TOP > ひさほゆうのリアルタイム世界遺産旅行ブログ

カテゴリー
ひさほゆうが独自の視点で世界遺産を解説!
最新コメント

 【中国の世界遺産

世界遺産「始皇帝陵と兵馬俑坑」
2007.12.18
 
2007年12月18日    136日目


ファーストエンペラー

その権力はここに集約されている

2500年前の文明がこれほどの権力をもっているとは


あれ、目覚ましがならない。

設定ミスったみたいだ。

でも、予定の目覚めから1時間遅れ。

本日は観光だけだし、朝一番に行っても特にやることはなかったので。

ゆっくりと出発することにしました。

さてさて本日の行く場所は昨日の段階で行き方を調べておいてあったのですんなりいくことができました。

そして向かった先は世界で最初の皇帝の権力が集められた場所。

世界遺産「始皇帝陵と兵馬俑坑」です。

時は紀元前3世紀。

中国では7つの国が乱立していました。

それを統一したのが秦の始皇帝です。

中国初の統一国家を樹立し、自らをはじめての皇帝と名乗った人。

彼は中国を統一後様々な改革を進めました。

まずは貨幣の統一。

そして北方からの侵略者に対しての万里の長城の建設など。

それはあまりにも急激に行ったために人々から反感を買うことにもなりました。

そんな中、秦の始皇帝が自分のために行った建設がありました。

それこそ始皇帝陵の建設。

都に近い山を切り崩し、ピラミッド状に変形させて。

その中には豪華絢爛な宮殿が作られたと歴史書は語っています。

巨大な空間の中には死後もそこでいつもと変わらない生活ができるようにかれることのない水銀で川を作り、中心の銅板の上には宝物が備えられていると伝えられています。

現に始皇帝陵の地中をボーリング調査したところ通常ではありえない水銀量が見つかったのです。

また、始皇帝はこの陵墓を永遠に守るために陵墓の周りに兵を配置させました。

もちろん不変に変わることのない焼き物で作られたのです。

それは現在でもどのぐらいの兵が地中に埋められているのか確認できないほど膨大な数。

しかし、秦の始皇帝がここに埋葬されてからは彼の強引な改革が人々の反乱を招きたった15年という短さで秦は崩壊していまいました。

これにより、歴史の中から秦の始皇帝のお墓は忘れ去られたのです。

後して長い間歴史から姿を消した始皇帝陵でしたが、あることがきっかけにより再び日の目を見ることになります。

それは兵馬俑の発見です。

1900年代西安の一つの小高い山の周辺に住む一人の農民が自分の畑のために井戸を掘っていました。

すると、中からたくさんの陶器が発見されたのです。

よく見てみると人の顔をした陶器。

これが考古学者の耳に伝わり、さまざまな兵士の土の人形が発見されたのです。

そしてその近くにある山が始皇帝陵であり、ここがその始皇帝陵を守る兵馬俑であると断定されました。

現在4つの兵馬俑坑が発見されていますがそれはごく一部とされまだたくさんの兵馬俑が眠っているとされているのです。

こうした始皇帝陵と兵馬俑坑は中国の歴史を知るためにとても重要で中国でも最大規模を誇ることから世界遺産に登録されました。

さあ、最初に向かったのは兵馬俑。

バスを降り、さっそく入場ゲートへと向かいました。

あ、今中国は旅行者が少ない時期なので入場料が若干安くなってます。

うれしい限りですね。

で、う~ん入場ゲートから兵馬俑まですごく歩くんですが。

しかもチケットを二回もチェックするって。。

無駄な人件費を使うなよ。。

そして、兵馬俑第一坑へと足を踏み入れました。

・・・。。。 

   alt=""title=""title=""alt=""

広い。。

兵馬俑が見つかった場所は全部屋根が付けられており、すごい巨大な空間が広がっています。

日本の体育館の10倍の大きさってところでしょうか。

そしてその下には数えきれないぐらいの人型の土で作られた人形が。 

   alt=""title=""title=""alt=""

一体一体の表情は全部違い、中には馬などの人形もありました。

兵士は規則正しく並べられており、始皇帝陵に背を向ける形で外からの敵の侵入を許さないようでした。

太陽の光が建物の中を照らし、その光が兵馬俑にあたった場所はまさに生きている人間のよう。 

   alt=""title=""title=""alt=""

すごく動き出そうなんですが。

表情の緻密さがそれを物語っています。 

   alt=""title=""title=""alt=""

それにしてもここだけです数千体いるんですよ。

これが埋まっているごく一部だったんですか。。

いったい当時はどれだけの人が駆り出されたんだよ。

確か歴史書によると20万人もの労働力が投入されたらしい。

あの、一つの町丸ごと労働力に使われたのですか。

想像ができない。

すごい権力がこの時代にあったんだな。

紀元前ですよ。

日本でいったらまだ縄文時代?

