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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学140--民主制を成功させ都市国家「ポリス」--
2000.12.30
 
世界遺産雑学140

--民主制を成功させ都市国家「ポリス」--

巨大都市の真ん中にある丘
この上には白亜の神殿が横わたる。
ここはかつて民主制を手に入れた場所。
古代ギリシアの繁栄の証


アテネのアクロポリス  ギリシア

ギリシアの首都アテネ。
エーゲ海に抱かれ青い空がきれいに映る街
こんな巨大都市にはどこからでも見える丘がある。
「アクロポリスの丘」
その頂上には白亜に輝いた大理石で作られた神殿がある。
誰もが目を見張る美しい神殿。
それはかつてギリシアが最も輝いていた時の繁栄の証。
都市国家「ポリス」というシステムが機能した証でもある。
すべてはこの神殿のすごさが物語っている。


アテネに都市国家ができ始めたのが紀元前9世紀から前4世紀のこと。
ギリシアにはポリスという都市国家がたくさん生まれた時代であった。
このポリスの特徴としては民主主義が確立されていたことにある。
過去のギリシアはトロイア文明やクレタ・ミシュケナイ文明などが栄えておりすべては王様によって支配されている君主制。
それがすべてギリシアから突如として歴史の舞台から消えてしまう時代が到来。
一切の記録が残っていない「暗黒時代」が4世紀にわたって続くのであった。
こうしてギリシアが歴史に舞台に立った時に現れた文明こそ都市国家の集合体「古代ギリシア文明」である。
各都市が独立して自治権をもっており、民主主義が発展。
議会も存在し、政治経済などをすべて市民が決めるのであった。
こうした文明が発達した理由として交易があげられる。
ギリシアは地球海のちょうど中間に位置しており植民地などへ交易し莫大な富を得ることができたのである。
各都市はそれぞれ独自の文化を歩み自分の場所を守ろうと各都市ごとで城砦を建てたのであった。

この古代ギリシア文明の中でも特に発展したのがアテネである。
アテネはギリシアの中で最大の繁栄を獲得し、その象徴を作ることを切実に願っていた。
とくにポリスの象徴を作ろうという必要性を説いたのが政治家ペリクレスである。
かれは今までの神殿が神や王のシンボルであったため、民主化し巨大な都市国家となったアテネの権威を世界へ見せるためにその象徴が必要であると考えたためである。
「権力はわずかな人間が握るのではない、民衆全員のものである」
こう説いた彼はまさしく古代民主主義の立役者であった。
こうして、紀元前447年にアテネにある小高い丘アクロポリスにパルテノン神殿の建設が始まる。
当時の彫刻家フェイディアスに設計を依頼しそして前438年に完成するのであった。

こうしてアクロポリスの丘には白亜の神殿が姿を見せることになる。
その大きさ横30.88m×縦69.5m×高さ18.5m
すべては大理石でたてられ、46本になる円柱の柱が屋根を支える構造である。
しかもこのパルテノン神殿の構造は現在の建築においても取り入れられるほど様々な建設様式をとっている。
その中の一つとして直線を極力使用していないことがあげられる。
長方形や円柱が直線に見られるかもしれないが、実はよく見ると丸みを帯びているのが分かろう。
床の部分もちょうど中央が一番盛り上がり、さらに円柱も真中が一番太く作られているのである。
これは感覚の調整。
すべてを直線で作られていると重厚感が大きくなってしまうが、曲線を使用することにより少しでも神殿を軽く見せようとする配慮がなされているのである。

完成したパルテノン神殿の中にはアテネの守護聖人「アテナ」が祭られていた。
このアテナは全治全能の神ゼウスの娘であり、ギリシア神話最大の女神で学問、知恵、戦争を司る神であった。
国家都市アテネはこの女神アテナを崇拝したかという疑問については伝記が残っている。
トロイア文明の遺跡発見に導いたホメロスの叙事詩の一節。
かつてこのアテネではこの土地の守護聖人を巡り、ポセイドンとアテナで争っていた。
ポセイドンがアクロポリスの丘に三つ又の矛で大地を突き刺すと海水が湧きだし、アテナが矛で突き刺すとオリーブの木が生い茂ったと。
神々はこの結果から人に役に立つアテナをアテネの守護聖人としたと。
アテネ市民はこれの結果を喜び、この場所に神殿を建て、以後オリーブを大切にしたという話である。
現にパルテノン神殿ではアテナ像が安置され、周辺にはオリーブが植えられている。
また、パルテノンのすぐ近くにある神殿エレクテイオンでは敗者ポセイドンが祭られており、三つ又の矛も跡が残っているとされているのである。

さらにアクロポリスの丘には勝利の女神ニケを祭る神殿が残っている。
ペルシア戦争での勝利を記念し、女神ニケに勝利を捧げた場所。
しかし、ルーヴル美術館のサモトラ島のニケ像などギリシア神話のニケには翼が生えていたが、このアクロポリスでは羽がないニケ像がまつられている。
これは翼が生えていると勝利がどこかへ飛んで行ってしまうのではないか。
ずっとアテネを勝利に導いていただくために羽をとってしまおうということから市民によって切り落とされてしまったのである。

こうして独自の国家都市として繁栄したアテネでは数々の哲学者を排出している。
市民の道徳教育を行った「ソクラテス」
市内に学校を創設しイデア論を生み出した「プラトン」
万物の祖「アリストテレス」など
アテネは神話や神々との交信の場所であり、精神世界の根底を生み出した場所。
それほどの理論が生まれる平和な世の中が存在した証である。

そんな栄光の絶頂を極めたパルテノン神殿であったがその後、アテネの象徴として激動の時代を迎えるのであった。
古代ギリシアは時代の衰退とともにローマ帝国が侵入。
その時はまだ壊されずに残っていたのだが、ローマ帝国崩壊と同時にビザンティン帝国の支配。
ビザンティン帝国はキリスト教東方正教会の総本山として存在。
が、あるとき東方正教会にはイコノクラスム(偶像破壊運動)が始まってしまう。
東方正教会にとって絵画以外に神を書くことを禁じたためであった。
こうしてすべての彫刻の頭部は破壊され、浮き彫りも削られたのである。
また、さらに辛い歴史がパルテノン神殿には待っていた。
ビザンティン帝国後のオスマントルコによる支配である。
オスマントルコはこの場所をモスクに改修。
さらに、この場所を弾薬庫として倉庫も兼ねていたのである。
あるときオスマントルコの各都市を攻撃していたヴェネツィアがこの地を攻撃。
その時砲弾が、アクロポリスに着弾。
武器庫としていた倉庫に火が回り爆発を起こしてしまう。
こうして、パルテノンの大部分が崩れおちその後廃墟と化してしまうのである。
現在は大部分修復され、当時の姿の面影を見ることができる。
白亜の神殿がエーゲ海の空を映しだす、こんな風景がいまアテネでは見られる。


アテネの小高い丘に残るアクロポリスは古代ギリシア建築の最高傑作として、古代ギリシア人の信仰心を物語る重要な聖域として1987年世界遺産に登録された。
この場所はすべて計算によって美しい姿を見せているのである。




この場所建築を学ぶ人にとってはすごい有名です。
って、一般の人でも有名ですけどね。
実はこの計算された建築がシルクロードを渡って日本にも影響を与えています。
日本の法隆寺がその例です。
法隆寺の柱ってまっすぐ立っていないんですよ。
すこし丸みをしており真中が一番太い形状。
まさしくパルテノン神殿と一緒なのです!!