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 【インドの世界遺産

世界遺産「ファテープル・スィークリーの都」
2008.03.29
 
2008年3月29日    238日目


ムガル帝国が建設した都

しかしたった14年の歳月で破棄される

このため往年の姿のまま補完された奇跡の都



目覚めはいつも通り7時ぐらいです。

眠い目をこすりながら出発の準備を。

そしてすぐにバススタンドに向けて出発しました。

バススタンドで今日向かうファテープル・スィークリーのバスを待っていると。

なんと45分待ちだった。

地●の歩き方にもインフォメーションでも30分に一本あると言われていたが。

なぜこんなに待たなければならないのか。。

しかも出発したのはいいが途中の道が通行止めらしく、引き返して違う道を進み始めた。

おかげで1時間半の予定が2時間かかる始末。

まあここはインドなので怒るわけにもいかないですけど。

さてこうして10時には目的地に到着。

さっそくバススタンドから城に向けて歩き始めました。

少し登りはじめたところで巨大な門が見えてくる。

これこそ世界遺産「ファテープル・スィークリーの都」です。

この街は16世紀より歴史が始まります。

当時インドを支配していたムガル帝国第三代皇帝アクバルがこの地へ首都を遷都したのがきっかけです。

アクバルには一つの悩みがありました。

それは後継ぎが一向に生まれなかったことです。

このとき一人の預言者が救いの言葉をかけました。

翌年あなたに男の子供が生まれると。

すると予言どおりに後継ぎが誕生。

これに感動したアクバルは預言者の住む地ファテープル・スィークリーへと都を遷都し始めたのです。

これにより、5年の歳月をかけ都を建設。

ここにインド史に残るムガル帝国の都が姿を現したのです。

しかし僅か14年後には再びアーグラーへと都が遷都される結果となりました。

これはファテープル・スィークリーに水が存在しないことにあります。

当時の宮殿は大量の水を使用する構造となっていました。

近くに川というものがないファテープル・スィークリーは都としては不向きな場所だったのです。

こうして再びアクバルの手によって首都を移転。

ファテープル・スィークリーは放置される結果となりました。

が、これにより誰の手もくわえられないまま歴史は流れ、現在でも当時のままの姿を今に表わしているのです。

このためムガル帝国の建築様式の粋を集めた建築が今も残る場所として世界遺産に登録されたのです。

まず私たちを迎えるのはモスク地区にあるブランド門

遠くからでも見える巨大な門で特にその下まで行くとその巨大さがわかります。 

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なんといいますか天まで届く高さ。

目の前が階段でその上に門が建設されているので余計に巨大に感じる仕組みとなっています。

門の建築はすべてイスラム教とインド宮殿建築の融合。

まさに外国から侵略してきたムガル帝国がインドで繁栄するために選んだ道の象徴でもあります。

門の中に入るとすぐに巨大なモスク、白亜の廟、レンガ色の廟などが並ぶ巨大な中庭に突き当ります。

まるでムガル帝国の権力を象徴しているかの様にこの壮麗な建築群は見る者をひれ伏せるかのようでした。

白い廟はアクバルの後継者が生まれることを予言した預言者の廟。 

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すべては白の大理石で作られており、その透かし彫りは見事なもの。

どうやったら石をこれほどまでにきれいに彫刻できるのだろうかと尊敬しています。

中から見ると外の光でそれは幻想的な光に変わり。 

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いかにアクバルがこの預言者を慕っていたのかを示した廟となっているのです。

隣にあるレンガ色の廟はほかの様々な聖職者たちの墓を収めたもの。

中にはたくさんのお墓があるのが特徴です。

広場の西の方角に向いているのは巨大なモスク。 

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特にこのモスクはイスラムとインドの建築を融合させた代表作とされており、ムガル帝国の建築様式が確立されている場所となっています。

