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 【[雑学]アジア

世界遺産雑学128--国の国旗に描かれた仏教最大の寺院--
2000.12.30
 
世界遺産雑学128

--国の国旗に描かれた仏教最大の寺院--

広大な密林に囲まれた場所
ここにはかつて大きな帝都が存在した
仏教を信仰した彼らはこぞって寺院を建てたのである
それは600年過ぎた後でもなお仏教の寺院として君臨し続ける


アンコールの遺跡群   カンボジア

カンボジア王国、シェムリアップ。
首都プノンペンから北西240kmも離れた場所にアンコールは存在する。
カンボジアの国旗にも描かれたこの場所はカンボジアの人々の拠り所。
密林のジャングルの中に存在し、その場所だけ異彩を放っている。
ここはクメール王国の夢の跡。
9世紀から15世紀の600年にわたった支配でたてられた仏教寺院群。
その数、約700箇所
彼らの仏教への思いがここに伝えられている。

時は西暦802年。
カンボジアに住んでいたクメール人がここに王朝を打ち立てた人々がシェムリアップ周辺に都が建てられたことにはじまる。
彼らクメール人は王が即位するたびに自らの都城を建築。
こうしてたくさんの都城が建てられていった。
当時の都城はヒンドゥー教寺院。
クメール人はヒンドゥー教を信仰していたためである。
国王はヒンドゥー教寺院に住むことによってみずからを神格化し権力を握る
そして次第に彼らは着実に権力を増やし領土を拡大していったのであった。

そして西暦1113年に第18代王スールヤヴァルマン2世が即位した。
彼は自分の都城の建設を指示。
この建てられた都城こそ「アンコール・ワット」

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アンコール・ワットはアンコール遺跡の中では最大。
幅190m、外周5.4kmのお堀に囲まれ、内部の敷地面積は2km2。
寺院はピラミッド状に構成されており中に入るたびに高さが高くなる。
すべては回廊によって仕切られて、3重の回廊で囲まれている。
最も下にある第一回廊は一辺が200mもありそれぞれの壁面にはヒンドゥー教の神話、インドの叙事詩が描かれてある。
最も中央には高さ65mの中央祠堂がそびえたつ。
こんな巨大な建物は3~5万人もの人で建てられた。
彼らは賦役義務があったため無償でこの建設に携わったのである。
ここに住んだスールヤヴァルマン2世はクメール朝の栄華が最も繁栄した時の王。
ベトナムのチャンパ王国を占領し版図拡大に努めたのであった。

しかし、その後アンコールは最大の危機を迎える。
隣国チャンパ王国の逆襲である。
アンコールにある遺跡のお堀などはヒンドゥー教の形式でしかなく、攻撃に弱いものであった。
このため、アンコール・ワットとその周辺の遺跡は陥落。
略奪の対象となってしまったのである。
このとき王国の危機を乗り切った人物こそ
「ジャヤヴァルマン7世」
彼はチャンパ王国をトンレサップ湖上で撃破。
アンコールに再び栄華をもたらしたのであった。
そしてその後ジャヤヴァルマン7世は自分の都城を建設することになる。
今までと違った建築
「アンコール・トム」である。
チャンパ王国の来襲で今までの建築では防御能力がないことを痛感した王は今までにない城壁、城門を強化。
高さ8mの城壁に5つの門。
外周12kmもの広大な長方形の都城を作り上げたのである。
アンコール・トムの中にはバイヨン寺院を建設。
四方に観音菩薩の巨大な顔を掘りこんである特異的な建築。
その観音菩薩がほほ笑んでいることから「バイヨンの微笑み」と呼ばれている。

また、アンコール・トムには今までのアンコールと違ったものが一つある。
仏教寺院となったことである。
先代の王はヒンドゥー教の王であったが、ジャヤヴァルマン7世は敬虔な仏教徒であった。
このため、いつしかアンコールには仏教を信仰するものが増えていったのである。
もちろんヒンドゥー教を信仰している者もいた。
アンコール・トムの近くにニャック・ポアンという遺跡にはこのヒンドゥー教と仏教が融合した遺跡がある。


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彼は宗教の共存を願った末にたどり着いた遺跡であった。
こうしてアンコールの遺跡群はいつしか世界三大仏教寺院まで言われるようになった。
ジャヤヴァルマン7世が亡くなった後300年にわたり仏教寺院が建立し続けた結果である。

このように栄華を極め続けたアンコールであったがとうとう終りの時がやってくる。
1432年のシャム(タイ)人が建立したアユタヤ朝の侵攻である。
この信仰によってクメール朝は完全に滅亡するのであった。
その後次第に人々の記憶からアンコールは消え去り遺跡は密林へと姿を隠したのである。
アンコールは歴史の表舞台から完全に消え去った。
しかし、そんな遺跡が再び世界の注目の的を集めることになる。
1860年、フランス博物者アンリ・ムオがこの地を訪れることにはじまる。
当時のカンボジア周辺にはある噂があった。
「天使が作った都がある」という噂。
そして彼が33歳の時に密林の中に打ちひしがれたアンコール・ワットを発見する。
彼はその姿に感動し、伝説の場所はここに違いないと実感した。
その後、発見から60年後フランス・パリに巨大なアンコール・ワットが再現された。
パリ国際植民地博覧会にて1/3のスケールもの大きさで復元したのである。
これを見たパリの人々は圧倒される。
そして一気に世界の注目を浴びることになった。
アンリ・ムオはアンコール・ワットが有名になるとある肩書きが付けられた。
「アンコールの再発見者」と。
彼がアンコールを発見しなければいまだに密林に埋もれたままだったのかもしれない。


カンボジアの密林に存在したアンコールの遺跡群は古代アンコール朝の栄華の証として、また周辺諸国に与えた影響は比類ない価値があるとして1992年世界遺産に登録された。
この場所は一時は風化や盗掘によって危機遺産に登録されたが世界の協力により再び輝きを取り戻している。




ここには驚かされました。
あまりにも雄大で尊厳のある建物が並んでいます。
しかも遺跡がたくさんあります。
見るのに一週間かかりました。
メインだけ見るのであれば2~3日で見れるのですが。
ぜひ行ってください!
感動すること間違いなしです!!