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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学40--海に沈む水の都--
2000.12.30
 
世界遺産雑学40

--海に沈む水の都--

アドリア海に浮かぶ粘土質の島。
人々は戦争から逃れこの地にたどり着いた。
そして、この浮島を水の都に変えたのである。
地盤が不安定なこの島を。。

ヴェネツィアとその潟  イタリア

時代は6世紀。
蛮族から逃げ延びたヴェネト地方の人たちがこのアドリア海に逃げこんだ。
そして、粘土質で水分をたっぷり含んだ島々に移り住むようになる。
彼らは地盤に無数の木の杭を打ち込み、ユーゴスラビア産の特別水に

強い石を積み上げていく方法を考案した。
この方法によりこの住みにくい島で生活することを実現したのである。
現在でも建物はこの方法で建っているのである。

この地が繁栄するのは9世紀。
当時、ヴェネツィア共和国は富と権力を得るためにあるものを探していた。
それは骨。
それも「聖人の骨」
この時代には守護聖人の骨を手に入れて国の格をあげる風習があった。
このため、聖人の骨をやっきになって捜したのである。
そして、エジプト・アレキサンドリアでその骨は見つかった。
しかし、イスラム教に支配されそうであったために、聖人の骨を密売で
手に入れようとしたのである。
これは、犯罪。
イスラム教徒では密売は禁止されており聖人の骨が見つかった瞬間に
彼らは殺される運命であった。
そこで、イスラム教が忌み嫌う豚肉を籠の中に大量にいれ、その下に
こっそりと聖人の骨を持ち帰ったのである。
こうして、イスラム教徒は籠をしっかり見ることもなく、無事にヴェネツィア
にたどり着いたのである。

その聖人の名は
「聖マルコ」
別名ヨハネ。新約聖書に福音書を載せている一人。
この遺骸によってヴェネツィアは発展していったのである。
遺骸を収めたサン・マルコ聖堂はギリシア十字型で建てられたヴェネツィア
の象徴。
そこには天国に来たのかと間違うばかりの金色のタイルで描かれたモザイク
画が埋め尽くす。
オリエントの絨毯と呼ばれるほどに。

このヴェネツィアがさらに発展したのには理由があった。
それは場所。
イタリア、アドリア海に面している場所は、西と東の交易地の中間点。
西洋の場所にありながら、オリエントの文明の存在も確認できる不思
議な都市となっていたのである。
また、ある歴史により交易としてして確立した事がある。
「第4次十字軍」
それは利権に目がくらみ、エルサレム解放を目的とした十字軍がビザ
ンツ帝国を滅ぼしてしまった事件。
これはヴェネツィアの商人が十字軍をそそのかして滅ぼした有名な歴史。
この事件からヴェネツィアは莫大な利益を得て、沢山の建物を建築して
言ったのである。

こうして島に築かれたヴェネツィアは現在自動車が通れる道はない。
今でも船に頼らざるを得ないのである。
このことが現在でも中世の世界を守っているのである。
しかし、この街を今大変な事態が襲っている。
これは、地球全体の問題
「地球温暖化」
毎年、10月~4月にかけてアクア・アルタという高潮現象がおきる。
そのたびに街は数十センチから一メートルにかけて海に沈むのである。
今の現状では海に沈んでしまうといわれる街。
いかに保存をしていくのか問題となっているのである。

ヴェネツィアは島に街を築いた技術、画家たちの壁画、西洋と東洋の
融合した文明などが評価され1987年世界遺産に登録された。
それは、文化遺産として珍しいすべての登録基準を満たす世界遺産と

なったのである。

あ~~、やっと書ききった。。
歴史が多い街って書くの辛いな。
それだけすばらしい世界遺産ということです。
だれもが感動する街。
現実的でない街。
ただただ、感動するだけです。