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 【中国の世界遺産

世界遺産「明・清代の皇帝陵墓」(4)
2007.09.30
 
2007年9月30日    57日目


なんとか日帰りできた。

遠すぎですよ、この世界遺産。

しかも、中はすごい広いし。


おはようございます。

4時起きでございます。

起きている人はほとんどおりません。

そりゃそうだけど。

洗濯とインターネットをかたずけてから、さっそく出発。

向かった先は四恵バスターミナルです。

6時15分発の薊県行きに乗るために。

地下鉄で向かってバスターミナルに向かったのですがこんな時間なのに人がすごいいるんですが。

さっそくチケット売り場に行ってみたらなんと。

薊県はないよと言われてしまった。

なぜ?

このため第2ルートで行くことに。

少し遠回りになるのですが確実に行ける遵化行きを選択しました。

問題は終点までの到着が4時間かかるってことですね。

もう、お昼手前なんですけど。

日帰りはほとんどあきらめ状態で行きました。

バスの中では相変わらずの睡眠。

途中何回か起きて石門に到着しました。

地●の歩き方には石門からタクシーをチャーターって書いてあったのですが、お金を使いたくないし、帰りのルートも確認したかったのでそのまま遵化まで行くことに。

そしたら、何とバス交換のために石門でみんな下車するではないですか。

しかも降りてみると清東陵まで標識に3kmって書かれている。

3kmだったら三輪タクシーをチャーターしても大して高くないはず。

というわけで急遽石門で降り、三輪タクシーをチャーターしました。

もちろん値切りましたよ。

しかし、これが清東陵の落とし穴。

実は清東陵のチケット売り場までが3kmであって、観光地はその先11km先みたいです。

チケット売り場に下されてようやくその事実に気付きました。

とりあえずチケットを買ったまでは良かったのですが、そこからの移動手段は何もない。

歩きかチャーターしたバイクを再びチャーターするのみ。

11kmはちょっと不可能なので。

すごく交渉しましたよ。

15元だったらって言ってくれたので再びバイクに乗り込み。

やってまいりました世界遺産「明・清時代の皇帝陵墓」の一つ清東陵です。

明の時代はほとんどが明十三陵に造られましたが、清の時代では開祖の陵墓が瀋陽にあり、残りは北京周辺の清東陵と清西陵に造られたのです。

特に清東陵には清の最も反映した時代の皇帝が葬られている場所。

北京から150km以上離れていますがこれは行くしかないと思いました。

三輪タクシーに乗って途中一つの観光地に立ち寄りながら、最初に向かった場所は「裕陵」です。

この裕陵は清の最盛期を迎えた乾隆帝の陵墓。

最大版図を築きあげ清を近代まで存続させる原動力となった人です。

行ってみるとやっとその素晴らしさがわかるものですね。

明の太祖ほどには及びませんでしたがその広さと豪華さ。 

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構造は明十三陵の陵墓と同じなのですが、すべてが明を圧倒的に凌駕しています。

中でも一番びっくりしたのが地下宮殿。

明十三陵でも地下宮殿を見れるところはあったのですがそちらは周りの壁に何の装飾もされておらず巨大な空間が広がるのみでした。

しかしこちらは地下の壁一面にレリーフや文字が刻まれておりそれは幻想的な雰囲気を出しています。 

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その装飾の見事さといったら。

モンゴル人であったためにモンゴル語が表記されていてさらに龍などの皇帝を象徴する動物などが緻密に描かれているのです。

あまりの素晴らしさに言葉を失ってしまいました。

これが見れただけでも清東陵に来てよかったと実感しました。

今回は帰りの時間もあるのでさっさと観光。

続いて向かった場所は順治帝が眠っている「孝陵」です。

陵墓の構造はほとんど一緒ですが、孝陵に向かうまでの参道に石像や大きな門が配置されています。 

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残念なことにここは陵墓の中まで入ることができず、その手前の順治帝を祭った祭殿までしか行けません。

