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 【インドの世界遺産

世界遺産「ゴアの聖堂と修道院」
2008.03.11
 
2008年3月11日    220日目


ヴァスコ・ダ・ガマが初めて降り立った場所

フランシスコ・ザビエルの布教の拠点

すべては大航海時代の遺構


本日は比較的早めに起きて。

というのも、インドの列車はチケットが取りにくいので1週間後に移動するチケットでも取りにいこうかと。

チケットオフィスは8時に開くのでそれに合わせて移動です。

チケットオフィスについてからは整理番号の紙をとり、順番を待っていました。

ようやく出番になりチケットの予約をしてみると、、、。

取れなかった。

何と列車がないと言われた。

なぜ?

夜行に乗りたかったのに朝発しかないよと言われた。

時刻表で調べる限りたくさんの列車が通っているので夜行がないというのはありえないのですが。

もしかしたらかなり遠くの場所のチケットを取ろうとしているのでその場所がよく分かっていないのかも。

次のムンバイなら外国人予約オフィスがあるのでそちらで取ることにします。

それでもチケット取れなければさらに考えなおさなければ。

そして、世界遺産に向けて移動、、、といいたいところでしたが本日見るのは教会。

中は薄暗いので三脚が必要になるのでは。

三脚を取りに一度宿に戻りました。

そして再びバススタンドに向かいオールドゴアに向けて移動しました。

途中大きな教会が見えたので、あれ?と思ったら何とそこがオールドゴア。

あわてて降りましたよ。

そんなこんなで到着した場所こそ世界遺産「ゴアの聖堂と修道院」です。

大航海時代、この地に一人の男が降り立ちました。

その名前こそ、ヴァスコ・ダ・ガマ。

インド航路を開拓した人物。

実はヨーロッパの国々はインドに行きたい理由がありました。

それは胡椒の貿易です。

当時、インドで産出された胡椒は中東を経由してヨーロッパに輸出されました。

ただし、交易の利権を中東が握っており、金と同じ額で胡椒が取引されていたのです。

陸路ではイスラムの国があったために彼らは海からインドを目指したのです。

もちろんコロンブスも胡椒の貿易のためにインドを逆回りで目指そうとして新大陸を発見しました。

唯一インドにたどり着いたのがポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマだったのです。

こうしてインドへの航路を確立したポルトガルはゴアの街を貿易の拠点としました。

そして数多くのポルトガル人がインドへと移ってきたのです。

このためゴアに建設されたものがありました。

聖堂です。

ポルトガルは熱心なカトリック教徒でしたので聖堂が必要だったのです。

そしてさらにゴアに聖堂や修道院をたくさん建設する大きな要因がヨーロッパで起こりました。

それこそキリスト教プロテスタントの始まりです。

カトリックはこれに焦り、カトリックの信者を増やすためにそれを植民地に求めました。

こうしてゴアはアジアのキリスト教布教のための拠点として様々な教会や修道院がたてられたのです。

実は日本でもこの地はつながりがある場所。

江戸時代の日本に訪れたフランシスコ・ザビエル。

彼もゴアから日本に向けて出発し異国の地で布教活動を行ったのです。

彼はその後ヨーロッパに戻ることなくゴアで亡くなり、今はゴアで聖者として崇められています。

こうした歴史がゴアには残り、インドにおけるヨーロッパの聖堂が植民地における聖堂建築の代表として世界遺産に登録されました。

現在昔のゴア、オールドゴアにその聖堂群が残っているのです。

この場所に立つとまるでここがインドということを忘れさせます。

どこか南国のヨーロッパに移動したような。

違和感がある場所ですね。

最初に向かったのはセ・カテドラル。

ゴア最大の聖堂です。

といっても外見からでは最大とはわからないのですが。

周りは白い漆喰で覆われており、太陽の光が反射して眩しいぐらい。 

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正面に回ってみると、多少の彫刻はありますがどことなく質素という感じもあります。

しかし中には行ってみるとびっくり。

巨大な空間の正面には黄金に輝く祭壇が。 

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それは地面から天井までを埋め尽くしており、あたり一面輝いています。

