密林に残された遺跡。
それは過去の文明を今に残す。
様々な寺院が王朝の権力を示す。
1か月半前にここで日本人女性が殺害されました。
ご冥福をお祈りいたします。
おはようございます。
目覚ましを鳴らしても起きられない。
30分目覚ましを鳴るのを遅らせてようやく起きれた。
がんばって起きて、さっそくバイクを借りに。
このスコータイでは免許がなくても原付を運転できるのですよ。
ただ、これで事故を起こしても無免許なので保険が適応されませんが。
まあスコータイは遺跡を回るだけだったら一本道で安全ですし、周辺の遺跡には交通量がありませんから。
安心して乗ることができると思います。
ただ、日本で原付に乗ったことのない場合はおすすめできません。
仕組みがわからないと乗れないと思いますから。
ただ今回はバイクを借りる時にパスポートを預けなければいけないですが、VISA申請でパスポートが手元にないのでかなり交渉しました。
そしたらデポジットとパスポートコピーでいいと言われ借りることができました。
さっそく、、、、、遺跡に向かいたいところですがデポジットが予想以上に高かったのでお金がなくなり。
先に銀行に向かうことに。
最初の銀行では下ろせず、次の銀行でようやくお金を下ろすことができました。
タイではお金を下ろすに何回か銀行を変えて試す必要があるみたいです。
お金を降ろせてからはすぐに12km先の世界遺産へ。
7年ぶりの世界遺産「スコータイと周辺の歴史地区」です。
クメール帝国の末期、タイ東北部にできた王朝こそスコータイ。
彼らは帝国を拡大し、次第には東南アジア全域を支配するのではないかというぐらい繁栄しました。
スコータイ王朝は仏教を信じ、仏の存在をここに表わして行ったのです。
このためスコータイの各地に様々な寺院が作られ栄華を極めて行きました。
しかしこの繁栄も長くは続きません。
タイ南部に現れた王朝アユタヤが一気に北部のスコータイ王朝を併合してしまったのです。
これにより140年という短い王朝が終わりを告げたのでした。
しかしアユタヤ王朝はスコータイの遺跡を破壊しようとはしなかったために風化のみの崩壊だけで大部分はそのままの姿を今にとどめています。
このため、クメールに影響されたタイ初の王朝の遺構が残るとして世界遺産に登録されました。
最初に向かったのは元の王宮群があった城壁の内部です。
城壁はほとんど崩れて小高い山ぐらいしか確認できないですが、それでもかなりの規模があります。
内部にはたくさんの人工の池。
もちろん生活用水としての知恵です。
その周りにはいたるところに寺院が配置されています。
ほとんど崩れていて残っているのは柱と仏塔と仏像のみ。
屋根は木造であったために現在では残っていません。
仏像の中にはまだ色が残っている物があり、当時の姿を多少なりとも想像出来るようです。
ちなみに当時はすべて漆喰で覆い固められるために真っ白な寺院だったようです。
また構造はどこも似た形となっており正門から入るとちょっと長い回廊がありその奥には仏像が。
その建物の後ろには必ず巨大な仏塔が建っています。
仏塔も様々な形があり、円錐形の形のものやホントに塔のような感じでしっかり彫刻されているものまで。
これだけ密集してあるのもすごくびっくりです。
もし、これが崩壊前だったとするとかなり繁栄した王国だったことがわかります。
白亜の寺院が乱立し、空の青空と溶け込む。
なんだか想像しただけでも楽しくなってきますね。
ホントに城壁内部にはいたるところに寺院跡があるので見るにもなかなか苦労します。
もう、かなり暑いので見るにも苦労しましたよ。
本日は風がないのでつらい。。
が、バイクをレンタルしているのでさっさと移動できるのがいいですね。
さて城壁内部を観光した後は城壁の北部へ。
北部には2つしか見どころがないですが、そのうちの一つがスコータイで一番びっくりした場所。
七年前にここであまりにもびっくりしてずっと炎天下の中、立っていたっけ。
どうしてそんなに驚いたのかというと、まずは写真を。
ここは当時の仏像の姿が完璧に保管されている場所。
当時は屋根があったでしょうが、それでも威圧感が感じられます。
遠くから見ると囲まれた壁の隙間から仏像の目がこちらに向けられているのが何とも怖く。
中に入ったらでその仏像の大きさに圧倒されます。
当時の人々もこの姿に圧倒されてのではないでしょうか?