しかし、その大きさは明よりも大きくこの地に順治帝の存在をいつまでも示しているようでした。

ここまで見るとどうやら明より清の方が権力があったのではないかと感じるように。

陵墓だけ見ても明らかに清の方が大きく豪華さがあります。

しかも明は一ヶ所に集められたのに対して、清は同じぐらいの規模の陵墓群が2つにわたって作られている。

清東陵はその中でも巨大な規模を誇っているのです。

このため、移動手段がタクシーか徒歩だけというのがすごくつらい。

ともかくメインどころだけは徒歩で何とか歩ける程度なのでまだよかったのですが。

続いて向かった場所は「景陵」。

孝陵から徒歩30分歩いたところにあり、第4代皇帝康煕帝が葬られています。

康煕帝は清の首都を瀋陽から北京に移した人で清の繁栄はこの人から始まったといわれています。

特に4,5,6代が一番繁栄した時代。

その始まりの人です。

やはり規模は第6代乾隆帝に比べて小さいですが、存在感がとてもあります。

特に一番最初の門の巨大さは大きく、残念なことに修復されておらず崩壊していますがそれでもその巨大さが伝わってきます。 

そこから陵墓に向かう間には巨大な橋を渡り石像が建っている神道を抜けようやく陵墓に到着するのです。

ここも陵墓の中に入れずその手前の建物だけなのですが、その建物がかなりの大きさ。 

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もちろん皇帝でしたから黄色の瓦が使われておりそれが空の色と溶け合う感じ。

その壮大感は見てみて初めて伝わってくるようでした。

ここで一度買ってきた食事で昼食をとり、再び裕陵に戻りました。

途中、かなり遠い南側に巨大な門が見えたけど何だろうと思って行ってみたらなんと裕陵の最初の門でした。

その先にはたくさんの石像が並ぶ神道が存在しそこから再び5つの並んだ門がそびえています。 

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それにしてもここ裕陵からだいぶ遠い場所にあるんですが。

全部歩くと20分以上かかりそうな気がする。

それだけの権力が乾隆帝にはあったのですね。

これでかなりの時間をとられてしまいましたが、さっさと観光を。

乾隆帝の王妃の陵墓に向かってからそのあとに乾隆帝のお墓の次に見たかった、「慈禧陵」に向かいました。

実は清の末期に帝国に君臨し続けた、西太后のお墓なのです。

実際には皇帝の地位についてはいなかったので陵墓はかなり小さいのですが地下宮殿と実際に使用しいた西太后の日用品が展示されているのです。 

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ここは面白いことに西太后と東太后の陵墓が全く同じに造られており、しかも隣どおし。

陵墓は西太后のものしか見られませんでしたが、全く同じものが隣通しにあるというのも何とも見ごたえがありました。

地下宮殿はさすがに皇帝より小さかったですしレリーフもなかったのですが、西太后の棺が安置されているため違った雰囲気が楽しめます。

東太后のお墓にも寄ったのですが全く感じが同じ。

ただし、人が全く来ないために写真が奇麗に撮れました。 

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あと日帰りするまでに1時間残っていたので最後の場所として「定陵」に向かいました。

咸豊帝のお墓で一番の西に位置しているのです。

ここも陵墓は見ることができませんでしたが、最初の門から中に入る門までが周りに森すらなく、その広大さが一目見てわかります。

やっぱり凄く広い。 

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広大な陵墓と広大な空が拝めます。

ここも意外によかったですよ。

それにしてもこれだけのものをよく一つの場所に集めたもんです。

権力を持つってすごいことなんだな。

今回はメインの神道は時間の関係で行くことはできませんでしたが、どれだけの広さがあるかわかるようでした。

さて、この時点で時間は15時。

観光を5時間しただけなのですが、すでに終バスの時間が。

さっそく西太后の駐車場からバスに乗り込み近くの町のバスターミナルまで移動。

といっても30km近くあって1時間かかるんですが。

そしてバスターミナルからは北京行きのチケットを買えました。

終バスの1時間前に乗っていたのですが、たぶんチケット取れるのがこの時間でないと取れない感じがありました。

要するに帰れなくなるので15時には清東陵を出ないといけないです。

さて、バスの時間も近づいたのでバスターミナルで待っていると待てどもバスが来ない。

ちょうど英語が喋れる人がいたので聞いてみたらなんとアクシデント。

20分来ないって言われました。

それも旅していれば当り前に起こるので問題ではないのですが、結局50分かかってバスが来たよ。

今から帰ると宿に戻るのが23時予定。

終電があるのか?

とりあえず、バスに乗って4時間。

22時に北京に到着しました。

さっそくバスに乗り夕食をってこんな時間に食べれるところなんてない。

ファーストフードで食事するしかなかったです。

明日は、もう疲れたのでゆっくり休日とします。

なんせ、国慶節が始まるのでこちらも休日ですから。


清東陵アクセス
北京四恵バスターミナルから遵化行きに乗り石門で途中下車。
清東陵チケット売り場までは3km。
チケット売り場からは裕陵で10km離れている。
石門から三輪バイクがあるのでチャーターしてください。
20元以下で裕陵まで行けると思います。
裕陵からはその他の陵墓は徒歩が可能。
終点の遵化で降りてもバスターミナルから東陵行きバスがあり。
ただし石門と比べて到着が1時間半以上遅れてします。
帰りはこのルートがベスト
四恵を6時20分、東陵を15時に出発しないと日帰り不可。





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