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 【中国の世界遺産

世界遺産「明・清代の皇帝陵墓」(3)
2007.09.27
 
2007年9月27日    54日目


う~ん、明ってやっぱり万里の長城でお金無くなってたのかな。

明十三陵って広いけど一つ一つがこじんまり。

高祖が一番すごかった感じが。



は~い、本日も朝早く5時起きでしたよ。

インターネットをして、朝食を食べて。

ちょびっとだけのんびりしながら出発いたしました。

本日向かった場所は世界遺産「明・清代の皇帝陵墓」の明十三陵です。

その名の通り明の時代の皇帝のお墓が13も一ヶ所の場所に集まっている場所です。

ただし、見学できるのはそのうちの3つだけですが。

中国の明と清は皇帝がなくなると陵墓を作ることを当たり前としていました。

それは中国大陸のいろんな場所に存在しています。

今までに行ったのは南京の明の開祖と瀋陽にある清のヌルハチとホンタイジの陵墓です。

明は建国当初は南京を首都としていましたので開祖のお墓は南京にあるのですが、その後北京へと遷都したためにこの明十三陵に次々と陵墓を建てたのです。

本日はこの明の皇帝たちの陵墓へと向かうことにしました。

さっそく地下鉄に乗り、目的のバス乗り場へ。

やっぱり今回も同じ数字で何個もバス停があるよ。

人に聞きながら何とか乗れましたが。

それにしてもこのバス各駅停車のような感じだからすごく時間がかかる。

結局明十三陵に到着したのが9時になってしまった。

このためにすでに人が多いことが予想されるのでメインを最初に見るのではなく、メインを見た後に人が行きそうな場所に行くことに。

とりあえず、最初に向かったのは長陵です。 

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この場所は明の第三代皇帝永楽帝とその皇后の墓。

永楽帝は明の一番繁栄をもたらした時の皇帝で、さらに首都を北京とし万里の長城を修復させた皇帝でも知られています。

当然、ここに陵墓を作ったのも初めてでもっとも古い陵墓にあたるのです。

中に入ってみてびっくりしました。

意外に小さいことに。

明の高祖洪武帝の陵墓には行ったのでその大きさぐらいを覚悟していたのですが、なんとその半分すらない。

最も栄光の時を迎えた皇帝なのに。

ということはお金がそんなになかったということ。

万里の長城の建設にそれほどの経費がかかってしまったということではないでしょうか

構造はこれまで見てきた陵墓と全く同じ。

最初に門があり、その後石碑をまもる巨大な建物が存在する。

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その後ろに見えるのが皇帝を祈るために建造物があり、そして後ろに陵墓を守る門と陵墓がそびえたっているという構造です。

やはり陵墓も洪武帝と比べると規模が全然小さい。

小さな山が建っていてその周りに陵墓を回る塀が造られています。

一周回るのにそんなに時間がかからなそう。

洪武帝は一周するのに1時間ぐらいかかりそうな勢いでしたから。

陵墓の前の門には誰のお墓かを示す石碑が建っており、陵墓に向かってそびえています。

本日はほんとに青空でよかった。

すごく写真が奇麗に取れました。

ただし、自分でも気づいてはいるのですが、何となく斜めに写真が取れてしまいます。

たった1mm動かしただけでも写真が斜めに感じてしまうので取るのに至難の技が必要。

ある人にも写真が斜めだよって言われたし。

精一杯努力しているのですが、このカメラなぜかこういう仕組みみたいです。

私は写真家に向いていないのですね。

あまりに内部は小さいので観光時間はそんなに掛からなかったです。

そして、時間もお昼近くになってきたのでメインの定陵に行きました。 

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ここは明の14代目皇帝の陵墓で長陵より規模は小さいのですが、何といってもこの陵墓はお墓を見れることにあります。

今までは巨大な山がそびえたっているのを見て終わりだったのですが、ここだけは地下の宮殿を発掘して公開されているのです。

これは初めての経験。

地上に残る陵墓の構造はほかの長陵などと全く同じ。

奥に進み、小高い山の中に入れるようになっていて。

山の裏手から地下に入る道が。

ここに荷物チェック。

X線を通すぐらいの厳重チェックでした。

そこからは地下に向かう階段が。

って、すごく下るんですけど。

推定5階以上は下っています。

しかも下ってみてさらに驚きました。

すごく広い空間が広がっています。

王の眠る場所から王の玉座。 

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挙句のはてに皇后の玉座までそこには存在します。

山の中にこれほどの大きな宮殿があるとは。

しかも明の14代目でこのクオリティーがあるんですね。

いまだに陵墓の中に入っていない第3代とか開祖とかはどれだけの広さがあるのでしょうか。

想像だけしかできませんがきっと巨大な宮殿が眠っているのですね。

見ることは絶対できませんが、想像だけでも素晴らしさがわかる感じがします。

こうなったらぜったし清東陵にいかなければ。

非常に行きにくい場所にあるのですが、清の西太后のお墓などは地下宮殿が公開されているらしいので。

で、その後は近くの昭陵に行ってきました。

こちらは規模がほんとに小さくほんとに構造がほかのところの中間であるような感じがあります。

似ているのは瀋陽にあった清の陵墓の感じがありました。

ただし、規模は瀋陽の三分の一ぐらいしかなかったですが。

第13代皇帝の陵墓なのですが14代よりほんとに小さいです。 

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もっとも14代皇帝はこの建設費に費やして国を傾けさせたという話が残っているくらいです。

それにしても何でこんなに明と清って皇帝の陵墓は形が全く同じなのでしょうか?

普通民族が違ったり、国が違ったりしたら違う感じで建てませんか?

全く同じって不思議ですよね。

清は明の文化を尊重したという歴史を持っていますが。

歴史ってすごく面白いですね。

で、その後はバスを乗り継いで明十三陵の神道に向かいました。

これはどの陵墓にもあった入口からお墓までをつなぐ通りに造られた二体一対の石造が並んでいる場所です。

もちろん明の洪武帝にもありましたし清のヌルハチやホンタイジにもありました。

明十三陵はこれを一つの神道と考えているのでかなり規模が大きいです。

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巨大な門をくぐってからは2つの大きい石塔が建っておりその後ろにはたくさんの石像が並んでいます。

像やラクダやキリンやライオンなど。

すべては皇帝の権力を示すためのもの。

さらにその後ろには武官や文官などの石像が両端に並んでいました。 

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歴代の王たちはここを通り過ぎて祭祀をおこなったのですね。

それにしても長いよここ。

さすがは13人の皇帝の神道だけある。

昔の人たちはこの風景を見て皇帝の権力の高さを改めて思い知ったのではないでしょうか。

さすがに7時間観光は疲れました。

のでそのまま北京に戻ることに。

・・・・・・。。。。。

が、渋滞につかまった。

結局北京に到着したのが7時半。

あまりにも疲れたので日記を書いて寝ようと思ったら親しくなった人が明日出発とのことなので飲むことに。

結構飲んでしまいました。

明日は休暇日にしようかなって思います。


明十三陵アクセス
北京の徳勝門(西)から345番のバスで昌平北駅下車。
ただし345番のバス乗り場がたくさんあるので一番西側にあるバス停を利用。(支、快速ではない)
昌平北駅から西に向かう道を30秒歩くと314番のバス停があり、それに乗り定陵、長陵下車。

昭陵アクセス
定陵から標識にそって徒歩15分

神道アクセス
314のバスで大宮門下車





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