そこは岩が転がる広大な大地
そんな中に無数の建造物が存在する。
ここはかつてのインド王朝の都
おや。
今のところ体調は大丈夫だよ。
このためさっそくパッキング。
朝一番のバスに乗るためにさっそく宿を後にしました。
バーダーミからホスペット行きのバスは午前中に2本。
もちろん早めに着きたいので最初のバスを選択。
6時45分出発といわれていたのでバススタンドで待っていました。
が、待てどもやはりバスは来ない。
インフォメーションに聞いてみるとセカンドバスは7時半だって言われました。
あの、ファーストバスが来ないのにセカンドバスって言われてもね。
同じバスに乗る予定の欧米人もちょっと呆れていました。
さてバスはというと7時20分に到着して。
7時半に出発。
結局セカンドバスしかないのかよ。
欧米人の人がこのバスはファーストかセカンドかと聞いていましたが、インド人は?って感じで答えていました。
これだからインドって。。
まあ、そんな感じでバーダーミを出発。
ずっとバスに揺られていました。
簡単に書きますが5時間はバスに乗りっぱなしなんですがね。
しかも行きにはなかった渋滞に巻き込まれた。
いったいこれは何の渋滞なのか。
このまっすぐな一本道で。
原因がわからないまま、バスはホスペットに到着。
ホスペットからはバスに乗り換えてハンピへ。
これがまた、座席が空いてなくて荷物をしょったままの移動となってしまいましたが。
辛いのなんのって。
幸い12kmぐらいの移動だったのですぐに到着。
さっそく宿を決めました。
前に日本人から聞いていた情報をもとに、値切りを刊行して80ルピーで泊まることに成功。
今までの半分の額で泊まれるって素晴らしい。
ただし、設備はそれなりのところですけどね。
さて荷物を置いて、ハンピの街を見て回ろうと外に出ると一人の日本人が。
声をかけてみると、なんと自転車を返すところで必要だったら使うか?といってくれました。
もちろん御借りしましたさ。
このため街を見ることをやめて急遽世界遺産を観光することにしました。
まず、水を買いだして観光に必要のないものを宿に置き、遺跡へと向かいました。
世界遺産「ハンピの都市遺跡」です。
14世紀にこの地を支配したのがヴァジャヤナガラ王国。
南インドでもっとも繁栄したヒンドゥー教国家であった。
彼らが首都とした場所こそデカン高原中腹に位置するこのハンピ村だった。
王様たちはここにかつてない壮大な都を建設。
ハンピのいたる場所に様々な寺院や王宮などが造られたのです。
しかしこの繁栄も長くは続きません。
やがてインドにやってきたイスラム教がヴァジャヤナガラ王国を征服。
瞬く間にハンピの街は破壊されて廃墟と変わったのです。
しかしその崩れかけた遺跡群でも南インドや北インドの様式の最高傑作やその後の歴史に多大な影響を与えているのがわかり世界遺産に登録されました。
しかし、あまりにも膨大な遺跡が崩れたままなので危機にさらされている世界遺産としても登録されているのです。
至急の改善策が必要な世界遺産でもあります。
さて自転車をこいで。。。。って。
あのさ。
この遺跡ホントにおかしい。
何この広さ。
街を出た瞬間から遺跡はあるのだが、進んでも進んでも遺跡がずっとあるんですけど。
当時の都ってこんな大きかったのかと実感。
これは自転車がないと回りきれないのが納得です。
世界遺産の登録範囲としては約26km四方の範囲にあると書いてあるのでそれだけ聞けば広さがわかるのではないでしょうか。
さて本日向かった場所は当時の貴族の住居群と王宮地区です。
最初はunderground templeという名前の寺院へ。
訳せば地下寺院。
その名の通り、地下というわけではないですが地面より一段下に寺院が作られております。
しっかりと屋根も残されており、数百年の歳月が流れているとは到底考えられないほどきれい。
ただこの寺院のびっくりするところは中が水で覆われていること。
地下に造られているために排水がうまくいっていないのか、それともこれが本来の姿なのか。
詳しくはわかりませんが用水路などを見るとおそらく後者ではないかと。
そう考えるとこの寺院はかなり特殊なものだったのではないでしょうか。
まるで来る者を拒んでいるかの様ですね。
さて続いては貴族の住居へ。
