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 【スリランカの世界遺産

世界遺産「ゴールの旧市街と要塞」
2008.02.22
 
2008年2月22日    202日目


それは植民地時代の証

列強が支配した歴史が残る

スリランカにできた要塞と教会群


さあ、本日は気持ちよく起床。

この宿ほんとに居心地がいいんですから。

ベッドもダブルを一人で占領できてすこぶる気分がいいです。

といっても本日は観光予定なので目覚ましをかけましたが。

所要3回も目覚ましを止めたのは内緒です。

で、起床してからはすぐに宿を出発。

一路、約20km先にあるゴールという街を目指しました。

バスは途中乗車だったのでもちろん座ることもできず。

立ったまま30分バスに揺られていました。

そしてようやくゴールに到着。

まずはここで朝食を。

何せヒッカドゥワでは観光客だらけなのでレストランが高いんですよ。

このためゴールで食事を済ませたかったんです。

で朝食を食べてから世界遺産「ゴールの旧市街と要塞」へ向かいました。

このゴールという街は植民地時代に造られた町。

そもそもスリランカは様々なヨーロッパ諸国の侵略がありました。

まずは大航海時代を牽引したポルトガル。

インドの航路を発見した後このスリランカへシナモンの貿易のためにやってきました。

そして瞬く間にスリランカを征服したのです。

その後オランダやイギリスに支配権が移りながらスリランカは激動の時代を迎えていたのでした。

こうした中貿易港として作られた街がゴール。

スリランカの南端に位置しインド洋の東西南に行くにはとても都合のいい立地だったのです。

このため、彼らに必要な物がここに建設されました。

ポルトガルが支配した際のカトリック教会。

オランダが支配した時の要塞。

イギリスが支配した時のイギリス国教会の教会など。

それらは現在でも残されており、歴史を語っているのです。

このゴールは大航海時代にアジアに残されたヨーロッパ建築が色濃く残る街として世界遺産に登録されました。

さてバスターミナルから一路旧市街の方へ向かいました。

最初に出迎えてくれるのが巨大な要塞です。

想像以上に大きい。

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自分の背の高さの十数倍にもなる城壁。

それは大砲でもびくともしないのが一目見ただけでわかる。

それが一面に広がっているのです。

このゴールの街がどれだけ重要だったか城壁だけで物語っているようです。

城壁の一部には時計塔が付属してあり。

ゴールの街を見守り続けているかのようでした。

ただ、時計が既に壊れており正確な時間を告げることはなかったですが。

それにしても要塞頑丈すぎないか。

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陸地に面している方は何重にも城壁が作られている場所があり、いかなる侵入者も許さない感じです。

さらにもう一つの疑問が。

それは海側の城壁が意外に薄いってこと。

小さい半島に造られているゴールの街は半島全体を要塞にしているのですが、半島の付け根にあたる陸地側はとても要塞は厚いのですが、海側に面している部分は簡単に侵入できそうじゃないか。

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でもこの結論はゴールの城壁を一周することでわかりました。

海側からの侵入が難しいことに。

というのもゴールの海はほとんどが浅瀬。

しかも100mも離れていない海には岩がごろごろと転がっています。

それはスリランカの巨大な波を受けて水しぶきを盛大に上げるほどに。

このため軍艦では喫水が足りないためにゴールの街に近づくことさえできず、もし小舟に乗り換えたとしても周囲にある岩によって侵入を阻まれているようでした。

たとえ小舟が近づいても要塞は人の十倍もの高さを誇っているので中に入ることは不可能だったのでしょうね。

こうなれば怖いのは陸地からの侵入。

陸地には大砲の配備とか、たくさんの兵力がつぎ込めますから。

これにより陸地側の要塞は堅固な物にしてあるのでしょう。

スリランカでもこれほど要塞に適した場所だったためにこの街が貿易港として作られたのでしょう。

やはりその場所を見るまではなぜここに出来たとか、どれほどの要塞なのかはわかりませんからね。

それにしてもここは風景が抜群にいいです。

真っ青な海。

真っ青な空に浮かぶ雲。

そして堅固な要塞。

なぜだか座礁した船までありましたが。

南国に来ているんだということを改めて思い出させるかのようでした。

ゴールの街の南にはここに陸地があるということを伝える灯台がそびえていました。

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ヨーロッパ・中東からアジアへとまたその逆もの航路は必ずスリランカの南端を通る。

