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 【インドの世界遺産

世界遺産「アーグラー城」
2008.03.28
 
2008年3月28日    237日目


遠くに見える白亜の建物

ここから皇帝は遠くに見える建築だけを見つめた

かつて愛した妃のお墓を


本当だったらゆっくり起きたかったのですが。

朝一番で列車のチケットを予約しておきたかったので。

7時に起きて、8時には駅に向かいました。

駅に到着してからさっそく用紙に目的の列車を書き、予約を。

あれ、アーグラーからデリー行きの列車は簡単に予約できたのですが。

その先のデリーからバラナシ行きの列車がほとんどフルで。

すでにキャンセル待ちの状態。

あのですね、私が予約しているのは10日先の列車のチケットなんですが。

すでに予約でいっぱいってどういうことですか。

でもこっちも移動ができないと困るのでチケットオフィスの人に何でもいいからバラナシ行きの列車を探してもらいました。

するとひとつだけ席が空いているのがあり。

まあ、これも予約でいっぱいですが席がなんとか確保できるキャンセル待ち一歩手前のチケットで。

何時出発かも確認せずにその列車を予約してもらいました。

あとになってわかったのですが、どうやら私の望んでいた時間に到着する便ですごくラッキーでした。

それにしても、なぜこんな先の列車でも予約でいっぱいなんだよ。

インドはほんとに中国より移動がしにくいです。

まあ、これでインドの列車は最後になると思うのでいいのですがね。

・・・・ラサに行ければの話ですが。

チケットもとったので歩いてアーグラーの中心地へ移動することに。

これまた意外にこの街が広くて苦労しました。

そして歩いて30分ようやく到着した場所こそ世界遺産「アーグラー城」です。

時は16世紀。

インドに巨大な帝国が現れました。

その帝国こそムガル帝国。

インド全土を掌握し、インド史に多大な影響を与えた時。

このムガル帝国第3代アクバルによって作られたものこそ、首都に建設された巨大な居城。

その名前をアーグラー城と呼んだ。

アクバルの代で作られたアーグラー城は第6代アウラングゼーブ帝によって増築。

ここに比類なき巨大な城が現れたのです。

イスラム教として発展したムガル帝国はペルシャで繁栄したイスラム建築をそのまま踏襲。

さらにこの地に存在するヒンドゥー教の建築を織り交ぜ、ここにムガル帝国独自の建築が発展したのです。

城内には宮殿やモスクが作られ、ここに地上の楽園を形成させたのです。

このアーグラー城はインドにおける城の建築を象徴し、ムガル帝国の巨大さを示すものとして世界遺産に登録されました。

街を歩き続けようやく城が見えた瞬間に絶句。

何せ、そこには巨大な断崖絶壁の壁が現れたのです。

もちろんそれは城の城壁なのですが、あまりにも高いためにホントに人が作ったのかと疑ってしまうほど。 

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レンガ色をした城壁はいかなるものも侵入を許さないという言葉を発しているかの様に君臨し続けています。

今まで見てきた城の城壁とは桁が違う。

城壁は2重に作られているところもあり、さらにすべての周りには堀が掘られています。

それは梯子どころか人一人近づけさせないために。

それにしてもなぜここまで城壁を強固なものにする必要があったのか。

ムガル帝国とはそれほどまでに敵が多かったことを示すものではないのでしょうか。

そしてさっそくアーグラー城の中へと向かいました。

城門も堅固に作られており、日本の城よりもこっちの方が明らかに攻めにくいのがわかります。 

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日本は所詮島国、かたやインドは大陸の一部であり様々な部族がせめぎ合っている場所であったために堅固にする必要があったのですね。

私が指揮官だったら間違いなく長期戦になることを覚悟しそうです。

城門でアーグラー城のチケットを購入して。

、、、現在ドル安のために一切ドル払いができないことがつらい。

なにせ150円ぐらい違いがあるのですから。

自分たちの儲けが少なくなるからいきなりドル払いができなくなる。

これもインド特有の料金システムなのでしょうね。

さっそく城の中に入るとはじめに上り坂の長い回廊があります。

その回廊を登り切ると、現れるのがアーグラー城に存在する宮殿の数々です。

一目見た瞬間、ムガル帝国のすごさを実感。

皇帝がどれだけの権力を持っていて、それを自分のために使った跡が鮮明に残っているのです。

最初に見えるのがジャハーンギール宮殿。 

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レンガが作られており、すべてはそのままのレンガ色。

高くそびえた入口はまさしく誰もがひれ伏しそうな趣があります。

中に入ってもたくさんの彫刻に埋め尽くされて、たくさんの部屋が存在していました。

残念なことに右端部分は崩壊しているらしく礎石しか残っていませんでしたが、メインの部分はしっかりと残っており、当時の建築が高い水準であったことを示しています。

城の様式は私が初めて見る様式。

というのもいままでイスラム圏に行ったことがなく、イスラム建築を見たことがなかったためです。

やはりどこにも人物、動物などの彫刻が存在しないし、ほとんどが幾何学模様や花などの自然のもので構成されています。

イスラム教徒は偶像崇拝を禁止する宗教。

このため他国の別の宗教であっても破壊してしまう、文化の保存という意味では少々つらい宗教です。

現にアフガニスタンのバーミヤンで破壊されていますし。

この建築を見るとイスラム教のしきたりが少しでもわかるような気がします。

さて続いてみたのはマッチ・パワン宮殿です。 

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先ほどの宮殿はレンガ色であったのに対して、こちらは真白な宮殿です。

