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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学39--あこがれたのはヴェルサイユ--
2000.12.30
 
世界遺産雑学39

--あこがれたのはヴェルサイユ--

ここには巨大な庭園と王宮が残る。
それはヴェルサイユ宮殿にあこがれたため。
王は曽祖父に嫉妬したのである。

カゼルタの王宮と庭園  イタリア

フランス、ブルボン家
フランスの国王に君臨し続けた家柄。
じつはこのブルボン家、フランス以外にもスペインやイタリアの王に
も輩出している名家。
そんなブルボン家からナポリ、シチリアの王が誕生した。
その名はカルロ7世。
曽祖父にフランスの絶対王政を築いたルイ14世を持つ、由緒正しき血筋。

このカルロ7世は王になり王宮の建設を命じた。
建設場所はカゼルタ。
そして彼は命じた。
「フランスのヴェルサイユ宮殿よりもすばらしい王宮を作れ」と。
それは、18世紀最大級の建設であった。

このとき建設を命じられたのがルイジ・ヴァンヴィデリ。
王の希望にこたえるべく4つの中庭を囲むように5階建ての宮殿が造られ、
部屋数1200、階段数34もの巨大な宮殿となった。
さらにルイジ・ヴァンヴィデリはヴェルサイユ以上の庭園を造ったのである。
それは全長3kmの庭園。
ここは丘に建てられており、水路が高低差78m、水が流れ落ちている様
はさながら滝のように見えたのである。

しかし、この庭園の建設で困った事があった。
それは広大な水路の水。
このカゼルタは水源に乏しかった。
この問題を解消するためにとった事
それは40km離れた山中から水道橋を建設し、水をわざわざ引き込んだ
のである。

こうして、ヴェルサイユにも劣らない王宮と庭園が完成したのである。
しかし、時代が変わってしまった。
この王宮が完成してから、絶対王政が崩壊。
時代は、民主化への道へと歩んでいった。
このため、広大な王宮と庭園だけが残されたのである。

現在、この王宮はイタリアのヴェルサイユと呼ばれるようになる。
王のあこがれた名前通りに。
そして、カゼルタの王宮と庭園はバロックの王宮の最高傑作として

1997年世界遺産に登録された。

ヴェルサイユ宮殿も大きかったですが、こちらもすごい。
全長3kmの庭園って。
歩いて、行きで45分、帰りを含め1時間半。
多分遠すぎで歩いている最中、笑いがとまらない!?