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 【中国の世界遺産

世界遺産「承徳の避暑山荘と外八廟」(1)
2007.09.23
 
2007年9月23日    50日目


ねえ、清ってこんなに権力持ってたの。

本日はあまりの素晴らしさに驚いた。

これだけのものを作れる皇帝って。。


本日は本当だったらメインの避暑山荘に行こうと思っていたけど、昨日の時点でお昼買い忘れた。

あまりにも広いことが分かっているのでたぶんお昼は中で食事することになると思うので。

というわけで急遽行き先を変更して、避暑山荘の周りに存在する外八廟に行くことに。

外八廟といっても実際には11ヶ所も存在してすべて行くのには結構な苦労が。

なのでその半分以上は行きたいと思っています。

世界遺産「承徳の避暑山荘と外八廟」は清の第三代康煕帝の時代に夏の離宮として建てられたのが始まりです。

夏は故宮に変わりこの場所で政治を行い、ここから中国全土へと指示をしていました。

このためここには皇帝が楽しむための庭園や宮殿などが建設。

それに伴い、皇帝が信仰していたチベット仏教の寺院を周りに建て始めました。

これが外八廟の始まりです。

清の民族はモンゴル族だったのでモンゴルの信仰していたチベット仏教が皇帝にも受け継がれていたのです。

本日最初に行った場所は「普陀宗乗之廟」です。

ここは第六代乾隆帝の60歳を祝うために作られました。

なんといってもその姿はチベットにあるラサのポタラ宮に模して造られ、遠くからでも白亜と紅色の建物が確認できます。

外八廟の中でも最大規模を誇り、外八廟の総面積の半分以上がここが占めている。

丘に建てられて壮大な建物です。

建物内の宝座は乾隆帝がチベットのダライ・ラマを尊敬して建てられたもの。

ダライ・ラマがいつかここに座るときのために。

ただ、当時のダライ・ラマは13歳であったためチベットを離れることができなかったのです。

ここも行ってみて絶句。

なんだ、この大きさは。

バスに乗っている最中からでもその大きさが確認できる。

丘の上に白と紅の巨大な建物がそびえたっている。 

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まさしく、チベットのポタラ宮にそっくり。

中に入ってからも驚きの連続。

最初の門をくぐってから石碑やお寺や様々な建物がこれでもかというぐらい建っている。

一番奥の建物にたどりつくだけでも相当な時間が。

やっと一番奥の巨大な大紅台という建物に到着したと思ったら今度は相当な階段が待ち構えていた。

真下から見ただけでも上がまだ遠いということが確認できる。

大紅台の中には3階建ての回廊と中にこれまた立派なチベット寺院が。 

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屋上からは普陀宗乗之廟の全体図が確認でき、また周辺の景観も楽しむことができる。 

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ひとつだけ気になるのが向かいの山の上に長城が建設されてるってこと。

あれって、避暑山荘の敷地を表しているんだよな。

山の上だよ。

明日は山登りもあるってことか。。

ほんとになんてもん作ってるんだ。

これってホントに誕生日を祝うためだけに造られたの?

しかも作るのに4年の歳月しかかからなかったなんて。

清の乾隆帝ってそんなに権力をもっていたの。

中国の真の権力を見た気がします。

避暑山荘と外八廟だけでも莫大な費用が必要に。

すごいですね、中国。

これ見るだけに2時間かかってしまいました。

次に向かったのは殊像寺に。

歩いて向かったのですが、何としまっている。。

見れないってことですか。

なので続いて須弥福寿之廟に行くことに。

こちらは建物のほとんどが紅色の巨大な建物があります。

乾隆帝60歳を記念してチベットからチベット仏教の2番目に偉いバンチェン・ラマが承徳を訪れるために建てられた建物。

バンチェン・ラマが住んでいるラサの建物を模して造られています。

山門をくぐると石碑が建っており、その後ろにはすぐに巨大な大紅台が。

ここもすごいんですけど。

真紅に染まった建物が目に入ってくる。 

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あたり一面が紅に。

あまりにも巨大すぎで写真に入りきらない。

ほんとにこれ、バンチェン・ラマが訪問するためだけにつくられたの。

しかも先ほどの普陀宗乗之廟のすぐ後に造られたって。

う~ん、信じられん。

大紅台の中に入ってみるとそこは普陀宗乗之廟の大紅台と同じ構造。

3層の回廊とその中心に巨大な建物が。

こちらはバンチェン・ラマが座るために椅子が設置されています。

天井もすごく高いですし。

本日は圧倒されっぱなしなんですけど。

恐るべし、清。

大紅台を抜けると最後には宝塔が建っており、これまた空に向かってそびえています。 

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瓦の色がまるで空の色と混ざった感じが何ともいえずよかった。