まさしくこの灯台はそれらの船の安全を見守り続けていたのです。

灯台とヤシの木と青い空という風景はいつかの写真で見たような風景ですね。

実際に見ると心が休まるような感じがあります。

まあ、灼熱の地獄の中で見るのですけどね。

さてゴールの街を囲む要塞を一周して。

というかゴールの街って小さいのね。

一周一時間もかからないよ。

あ、そうか。

ヨーロッパ人だけが住む街だからこれぐらいの大きさで十分なのか。

植民地としてスリランカに移り住んだヨーロッパ人はそんなに多いわけないでしょうし。

もちろんスリランカ人は使用人以外でこの街に住めるわけもなかったのでしょう。

もしかしたらスリランカ人がヨーロッパ人に対して反乱した時の防御の意味もあったのでしょうね。

他のヨーロッパ諸国から利権を取られないように要塞都市を作ったのだとばかり思っていました。

さて要塞を一周したので続いてはゴールの街の中を見ることに。

ここには彼らが残した教会や建物が残っています。

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教会はあまり大きくないのですがステンドグラスが鮮やかで見る者の目を奪っていきます。

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スリランカの強烈な太陽光がステンドグラスにあたりまさに光輝いているかのようでした。

このステンドグラスはスリランカで作られてはいないはず。

たぶん遠くヨーロッパからはるばるここに運ばれたのでしょうか。

それにしても教会の中は薄暗く、教会自体が頑丈にできているためにスリランカの暑さが全く感じられず、ひんやりとしていて。

ここにいるだけでも気持ちがいいものです。

また隣にあるもう一つの教会はステンドグラスはほとんどないものの人力のパイプオルガンや床に文字が彫りこんであったりと、また種類の違った教会が見て取れます。

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もちろんこれらはカトリックとイギリス正教会という派閥の違う教会であるためにこのような違いが見ることができるのです。

ヨーロッパではこれほど近くに派閥の違う教会はないのですが。

植民地ならではの光景なのですね。

町並みはやはりアジアとは違った雰囲気があり。

いたって普通の街並みですがどことなくヨーロッパを感じさせられこの灼熱の中にある街としては異質な感じがあります。

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ヨーロッパの人たちは利権のために故郷を離れ、遠い異国で少しでも故郷を思い出すために同じような街並みを作ったのです。

しかし歴史の波が訪れ、スリランカは独立。

ヨーロッパ人がここに住むことはなくなりましたが、それでも当時の風景が今に残っているのですね。

さて、観光終了ってこの町ほんとにせまいよ。

歩きまわって全部を見たはずなのにまだ13時ぐらいだよ。

このためもう一度要塞を一周してしまいました。

太陽が照りつける中なのにね。

少しでも歴史を感じたかったから。

要塞の上で長い時間すごしてしまいました。

でも暑さに限界。

15時には観光を終了してヒッカドゥワに戻りました。

宿に戻ってシャワーを浴びて。

宿でのんびりと過ごしていました。

というか昼寝。

炎天下の元で観光するのは非常に疲れるものですね。

起きたら朝かと思ったらまだ18時だったので。

夕食を取り、再び宿に戻りまったりと。

でそのまま睡眠。

明日にはニゴンボに戻ります。



ゴールアクセス
コロンボより直通のバスあり。
ゴールバスターミナルより南へ徒歩5分ぐらいで城壁がみえる。




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