ただし、聖堂内は薄暗いのでまばゆく光ることはないのですが。

よくよく見るとマヌエル様式だ。

スペインとイタリアの様式に影響を受けてポルトガルで繁栄した様式。

ポルトガルの植民地の聖堂にはすべてこの様式が採用されているのです。

祭壇には7体の聖人の姿があり、一番上にはイエスキリストが十字架につるされている様子がうかがえます。

やはり、ヨーロッパに行っても、植民地にできた聖堂に行っても思うことはかなりの大きさがあるということ。

この聖堂も中の空間は相当広く、天井まではかなりの高さがあります。

ただ、この聖堂にはステンドグラスはなく、窓も少ないので太陽の光がはいるようになっていませんでしたね。

これだけの壮大な建築が建てられているのを見るとやはり宗教ってすごい力があるんだなと実感できます。

インドという辺境の地でもこれほどの聖堂を建てる。

すごいとしか言いようがないですね。

さて続いて向かったのは聖フランシス教会です。

セ・カテドラルの隣にある教会なのですが、規模はそんなに大きくなく。 

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半分ぐらいの大きさといったところでしょうか。

こちらも白い漆喰で覆われており、インドという土地には異質な雰囲気を醸し出しています。

中に入ると、あれ、、修復中らしく信者が拝む席などがすべてなく。

とおもったら、地面に様々な彫刻を施された敷石があり、それを踏まないように木の通路で回るようになってました。

こちらの教会の祭壇はどちらかというとシンプルのような感じです。

ただ周りに様々な絵画が飾っており、キリスト教の出来事を表しているよう。 

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今まで見た聖堂とは違った趣があってすごく良かったです。

その後は隣にある博物館へ。

中にはヴァスコ・ダ・ガマの彫像とか大航海時代の航路とかが書かれていて意外に楽しめます。

また、この周辺の古代文明の紹介もあってそちらを見てみるのも面白いですよ。

さて博物館を後にしたら、昼食を取り、オールドゴア周辺にある聖堂を見に行きました。

ほとんどが中に入れないようになっていたので外から眺めるだけでしたが。

2つは中に入れるようになっており、一つはちゃんとした聖堂ですが、一つはかなり前に崩れてしまった聖堂跡でした。

一ヶ所だけ当時の高さを表した柱が残っており。。。

ってすごい高いんですが。 

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しかも崩れた後の礎石がかなりの広さを持っていて。

あれ、もしかしてこっちが最大の聖堂だったのかな。

しかも少し高台に造られていたのでもし残っていたらゴアで一番目立つ聖堂だったのではないでしょうか。

そしてもう一つの中に入れる聖堂は正面が修復中で。

ただし中はほかの聖堂と同じぐらいの広さを持っており、天蓋が円形をしておりまるでヴァチカンのような聖堂です。

正面の祭壇も大きく、黄金ではないですがかなりの装飾が施されています。 

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しかも全く人がいないために静かに見ることができる。

これほどの空間を独り占めしている感じですごく良かったです。

周辺の聖堂を見回った後は、ゴアの一番のメインの教会ボム・ジェズ・バシリカに行ってきました。

何とここにはフランシスコ・ザビエルのミイラが安置されているのです。

日本史でその名が出てくるぐらい有名な人物のミイラがここにあると思うと行く前から心がわくわくしてきます。

さっそくボム・ジェズ・バシリカへ行ってみると。

こちらもかなりの大きい聖堂です。

ただ、色は漆喰の白でなく煉瓦の赤茶色です。 

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正面には紋章のようなエンブレムが彫刻されており、また様々な像もあります。

どちらかというとレンガ色の方がインドらしいと感じてしまうのはなぜでしょうか。

そして中に入ってみると。

こちらもすごい。

祭壇はすべて黄金色に色彩されており、それが壁一面に続いています。 

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もちろんすべてに装飾が施されており、見る者の目を奪っていきます。

中心には聖人の像があり。 

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祈る人々へ何かを語りかけてくるかのようで。

この姿を見ると神を信じたくなります。

さらにこの祭壇の右側には巨大な棺が安置されており。

これこそフランシスコ・ザビエルの墓なのです。

上にある銀の棺にミイラが安置されており、それは10年に一度の公開となっています。

見ることはできませんが写真が棺の裏手にありました。

この人は母国ポルトガルから生涯を布教という使命に捧げ、異国の地インドや日本まで到達したのです。

日本にもキリスト教が少しながら伝わり、天草の乱という歴史の一ページまで作った要因になった人。

彼はキリスト教に何を見、そしてそれをどのように伝えたのか。

今となっては知ることはできませんが、聞いてみたいですね。

私も日本からインドへ旅をしてきて、かなりの距離を移動してきたと思っていましたがフランシスコ・ザビエルはもっと長い距離を移動しているのですね。

船しかなかった時代に。

すごいこととしか言いようがない。

ここで歴史の一部を見たような気がしました。

ただ、ここほんとに薄暗くて写真が全く取れない。

暗い写真しか取れなくて四苦八苦したよ。 

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ちょっとぶれてはいますがちょっと明るく見えるのではないでしょうか。

何せ、この聖堂すべて写真はOKなのですが、三脚の使用は不可というところで。

こんな薄暗いところ三脚なかったらきれいに取れないよ。

がんばって取ってみましたがこれが限界です。

三脚使えないのってホントにつらいですね。

こうしてゴアの観光は終了です。

今回大航海時代の一ページを見た気がします。

ゴアにきてよかった。

さて早速ゴアのパナジに戻り。

宿でシャワーを浴びて、夕食です。

夕食後はお酒を。

というのもゴアはほんとにお酒が安い。

しかも酒屋が多くてびっくり。

インドはもう少しいるので今のうちに堪能しておかなければ。

明日は、夜行バスでムンバイです。

それまで暇なのでなにしてようかな。。





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