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 【[雑学]アメリカ・カナダ

世界遺産雑学132--国の公用語と言語が異なる都市--
2000.12.30
 
世界遺産雑学132

--国の公用語と言語が異なる都市--

そこは北米唯一の城塞都市
かつてここでは大きな戦争があった。
しかし負けても文化を失うことがなかった。
ここは北米のフランス


ケベック歴史地区  カナダ

カナダ・セントローレンス川
この川をさかのぼったところにケベックという街はある。
ここはカナダで唯一フランスの文化を受け継ぐ場所。
それは言葉でも表わしている。
カナダの公用語は英語と仏語。
しかしケベックだけは仏語のみが公用語となっている。
この現象は歴史が語ってくれる。
植民地を争う戦争という歴史が。

時は16世紀。
世界の大国が躍起になって自国の植民地を増やした時代。
南米大陸、アフリカ大陸、ユーラシア大陸、オーストラリア大陸など次々と植民地にされた。
もちろんこの北米大陸も例外ではなかった。
この地に目を付けたのが世界の強国の2強
イギリスとフランス。
彼らはインディアンしか存在しないこの地に進出したのである。
ただし、最初は敵国でありながら植民地争いは起きなかった。
それは2カ国の進出場所の違い。
イギリスは北米東海岸より上陸。
海岸沿いに自国の領土を広げていった。
それに対してフランスはある一つの湾に目をつける。
それこそ「セントローレンス湾」
この地域の植民地を宣言したフランスはこの湾に流れる一本の川へと進出を始める。
内陸へと進出することによって始めは大国同士の衝突が起きなかったのである。
セントローレンス川は北米の内陸、5つの湖オンタリオ湖・エリー湖・ヒューロン湖・ミシガン湖、スペリオル湖につながっており、途中にはナイアガラの滝を要する川
この下流方面にある場所にフランスは上陸する。
「ヌーヴァル・フランス」と呼ばれるようになるこの地方に作られた街ケベックはフランスの植民地の拠点として発展。
さらに大自然に抱かれていたため動物の毛皮の交易などで発展したのであった。

こうしてフランス文化を受け継いだ場所であったが、次第に戦争へと導かれる。
それはイギリス植民地の拡大。
東海岸だけでなく徐々に内陸部に進出したのである。
このため、ついにフランスとイギリスが衝突。
ヌーヴァル・フランスが戦争の中心へと進んでいくのである。
彼らは周辺の先住民と手を組み、各地で戦闘を激化。
次第にケベックは覇権争いへといざなわれていく。

1629年、1660年にケベックは危機を迎えた。
最初は一時占領され、またイギリス艦隊に包囲されたこともあった。
しかし、フランスはこの地を守り通しかろうじてケベックを存在させるのである。
このフランスとイギリスの戦いは百年戦争としてヨーロッパ・北米・インドなど世界各国で争われることとなる。
こうして、フランスは新大陸の植民地を存続させていたのであるが、1759年に消滅という時代に発展する。
それこそ、ケベックの陥落である。
この都市、イギリスはセントローレンス川からケベックの街へ闇夜に乗じて上陸。
フランス軍は突如現れたイギリス軍に混乱。
抵抗を試みようにも味方の混乱により敗走。
ケベックはイギリス軍の手へと移ってしまうのであった。
そして4年後、フランスは北米における植民地すべてをイギリスに譲渡。
フランス植民地の終わりを告げたのであった。

しかし、ケベックはそれでもフランスの文化を守り通そうとした。
それは150年にわたって続いたフランスの文化を簡単に捨てることができなかったためである。
またイギリスにはイギリスの文化を強要できない事情があった。
それこそ、アメリカの独立である。
北米におけるイギリスの植民地は本土イギリスの法律に従うことを嫌がった。
それはかなりの税を納める法律であったためである。
このため、独立を決断。
あっという間に領土を拡大してしまったのである。

これに困ったのがイギリス。
フランスの文化をもったケベックがいつ独立を宣言してもおかしくない状況だった。
また、この地にもアメリカの戦争が押し寄せてくる気配があったのである。
このため、イギリスで一つの法律が成立した。
「ケベック法」
ケベックにおいてフランス人の伝統と習慣を尊重する法律。
また、プロテスタント・イギリスの宗教をここ場所だけはカトリックを信仰しても良いというものであった。
こうして、イギリスの中にフランスが存在する特殊な状態が存在することとなった。

その後、ケベックはアメリカの攻撃のためにシタデル(城塞)を再建。
しかし、アメリカとの戦火を交えることなく北米唯一の城塞都市残ったのである。
それでもアメリカはイギリスにとって脅威であった。
このため、イギリスの植民地すべてを統合しようとする動きが始まる。
1867年、最初は4つの州からなる自治領カナダ連邦が発足。
その後、徐々に西へ領土を拡げ最終的には10州と3つの準州からなる現在の姿へと形を変える。
そして1931年に外交上の自主権を獲得。
1982年には独自の憲法を制定するまでに至ったのである。
現在のカナダは今でもイギリス連邦の一員。
元首をエリザベス2世としてイギリスの決定に従うのである。

現在、カナダの中にあるフランス・ケベックは独立の気運が高まっている。
国民投票ではまだ反対派が多いが、年々その得票数が逆転しそうな差と変化。
今でもカナダではイギリスとフランスの争いが形を変えて存在しているのである。
また、ケベックではカトリックの街としてカナダで唯一ローマ皇帝が訪れた場所。
プロテスタントが国教の国にとってこれは異常な光景であった。
それだけ、ケベックはフランスの文化を今でも継承しているのである。



北米のフランス・ケベックは植民地における大都市へ変化した街として、また植民地の街並みを最もよく保存しているとして1985年世界遺産に登録された。
公用語が違う唯一の場所は今でも自分たちの文化を必死で守っている。




ここ、すごく興味があります。
公用語が違うなんて普通考えられない。
たとえば、日本の一か所が全く違う言葉をしゃべっているんですよ。
まあ、それだけの事情があったのですが。
今でもその文化を守る。
その風景を見てみたいです。