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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学144--滅亡する王国の最後の輝き--
2000.12.30
 
世界遺産雑学144

--滅亡する王国の最後の輝き--

乾燥する大地に水の楽園
ここはまさにすべての出来事を忘れるかの趣
滅亡を迎えた王国での最後の王の楽しみ
すべてはレコンキスタの歴史によって


グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区  スペイン

スペイン南部、アンダルシア地方。
この地方は年中乾燥した荒涼とした大地が続く。
青い空に、赤茶けた台地。
しかし、グラナダにはたくさんの水が存在した。
ネバダ山脈の端に位置したグラナダには雪解け水が流れる絶好の条件があったのである。
そんな水の豊富な土地で繁栄した王国こそグラナダ王国。
しかし、この王国は時代の流れとともにイベリア半島最後のイスラム王国となる。
そして滅亡させられる運命をたどるのである。
レコンキスタによって彼らは戦争を余儀なくされ、次第に権力争いも起こり衰退。
すべては歴史の流れとともに。


スペイン、イベリア半島。
ここはかつてキリスト教の国土であった。
しかし、アフリカからやってきたイスラム教国家ウマイヤ朝がイベリア半島に侵入すると瞬く間にキリスト教はイベリア半島から追い払われすべてを支配されてしまうのであった。
彼らはこのイベリア半島だけでは満足できずフランスへ侵略を開始。
こうしてたどり着いた場所こそトゥール・ポアティエ間。
待ち受けていたものはフランク王国の軍隊。
彼らはヨーロッパ世界からキリスト教を守るためにかつてない士気があった。
また巧みな指揮により見事にイスラム軍を撃破。
以来、ピレネー山脈を境にキリストとイスラムで領土を分けることとなったのであった。

しかし、キリスト教はこの出来事を快く思っていなかった。
このため自分たちの領土を回復しようと運動がおこる。
この出来事こそ「レコンキスタ」。
国土回復運動の始まりである。
しかし、当初ウマイヤ朝の後にできた後ウマイヤ朝があまりにも強国であったため国土は回復できなかった。
そのため数百年にわたり、イスラム国家が弱まるのを待っていたのである。
そうして徐々に徐々にイベリア半島をキリストの手に戻していったのであった。
そして500年後の13世紀にはイベリア半島の8割をキリスト教世界へと復活させたのである。

こんな状況のイベリア半島に1230年一つの王国が誕生する。
「グラナダ王国」
すでに誕生した6年後にはイベリア半島にイスラム教国家はこのグラナダ王国一つだけとなってしまった。
このため、キリスト教から数々の戦争を挑まれてしまうという事態に発展。
しかし、グラナダ王国は260年にもわたってイベリア半島に存続することになる。
まさしくイスラム教最後の砦であった。

こうした中建てられたものこそ、アルハンブラ宮殿・ヘネラリーフェ離宮・アルバイシン地区である。
もともとアルハンブラ宮殿はキリスト教の侵攻を恐れ、丘の上に建てた城壁が始まりであった。
しかし、増改築を続けた170年間にいつしか宮殿へと姿を変えていた。
赤い城を意味するアルハンブラと名前を変えそこは水の楽園へと変化していたのである。
回廊に囲まれた中庭にはライオンの像12体が水盤を支える噴水が設置されたライオンの庭園
直線的に水が配置されたコマーレスの中庭
リンダラハの中庭にはたくさんの花が植えられ色彩豊かに彩られている。
すべてはイスラム文化最高傑作の庭園である。
宮殿内部は大理石の床でたてられ、壁にはイスラム文化特徴のアラベスク文様や立体装飾が散りばめられている。
これらもすべてイスラム美術の最高傑作。
グラナダ王国は常に滅亡という危機を持ちながらもこれほどのイスラム文化最高の宮殿を作り上げたのであった。