残念ながらここは建物が一切残っておらず、その礎石しか当時の姿をうかがい知ることができません。
がやはり広い。
見渡す限りに住居跡が残っています。
端から端まで歩くにどれだけの時間がかかりそうか。
ちょうど住居跡は岩山と岩山の間の結構開けた大地に造ってあります。
近くに展望台らしきものが作られていたためにそれに登るとその様子が一目瞭然。
いやはやハンピの都がどれだけ栄えていたか。
この展望台からそれを想像するだけでも楽しいものです。
さて続いて王宮地区に入っていき。
ハザーラ・ラマ寺院へと行きました。
まあ、とりあえず名前がわかるのだけは書いていますが、ここに来る途中にもさまざまな建造物があったりして、正直見るのが大変。
貴族から王宮に向かう道なんかは次から次へと城壁や建物や寺院などが現れて。
たくさんの人間がここで住んでいてここで生活していたのが現れてくるようです。
ハザーラ・ラマ寺院は今まで見てきた寺院よりも比較的良好に保存されており。
寺院の構造や彫刻の美しさなどが見てわかるようになっています。
ハンピの寺院は城壁のような壁ですべてを囲まれており、その中心にメインの寺院を建てており、その周りにも数個の小さな寺院が作られています。
寺院の入口には巨大な塔が建てられており、寺院自体の入口には無数の柱で支えられた回廊や議会場のような広間があります。
もちろん建物の中にはリンガが。
この寺院は国王がよく訪れた寺院とされ、周りの建築とは一味違った風貌があるようでした。
さて寺院の後ろには大量の礎石だけの遺跡群があり、そこを抜けると一つの巨大な池が姿を現します。
階段池と呼ばれておりホントに池の囲いが階段だらけで面白い。
ここで王様は風呂に入ったのか。
それとも他の市民が。
何とも面白い形なので見ていても飽きないですよ。
それにしてもここでようやくハンピが発展した理由がわかりました。
階段池に付属していた用水路です。
街が発展する理由として水の確保という問題があります。
このハンピは近くに川があるのでその点はクリアーしているのですが、その水を街全体へとひいたという事実。
街の中にもさまざまな貯水池があり、水には困らないようにしてあります。
岩だらけの乾燥した大地に水がいきわたるようにした街は少し違和感がありますが。
これこそが都として繁栄を支えたものだったのでしょう。
近くには王妃のための浴場も完備されていました。
こちらは誰も覗けないように壁で区切られており、その中には巨大な枠が。
現在では水は一切ありませんでしたが、一人の浴場にしてはかなり大きい。
それだけこの王国がかなりの権力を持っていた証拠ですね。
さて本日の観光はこれにて終了。
半日もかかって全然回れてないや。
どれだけ広いんですか。
あと2日間余裕があるのですが、それでも見終わらない予感。
さて一路宿に戻り。
シャワーを浴びて自転車を返しに行きました。
その後その自転車を借りた方と一緒に夕食を。
そしてそのまま一緒に飲みました。
で、ここで私の旅のルートを根底から覆すような情報が。
何と8月1日に中国ウルグイ自治区にて皆既日食が見られるとのこと。
数年に一回ぐらいしか見れないものですよね。
私は理科の先生の免許を持っているので多少天文も知っているのですが。
人生で一度見れるかどうかわからない天文ショーですよ。
すごく見たいのですが。
が、8月1日って今の予定だとトルコあたりにいることに。
しかも話に聞くと大量の人が来るためにかなりのお金と日数を必要とするみたいです。
私の場合は1か月ぐらいと10万円ぐらい必要かな。
ただそれだけお金をかけても確実に見れるというものではなく。
何しろ雲が出たらすべては終了なのですから。
ものすごく悩んでいます。
さてどうしたものか。
まだ先の話なのでじっくりと考えて検討しようかと思います。
そんな感じで夜も更けたのでお別れを言って。
宿に戻り就寝です。
明日はハンピの本格的な観光ですよ。
ハンピアクセス
ハンピに行くにはインドのホスペットの街にでないといけない。
ホスペットはバンガロールやゴアなどからバスや列車が出ている。
ホスペットの駅からは目の前の道を1kmぐらい直進してバススタンドへ行き、そこからはンピ行きのバスに乗ること。
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