ここで一度昼食をとり、続いて普楽寺へ。

清に従っていた少数民族を皇帝のもとへ参拝させるために建てられた場所。

北京にある天壇を模して造られています。

規模は天壇に及びませんがそれでもかなりの大きさがある。 

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数メートルの巨大な大の上に建つ円形の建造物が何ともいい感じ。

後ろの山には奇岩の山がそびえています。 

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これも乾隆帝の時代に作られた建物。

ええ、乾隆帝ってもの凄くチベット仏教の信仰者だったのですね。

でないと、ここまでの莫大な費用がかかる建造物が建設できない。

それにしても本日はただただ清の素晴らしさに感動しっぱなしです。

日本とは権力のケタが違う。

やはり中国統一することは日本統一に比べてものすごく大変でそれでいて安定した国家を作るのにはかなりの難しさが必要だったのですね。

現に晋とか隋とかはすぐに滅んでいるし。

そう考えると漢とか唐とか明や清なんかはかなりの歴史があり、素晴らしい国家だったということか。

そして本日の最後の観光は安遠廟に。

普楽寺からは歩いて10分ぐらいの所にある規模の小さいお寺。

安遠廟はウイグル自治区を制定した時に投降したモンゴル人を承徳へ定住させ、彼らのための仏教寺院です。

ここにはたった一つの建物があるだけ。 

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すべては紅色で着色されていて、中に入ると結構広く感じます。

そこには一体の仏像が置かれている。

今まで見た中では何とも小さいですが、普通で言うと結構な大きさがあります。

それだけ外八廟がすごすぎるということなのですが。

乾隆帝は昔の敵だったものにチベット仏教の信仰が深いという理由で彼らのためにお寺を建てる。

すごい素晴らしい皇帝ですね。

普通だったら無視か殺してしまうのではないでしょうか。

何とも情の厚い皇帝だったのでしょう。

だから清の最盛期を乾隆帝の時代でむかえたのかな。

にしてもここ、冬は閉じているってどいうこと?

人が訪れる気配がないってことなのかな。

訪れるには十分注意してください。

さてさて、観光も終了したので明後日のバスのチケットを取りに地●の歩き方に乗っているバスターミナルへ。

・・・・・・・。。。。。

な、ない。。

広場らしきものはあるがさっぱりバスもないし、建物もない。

もしかして移動した??

そういえば、何度もバス停の標識を見ていたから気づいたんだけど、ここの承徳には北・西・東バスターミナルがあるよね。

ってことはそのどれかに行かないと買えないのか?

えっと北京は承徳から南西の方角にあるから西バスターミナル?

時間も遅かったのですがあわてて西バスターミナルに向かいました。

でも、時間が遅かった。

バスターミナル自体が閉まっている。。

近くの警察の方に文字を書きながら北京行きあるって聞いたらないよって言われたよ。

さて、どこから乗ればいいのかと途方に暮れていると東バスターミナルって教えてくれた。

助かった。

明日、東バスターミナルまで行かなければ。

戻った時にはもう日が暮れており、あわてて夕食と風呂へ。

今回は違う場所の風呂に行ったんだけど10元も高かったのであきらめてちょっと遠き昨日行った風呂に行くことにしてしまった。

結構歩くんですけどね。

明日は早起きして避暑山荘を回らないといけないな。



普陀宗乗之廟アクセス
避暑山荘バス停から東側に向かう118番にのり8つ目の普陀宗乗之廟下車

須弥福寿之廟アクセス
避暑山荘バス停から東側に向かう118番に乗り7つ目の須弥福寿之廟下車

普楽寺・安遠廟アクセス
避暑山荘バス停から東側に向かう10番のバス停に乗り普楽寺口下車
バス停から東北方面の道路を歩き、つきあたりまで10分。
つきあたりから左に行けば安遠寺、右に行けば普楽寺
ただし、10番は2種類あり片方は二つの目の前の分かれ道まで行ってくれる。





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