やっぱり、ここは何度来てもびっくりする。
スコータイに来たらぜひここだけは見ることをお勧めします。
間違いなくその姿に驚くことでしょうから。
そして、次にスコータイの遺跡の西部へ向かいました。
実はここに行くには勇気が行ったのです。
というか、悲しい事件があったのです。
私がちょうど香港を旅しているときでしょうか、あるニュースが飛び込んできました。
スコータイの山の遺跡で日本人女性の遺体が発見されたと。
それは殺害という結論で、しかもお金とか取られていないというよくわからない事件でした。
彼女は自転車で向かい、そして何も取られずにこの世を後にしたのです。
このニュースを聞いた時、間違いなくこの女性はバックパッカーということがわかりました。
スコータイの山の遺跡は一つしかなく、かなりの距離であるため普通の人はお金を払いバイタクをチャーターするしかないのです。
お金のない人はバイクか自転車を借りて行くのが分かっていましたから。
あくまで噂ですので信じる必要は全くないのですが、どうやら殺した犯人は日本人とのこと。
ストーカーかもしれません。
しかも日本人2人の犯行という噂もあります。
噂ですので信じていませんが、どうしてこんな安全な観光地でという思いもありました。
正直、世界遺産での犯罪が悲しくて。。
なぜここで起きたかを知りたくて向かいまいた。
予想道理といっていいのでしょうか、検問が2回もありました。
名前と国籍を書いて入るだけでしたが。
そして、向ったのは山の上にある遺跡ワット・サバーン・ヒン。
ここに入るときが一番大変で目の前に警察がいて、国籍にJAPANって書いたら目の前にいた欧米人よりも質問が多かった。
特に泊まっている宿を詳しく聞いていましたが。
そしてそんなに高くないですが、山の頂上へ。
・・・・・。。。。
え、山の中腹に献花されています。
ちょっと待ってよ、ここほんとに有名な遺跡ですから5分に一人は通る道ですよ。
その目の前に献花されているって、、ここでってことだよね?
これではほんとに衝動的だったということが。。。
詳しい写真は載せませんが、この写真の左手に献花されている場所です。
同じバックパッカーとしてとても悲しい事件と思います。
心からご冥福をお祈りいたします。
目の前には大地を見つめる仏像がそびえています。
この仏像はすべてを見ているのですね。
語ることをできないですが、犯人にはけして消えない罪の意識を残していただきたいです。
なんだか世界遺産を見るのにかなりブルーになってしまいましたが。
ここからの景色はほんとに最高なんですよ。
ここに仏像を造ったのも納得かも。
スコータイを見続けることになりますから。
さて、その後は南下し、その周辺にある遺跡をかたっぱしからみました。
ほとんど崩れていて、しっかりしたものがありませんでしたが。
それもスコータイ王朝が滅ぼされてからの歳月が感じられるようで楽しいです。
そうそう、数日後にも書くかもしれませんが東南アジアの文明は古ければ古いほどしっかり遺跡が残っているという特徴があります。
というのも、アンコールのクメール王朝は主に石材を、スコータイのスコータイ王朝は主にレンガを、アユタヤ王朝は主に木材を使っており。
新しくなるにつれて簡単に建てられるものを使用しているのです。
ふつうは逆なのにね。
不思議な文化です。
さて、西部を見終わった後は南部へ移動しました。
ここもほとんど崩れ去っていて見るところは少ないですが。
ひとつだけ、中途半端に崩れているためか、明らかにここに仏像が作られていたとわかる場所があります。
仏像もレンガで造られており壁と同じように作られていたんだと実感できますよ。
それにしてもここは崩れているところが多いです。
アユタヤと一緒ですね。
南部はほとんど崩れていて元何があったかわからない物が多いです。
南部が終ると次には東部に移動しました。
ここには土台がしっかりのこっており、象が塔を持ち上げている姿が何とも印象的です。
また、スコータイ最高の装飾がなされていた場所にも向かったのですが。
崩れていて今ではその影も少ししかなく。
確かに残っている部分はかなりきれいに装飾されています。
もしこの装飾に色彩が施されてあったらこの寺院はかつてない鮮やかさを誇っていたことでしょう。
さて、これにてスコータイ見学も終了です。
バイクで帰って、途中バスターミナルへ
明日の出発時間を確認して、宿へ戻りました。
すぐにバイクを返したのですが、意外にガソリン代にかかった。
このガソリン代を見るとトゥクトゥクが高い理由がわかった気がします。
バイク返却後は夕食。
お店で食べたけど物足りなかったのでコンビニのカップラーメンでも。
ここではNI●●INがあるのですごく便利。
でも、味は保証できませんが。
おいしくないって言うのか、不思議な味って言うのか。
悩むところですね。
さて、明日はスコータイの遺跡の違うところに行ってきましょうか。
で、そのままバンコクに行く予定です。
つらい日となりそうですが。
では、また。
スコータイ歴史地区アクセス
バンコクからバスにてスコータイ行きへ
スコータイ市街からは西へ12km
レンタルサイクル、レンタルバイクがおすすめ
市街からソウテイ(乗り合いバス)も出ている