様々な資料が見つかった。
これにはピラミッドの工期は毎年7月~10月の間に行われていることがわかった。
ちょうどナイルの氾濫の時期と重なる。
毎年ナイルの氾濫時には農作を行うことは全くできなかった。
これをどうにかしようと権力を使って出稼ぎをさせる公共事業が発展したのではないかという説である。
さらに王に集まった権力を民衆に使うことによってお金の循環が起こり平和な世の中が形成する政策だったのではないかというものであった。
しかし、ほんとの意味は分かっていない。
公共事業にしてもピラミッドをこれほど巨大にする必要はないからである。


エジプト文明
それはすべてが謎に包まれた文明
ピラミッドを建設した意味
ピラミッドの建設方法
スフィンクスのいる意味
三つのピラミッドがオリオン座の真ん中三連星とおなじ配置にあること
何もかもいまだに解明されていないのである。
今後解明する日が来るのか。
今も研究者達の必死の研究が続いているのである。



メンフィスに残るピラミッド群は造形が優れていること、人間の偉大さを証明するもの、失われた過去の文化の証明また古代エジプトの歴史を物語るものとして1979年世界遺産に登録された。
謎のピラミッドが現在でもその姿を天に誇るように存在しているのである。




行ってみたい~!!
というか絶対行きます。
古代エジプトの人はここで何を見たのか。
少しでもその風土に触れてみたいです。
天にそびえるその姿、目に焼き付けたいと思います。