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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学130--奇跡の広場に建つ斜めの塔--
2000.12.30
 
世界遺産雑学130

--奇跡の広場に建つ斜めの塔--


かつてここは海運都市として栄えた場所
地中海の覇権を独占したのである。
しかし、突然滅亡がやってきた。
斜めに建つ鐘楼とともに。


ピサのドゥオーモ広場  イタリア

イタリア、トスカーナ州。
フィレンツェに流れるアルノ川の下流。
白ワインの産地として温暖な気候に抱かれた街
地中海から10km離れたピサの街はかつて繁栄を手に入れた。
それは地中海の覇権。
イタリアの軍港として海運都市国家がそれを実現した。
しかし、突如としてその覇権を失ってしまう。
それはピサの立地条件と二大強国のために。

時は11世紀。
ピサの街は海に面した都市であった。
そこで受け継がれてきたもの。
「造船技術」
彼らはこの技術をもとにありとあらゆるものを地中海へと運んだ。
さらにこの時代、地中海にはイスラム教とキリスト教の覇権争いがおこっていた。
特にイタリア南部シチリア島はイスラム教の領土となっていたのである。
このためピサはシチリア島近くのパレルモ沖にてイスラム軍と戦争を起こす。
そこで見事にピサは勝利。
シチリア島からイスラム教が消え、地中海の覇権が一気に彼らにやってきたのである。
また、ピサにとってさらに追い風になる事件がやってくる。
十字軍の派遣である。
十字軍の使命はエルサレムをイスラム教から解放すること。
このとき、ピサは十字軍に賛同し外洋に出発。
一路、地中海よりエルサレムを目指したのであった。
こうして第一次十字軍はエルサレムを征服。
そこで得た財宝や略奪品はすべてピサに運ばれた。
また、一気に地中海の交易の覇権を拡大したのである。

こうした中、彼らは自らの街に大聖堂を建設することを決定する。
すべては戦争で手に入れた戦利品や交易で得られたお金によって建てられた建物。
奥行き100m、幅30m。
上部から見ると十字架の形をしており、交差部分は巨大な天蓋が配置されている。
大聖堂の周りには大理石が使用され、色が特に際立つような構造。
内部には数多くの円柱が使用され、ほとんどがシチリア島のイスラム教からの戦利品。
また交易を示すビザンツの影響も受けており、ロマネスク・ビザンティン・イスラム・アルメニアなど様々な文化が混在する国際色豊かな大聖堂となった。
大聖堂の横には洗礼堂・墓所などが建てられ、これも総大理石でたてられている。
特に墓所の庭には十字軍を率いたピサの大司教がエルサレムのゴルゴダの丘から持ち帰ったとされる土がまかれている。
彼らは少しでもキリストの近くにいたいと願ったのである。

こうして地中海の覇権を誇示する建物が建てられる中ある一つの建物が建てられた。
大聖堂の東側に建つ。
「鐘楼」
別名「ピサの斜塔」である。
着工は1173年。
当初は100mを超える鐘楼を建てる計画だった。
それが三段目を建設した1185年頃に塔が徐々に斜めに傾いてしまう。
このため、鐘楼は重心を傾いた反対方向に向けながら建設がすすめられた。
しかし急速に傾き始めたため、55mの8段構成で完成とするのである。
ではどうして傾いてしまったのか。
それはこの地の土壌に問題があった。
アルノ川の周辺はアルノ川が運んだ土砂によって形成されていた。
このため、ピサも同様に砂によって作られた地盤であった。
これが外周20mの建物に14453tもの重さがかかってしまったため砂の地盤が押されて下にさがってしまったのが原因。
特に近年もっとも傾く時代が起きてしまった。
これにより観光客の立ち入りを禁止。
傾いた反対の場所の地下の砂を取り除くことによって傾きを抑えている。
現在では元の位置にもどり観光客も入れるようになった。
こんな斜めの塔でガリレオ・ガリレイがこの場所で重力実験を行い万有引力の法則を証明したという伝説が残るが、実際はこの事実がなかったということが分かっている。


こうして地中海の覇権を握り栄光を手に入れたピサであったが、突然その栄光が消えてしまう時がやってきた。
それは2つの条件が重なって。
一つ目は川と海とで強敵がいたこと。
アルノ川の覇権を狙う、フィレンツェ
地中海の覇権を狙う、ジェノバ
特にジェノバは地中海の覇権を手に入れようと躍起になっていたのである。
二つ目の要因としてピサが海の近くで無くなったこと。
冒頭を読んで疑問を持った人もいるかもしれない。
現在、ピサの街は海から10km離れた場所にあるということを。
中世ではピサの街は海に面した街であった。
それがアルノ川から流れてくる土砂により、どんどん堆積していく。
川の河口が堆積してどんどん海を遠くしていったのである。
こうして1284年ジェノバとの海戦により敗退。
利権を奪い返そうにも海から遠ざかったピサにとって再び海に出ることができなかった。
そして利権が無くなったピサは衰退。
最後にはフィレンツェの支配下となったのである。



奇跡の広場の意味をもつピサはトスカーナ地方の聖堂建築の見本となり、さらに典型的なロマネスク様式であったため1987年世界遺産に登録された。
白亜の大理石で作られたこの場所は海洋国家の繁栄の証である。



行ってみたいです。
ピサの斜塔見てみたい。
それにしても、ガリレオ・ガリレイがこの場所で羽と鉄を落としたエピソードが有名でしたのに、実は違うんですよね。
やはり歴史とは時間がたつにつれて変わってくる。
それも面白い感じですね。