西の方角を向いているのはそちらにメッカがあるから。

イスラムの建築は必ずメッカの方角に拝むモスクが建立してあることが特徴です。

メッカに拝むことがイスラム教の日課ですからね。

巨大なモスクのために天井部分を見るのが少々つらいのが難点。

首が痛くなるので。

これらの建築を5年の歳月だけで建設できるムガル帝国ってすごい権力を持っていたことを実感しました。

さて、モスク地区はこれで終了。

続いて宮廷地区へと向かいました。

さっそく中に入り、、、、って何さこの建築群は。

素晴らしすぎて言葉が出ない。

最初に見えるのは皇帝の居住区。

ほとんどが2階建ての建築で、周囲からは全く中の様子が見えません。

居住区ですので皇帝の姿や妃の姿が見えたら大変ですから、全く見えないように建設されているのです。

中に入ると巨大な中庭に周りには大小さまざまな空間が広がっています。

すべては赤い砂岩で作られたレンガ色の建築で。 

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屋根には青い瓦が使われていました。

青い瓦が使われているのは正直驚き。

イスラムにもインドにもこのような彩色をした屋根なんて存在しないですからね。

でもシルクロードにはこのような建築が存在します。

中央アジアのラピスラズリで彩色し、それを中国独特の瓦を使用する。

どちらもインドが中間なのであり得る建築のような感じもします。

ここでアクバルは妃たちと暮らした姿を想像すると、帝国の栄華を垣間見れるようです。

そしてもっと驚いたのは居住区の隣にある謁見の間や涼を取るための中庭が存在する場所。

まずその空間が巨大で居住区の2倍はあるようです。 

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中には5階建ての塔や水に囲まれた踊り場など。

皇帝がここで楽しんだ姿がここに残ります。

特に目を見張るのは水路の配備。

現在では一切水は流れていませんが、水路を眺めて当時の水を流れている姿を想像すると、宮廷の楽しみが見えてくるようです。

いたるところに水は流れ、時より水は音を立てて池に流れ込み。

また水は水路を伝い、庭園へと流れて行く。

皇帝たちはこの地獄のような暑さの中、水を使って涼をとったのです。

池の中に生える踊り場も水の力を得て一層輝いているように。

ここで妃たちは踊り、皇帝に見せたのでしょうか。

ムガル帝国の王宮の暮らしが見えてきますね。

あと、5階建ての塔は皇帝がそこに立ち、下に女性を配置させてチェスを楽しんだそうで。 

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なんとやることが豪勢なんでしょう。

ムガル帝国の力の真髄を見させていただいた感じです。

やはりこれらを5年で作るのは正直かなりの権力がないと無理です。

たくさんの労働者、たくさんの資材。

何より、ここを作って14年後に破棄したのにそれでも国が傾かなかった事実。

ムガル帝国にとってたった一つの宮殿が無くなった程度のことだったのでしょうか。

インド史に多大な影響を与えたムガル帝国。

インドを支配することはそれだけでも世界の名だたる王国になった証拠。

この姿を見ているとまるで中国の清の遺跡を見ているみたい。

清も中国を征服したのちたった数代で様々な建築物を建てていますから。

その清とムガル帝国は数代で中国建築・インド建築に影響を与えた帝国です。

権力の真髄を目の当たりにした瞬間でした。

宮廷地区にはそのほかにも謁見の間や浴場、図書館など様々な建築が残っています。 

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その中でも宮廷地区の外れにある一つの塔が印象的。

最終的には王が狩猟をするために建てられた塔ですが、建築当初は王が乗っていた象のお墓として建立されています。

まるで塔の周りに象の牙が生えているように作られており、それだけで独特な風貌があります。

しかもその上から眺める風景は絶景。

一面は見渡す限りの地平線。

反対側の一面は宮廷地区とモスク地区を一望できるようになっており。 

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王がここで自分の権力を確かめたのではと疑ってしまうほどにすべてがここに凝縮されています。

征服した地平線を眺め、そして自分が建てた宮殿を見渡す。

皇帝の権力が一瞬でも私に伝わり。

それはまさしくインド全土を支配した皇帝の楽園だったのではないでしょうか。

こうして、ファテープル・スィークリーの都の観光は終了です。

まあ、遺跡は素晴らしかったのですが人は最低でしたけどね。

2分に一度はインド人に声かけられて、何か買わないかとかお金ちょうだいとかうるさい。

挙句の果てにモスク部分は裸足で入らなければならないのですが、靴の預ける場所で10ルピーも請求された。

ふざけるな、そんなに高いわけがないと文句を言ってお金を払わず怒りながら逃げました。

インド人最悪です。

というか北に入ってからこんなムカつきが多くなった。

北インド最悪です。

さて観光が終了したので一路アーグラーへ。

今度はバスを待つのに1時間かかった。

ホントに30分起きでバスがあるのか信じられないんですが。

皆さんも注意してください。

アーグラーに戻ってからは明日の観光のバスの確認。

何せ明日行く場所はほとんど情報がない場所ですから。

とりあえず行ってみて、見れるかどうかを確認します。

その後日本人と出会い、一緒に夕飯を食べていました。

そしたらほかの2人の日本人もばったりレストランであって。

いろいろ話していたら時間があっという間に過ぎ。

まだ日記書いていないんですが、、、夜にダッシュで書きました。

明日は早起きしないといけないのですぐに寝なければ。

0時過ぎていますがね。

ではお休みなさい。



ファテープル・スィークリーアクセス
アーグラーのイードガー・バススタンドより推定1時間に1本バスあり。
イードガー・バススタンドはアーグラー・カント駅からななめ左方向に進む大きな道を進み、最初の大きな道と交差している場所を左にまっすぐ行くと到着する。





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