ヘネラリーフェ離宮は国王の夏の離宮として建てられ、別名水の宮殿と呼ばれる。
それは庭園のいたるところに水が引かれており、長方形の水路にアーチ状に噴水が噴出している。
常に水の音が聞こえ、夏の暑さを忘れさせる清涼感がただよっているのである。
まさにここはイスラムの造園建築の粋を集めた場所となっている。
アルバイシン地区はグラナダの最も古い居住区であり、キリスト教がグラナダを占領したときのイスラム教徒の居住区とされた場所。
ここはイスラム教特徴の街並みで敵兵を宮殿に近づけないように迷路のようになっているのが特徴。
アンダルシア建築とイスラム建築が混在した最も特異的な町並みである。

こんなすべてをイスラム教最高峰の技術でたてられ栄華を極めたグラナダ王国であったが、とうとう滅亡の時期がやってくる。
レコンキスタと権力争いである。
イベリア半島におけるキリスト教は4~5つの国に分割されており、互いに権力争いを繰り広げていた。
このため、グラナダ王国も積極的なレコンキスタによる戦争が起こらなかったのである。
しかし、そんな中「イベリア半島最大のカスティーリャ王国がもう一つの国と連合を組むこととなる時がやってきた。
カスティーリャ王国女王イザベルとアラゴン王国王子フェルナンドとの結婚である。
イザベルにとっては大国の未婚の女王であったため各国からの縁談が数多く持ち込まれていた。
しかし、彼女は小国アラゴン王国王子との結婚を熱望する。
それは王子フェルナンドがレコンキスタの熱心な信仰者であったためである。
野心家フェルナンドをイザベルは気に入りアラゴン王国へ縁談を持ちかける。
これに喜んだのがフェルナンド。
小国の王子であった彼にとって、大国の女王と結婚できることは自分の野心を遂行するためにも願ってもいないことであった。
このため、2つの王国は連合国となりやがて合併。
スペイン王国の誕生であった。
こうしてスペイン王国はグラナダ王国へと侵攻したのであった。

グラナダ王国滅亡のもう一つの理由としては王位争いの混乱である。
グラナダ王国の領土はどの王子を推進するかで内紛状態にあった。
しかし、王はそんな王国の状態も無視し、アルハンブラ宮殿のハーレムで遊び続けたのである。
あるとき、自分の迎えた妃が一族の貴公子と密会しているという情報を手に入れた。
ハーレムは国王以外の男性が入れない聖域であった。
このため国王は激怒。
疑いのあった貴公子を呼び、疑わしいものはすべて殺すといい首を刎ねたのである。
見せしめのためライオンの噴水に首を放置したのである。
こうしてグラナダ王国にはさらなる内紛が勃発。
次の国王となったボアブディルはグラナダ王国にはもう存続する力は無いと感じ、スペイン王国に降服を決断する。
1492年1月2日、アルハンブラ宮殿を望む丘で両国国王が顔を揃え、アルハンブラ宮殿のカギをグラナダ王国ボアブディルからスペイン王国フェルナンドへと渡された。
それはまさしく無血開城であった。
最後には一人の血を流すこともなく、グラナダ王国は消滅したのである。
また、この瞬間イベリア半島におけるレコンキスタが終了した瞬間でもあった。
宮殿はその後つぶされることもなく、現在でもその王国の繁栄を伝えているのである。


イベリアにおけるイスラム教最後の砦だったグラナダに残る宮殿群は世界で唯一現存するイスラム宮殿であり、イスラムの建築美術などの粋を残す場所として1984年世界遺産に登録された。
ここは滅亡しかなかった王国が最後に見せた輝きの証である。




尊敬する人の一人、イザベル女王のお話です。
この人すごいんですよ。
王女として生まれながら宮殿のようなきらびやかな場所を嫌い、結婚も自分が認めた男性しかしない。
特にイザベル女王のすごいところはコロンブスを登用したこと。
グラナダ王国がまだ存続している時代にコロンブスにであい、世界を変える男だと認め私財をなげうってまで彼に投資をしたのです。
こうしてグラナダ王国滅亡とコロンブス新大陸発見の年が全く同じなんです。
イベリア半島を統一しすぐに新大陸へ行ったスペインは怒涛の繁栄をみせます。
それを可能にしたのはイザベル女王の目だったのです