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 【[雑学]アジア

世界遺産雑学26--負の遺産 Vol.2--
2000.12.30
 
世界遺産雑学26

負の遺産 Vol.2

--1945年8月6日8時15分--

その瞬間、すべては焼け野原に変わった。
人も動物の住めない焼け野原に。。
人々のうめき声が黒い雨とともに流れていく。
世界で始めて原子爆弾が使われた瞬間だった。。

原爆ドーム  日本


ポツダム宣言。それは戦争を起こした日本に無条件で降伏を勧めたもの。
そのとき、アメリカは降伏をしなければ原子爆弾を落とす事を決定したのである。
そして、日本はこのポツダム宣言を認めなかった。

1945年8月6日8時15分
アメリカの戦闘機B29から一つの爆弾が落とされた。
「リトルボーイ」
そう呼ばれた世界最悪の爆弾。原子爆弾。
そして人から物からすべてのものが消されたのである。
産業奨励館だけを除いて・・。
こうして数十万人の命が一瞬にして消えた。
跡形も無く。

原子爆弾が落とされた後、その影響により黒い放射能の雨がふった。
人々はその雨の中涙を流しながら、親・子供・友を探しのである。
しかし、生き残ったものも放射能に苦しみ亡くなっていった。

数年の歳月が経ちこの産業奨励館(現原爆ドーム)は平和の象徴か?不幸の歴史か?保存するべきか、破壊するべきか議論が耐えなかった。
しかし、一人の少女の言葉が人々に保存を意識させた。
1歳で被爆し、16歳でその生涯を終えた少女、楮山ヒロ子さん。
「あの痛々しい産業奨励館だけが、原爆を後世に伝えてくれるだろう」
こうして、産業奨励館は原爆ドームと名を変え保存されたのである。

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世界で始めて使用された核兵器の惨状を伝えるものとして、そして核兵器廃絶と世界平和のモニュメントとして1996年世界遺産に登録された。

今、広島には原子爆弾の証として原爆ドームの廃墟だけが残る。
その瞬間、人々は命を終えた。
だた、一つの爆弾で。
訪れた時に戦争のおろかさを再認識した場所。
心痛めた場所。

再び、暗いところの紹介でした。。
まだまだ、暗いところが続きますが。。