中国はやはり偉大です。

時がたつのも忘れて見続けてしまいました。

さてさて1号坑を後にしてからは3号坑へ。

何か写真厳禁なはずなのに普通に取れたんですが。。

皆すごくとっているし。

まいっか。

こちらの3号坑はすごく規模が小さくて、兵馬俑もほとんど壊れています。

なんか殷墟でみたお墓のような形だ。 

   alt=""title=""title=""alt=""

人形も数体しかいない。

1号坑がすごく大きかっただけにこんな小さいのも作られたんだと感じました。

で、で、ここにきてようやく知った事実。

何と2号坑が修復中で見ることができない!!!!

が~ん。。。

だから3号坑の写真撮影が可能だったのかな。。。

まあ、修復ならしょうがないか。

というわけで一路兵馬俑博物館に。

ここでは実際の兵馬俑が目の前で見れます。

その細部までのつくりに唖然。

すごく細かいですよ。。

しかも身長高い。

全部俺と同じかちょっと大きいぞ。

やっぱり迫力をつけるためにちょっと大きめに作ってあるのでしょうか。

中にはいろんなポーズをつけたものなどもあり、見ていてすごく楽しかったです。

さてさて、こうして兵馬俑坑は観光を終了しまして続いては始皇帝陵。

バスで向かいましたが、何ともないところで下された。

?とも思いながらよく見てみると横に小高い山が。

この山がその始皇帝陵!!! 

   alt=""title=""title=""alt=""

そんなには高くないのですがすごく大きいぞ。。

これが、お墓?

すごい、すごすぎる。

秦の始皇帝ってなんて権力をここにつぎ込んだんだ。。

ホントに一見するとただの山ですが、よくよく見るとピラミッド型をしているよ。 

   alt=""title=""title=""alt=""

この山の中に巨大な地下空間があって今でも始皇帝が眠っているのですね。

現在調査中であり、しっかり保存までの手順が示されないと発掘はされないためたぶん生きている間に拝めることはないでしょう。

地下の巨大空間

水銀の川

銅板の上に乗った財宝

想像するだけでもすごいことに。

これだけのすごさをもった秦の始皇帝が眠っている場所がどれほどすごい場所なのか。

想像しかできませんがそれだけでも十分なような気がします。

さてさてこの山を取り合えず一周。

えっと、すごく時間がかかったのですがね。

どれだけでかいんだよ。。

もう、秦の権力に圧倒されっぱなしです。

さて帰ろうかと思った時に何と始皇帝陵では毎日演武をやっているとのことで音楽が流れてきました。

中国語がわからないので内容がわからないのですが、皇帝を楽しませるための演武のよう。 

   alt=""title=""title=""alt=""

お墓にむかっていろんな人たちが演武していきました。

昔の皇帝はこのような演武を見て毎日楽しんでいたのでしょうね。

すごく楽しかったです。

特に剣舞。

実際は本物なのでしょうが、それでも剣を自在に操る姿がとても印象的でした。

さてさて、始皇帝陵の観光も終わったので西安に戻ることにしました。

で、戻ってきたのですが現在16時。

もうかなり日が落ちてきたのですが、実は一ヶ所行きたいところがあったんですよね。

というわけでたぶん少ししか見れないと思いますがいってしまいました。

行ってみたい場所とは三蔵法師が天竺で持ち帰った経典を翻訳した場所。

当時唐の首都は長安でこの西安だったのでここで翻訳をしたのです。

バスを乗り継いで行ってみるとこれまた巨大な塔が。 

   alt=""title=""title=""alt=""

三蔵法師は旅した後、この場所で毎日拝み翻訳をしたのですね。

大雁塔という場所なのですが、この中には三蔵法師が翻訳した経典の複製が置いてあります。

また、三蔵法師が旅したルートまで。

って、見たけど三蔵法師はキルギスの方から南下してインドに入ったのですか。

知らなかった。

てっきりパキスタンの方から入ったのかと思ったけど、アフガニスタンの方まで行ってたなんて。

しかも徒歩で。

どんだけ過酷な旅だったか想像するだけでも。。

あとさ、三蔵法師が翻訳した経典を見たんだけど。

何、この量。

広辞苑の2倍の厚さの本が24冊って。

しかもこれ一部なのかよ。

信じられん。。

三蔵法師はとんでもない天才というか努力家だったのですね。

すごいものを見させていただきました。

さあ、これで西安観光も終了。

一度宿に帰って、インターネット。

なんせ列車の出発が夜の10時だったから。

それまで日記でも書いてようかと思ったのですが、いろいろと保険のことで。

やっと保険会社から連絡きました。

対応を検討中らしいです。

さてさてどうならことやら。

やっぱり日本には帰りません。

なんとかします。

そして時間も過ぎ、駅に向かい列車に乗ることに。

今回は初36時間移動。

寝ているだけだからあまり疲れないかな。

ではでは、また明日。



始皇帝陵・兵馬俑
駅の東側広場から出発している遊5・306番バスを使用。
始皇帝陵は途中にあり、兵馬俑は終点にある。





もしよろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ
世界遺産のことを皆に知ってもらう為によろしくお願いします。