すべては白の大理石で建築されているために太陽光が反射して光り輝いて見えるよう。

巨大な中庭の正面には舞台のようなたくさんの柱がある建物があり。

この中に入ると豪華絢爛の宮殿が待っています。 

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きっとこの舞台は謁見の間。

皇帝に唯一会える場所で、その先は皇帝だけの楽園。

中には白亜の大理石で埋め尽くされた庭園や部屋などがあります。

庭園も様々な植物が植えられていて白と緑などのコントラストが印象的。 

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見ていて楽しい庭園となっています。

特にこの宮殿のすごいところは水の仕掛け。

現在では水は一滴も流れていないのですが、庭園の中に噴水や水路などがあり、水の音を流す滝まで作られているのです。

ここで皇帝は灼熱のインドにおいて水の音を聞きながら少しでも涼んだのではないでしょうか。

この2つの宮殿は川に面してある場所に建てられていて、どちらからも見渡せるテラスのような場所があります。

そこに見える一つの巨大な建物。 

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それこそタージ・マハル。

第5代皇帝シャー・ジャハーンが妻のために建てた廟です。

実はここには悲しい話が残っています。

2つの宮殿の間にはタージ・マハルを眺める塔が建っています。

かつて栄光をつかんだシャー・ジャハーン帝が晩年過ごした場所。

それもさみしい晩年だったのです。

というのも彼は歴史の波にのみこまれたのです。

シャー・ジャハーンはタージ・マハルやアーグラー郊外に宮殿を建て、ムガル帝国の最盛期を築きあげました。

彼には一つの夢がありました。

生涯愛したムムターズ・マハルの廟・タージマハルの川の対岸に自分の廟を建てて橋をかけ自分が亡くなった後も妻とともに寄り添う計画でした。

それはタージ・マハルと全く同じ形で黒の大理石を使用し真黒なタージマハルの建設をもくろんでいたのです。

しかし、晩年彼の息子たちが権力争いをはじめ、その中でもアウラングゼーブは兄弟を殺し、父を幽閉してしまうのです。

これによりシャー・ジャハーンの計画は夢へと消えます。

彼はアーグラー城に幽閉されました。

これにより彼は一度も妃が眠る廟へと足を踏み入れられなくなったのです。

こうして彼はこのアーグラー城で妃の廟を見るしかなくなりました。

その眺めていたのがこの中間にある塔。 

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晩年彼はここでタージ・マハルを悲しげに眺めていたと言われています。

妃の元に行きたいと。

こうして彼はその後タージ・マハルに行くことなく亡くなってしまうのです。

現在ではその場所が解放されて見ることができるのですが、この場所に立った瞬間悲しい気分になるのはなぜでしょうか。

彼が眺め続けた風景は届きそうで届かないタージ・マハルの近さを認識でき。

その距離が一層悲しい気分へとさせるようでした。

歴史の栄光を見、そして歴史の没落を見、時代に翻弄させられた悲しい皇帝。

彼は現在妃と寄り添うようにタージ・マハルの中に安置されています。

もう、ここで悲しい風景を見ることはないのです。

この場所から長い間、彼の眺めた風景を見ていました。

そして今度はアーグラー城を一周することに。

実はアーグラー城の中は半分以上見れないようになっているので。

意外に見る場所は少ないです。

こんなに高い入場料払っているんだからもう少し解放してもいいと思うんだが。。

文句を言ってもしょうがないですけどね

さてアーグラー城は2.5kmの城壁で構成されているので歩くのは簡単です。

巨大な門は2つしかなく、どちらも何重の門があって重苦しい雰囲気。

これは難攻不落の城ですね。

実際ここで戦った歴史がないので絶対落ちないとは言い切れませんが。 

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さてこれにてアーグラー城の観光終了。

さっそく銀行探しです。

というのも手持ちのルピーが少なくなって。

特に入場料がドル払いが不可になってしまったのが痛い。

正直どこに銀行があるかさっぱりわからないまま歩きだしてしまいました。

人の話を頼りに何とかATMがある場所を探しだし。

これでネパールまでのルピーは引き下ろしました。

お金をおろした後は宿にひたすら歩いて戻り。

これがなんといってもつらかった。

距離にして3kmぐらいなのですが、砂埃が尋常じゃない。

しかも挙句の果てに雨が降ってきた。

眼は痛いは喉が痛いは、体は濡れてくるはで最悪な感じ。

ダッシュで宿に戻りました。

すぐにシャワーを浴びて。

夕食を食べて、明日の朝食と昼食を買い出し。

宿ではずっと日記を書いていました。

この宿は居心地がいいのでついつい長居してしまいそうです。

さて明日も世界遺産観光です。



アーグラー城アクセス
デリーやバラナシから列車もしくはバスにてアーグラー下車
列車駅やバススタンドからは3キロぐらい距離があるのでリクシャを使ったほうが無難。
現地ではアーグラーフォートと呼ばれている。





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