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 【インドの世界遺産

世界遺産「タージ・マハル」
2008.03.31
 
2008年3月31日    240日目


白亜の宮殿

それは世界でも最高の廟建築となった

愛する妃のために建てた悲しみの建築




早起き。

何しろ本日行くのはタージマハル。

人生の中でも一度は行ってみたい場所の一つだったので。

朝一番に入場して、朝焼けに輝くタージを眺めたいと思い。

6時には出発しました。

もちろん移動方法は歩き。

リクシャという手もありましたが、早朝は別料金を取られますし。

何よりインド人があまり好きではないので。

1時間かけて歩いていきました。

ようやく到着した時には7時です。

もう日は出ていましたが、水平線に近かったのでさっそく入場することにしました。

まずは料金を。。。

なぜかこのタージマハルだけはインドの入場料の中でも別格らしく。

750ルピー(2000円)とられるのです。

ホントに遺跡の保存に使ってくださいよ。

入場料を払ってさっそく中へ。

正面の門をくぐると、見えてきました。 

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真っ白な白亜の建築、世界遺産「タージ・マハル」です。

世界でも誰もが知っているインドの建築「タージ・マハル」

見た目は宮殿なので王が住んでいたと錯覚すら起こしてしまいますがここはお墓。

愛する者のために建てた壮大なお墓なのです。

時は17世紀。

インドは巨大な大国に支配されていました。

その帝国の名こそ「ムガル帝国」

インドにおける芸術・美術・文化などすべてにおいて影響を与えた国家。

ムガル帝国はインドの歴史においてもっとも繁栄した帝国となったのです。

タージ・マハルはその第5代皇帝が建てた悲しみの建築だったのです。

第5代皇帝シャー・ジャハーン帝は一人の女性を妃としました。

その名はムムターズ・マハル。

皇帝は妃を溺愛し、片時も離れたくなかったようで戦場まで妃を伴ったとされています。

シャー・ジャハーンはムムターズ・マハルとの結婚16年後にしてようやく皇帝に即位。

彼に幸せの絶頂が訪れたのです。

しかし、この幸せも長くは続きませんでした。

皇帝即位から3年後、ムムターズ・マハルが子供の出産と同時に容体が悪化。

ついには帰らぬ人となったのです。

皇帝は嘆き悲しみ、絶望へと誘われました。

その悲しみはあまりにもあまりにも深いものであったために帝国全土の国民に2年もの歳月を喪に服させたといいます。

皇帝の悲しみはそれだけでは終わりませんでした。

その後は狂ったように妃のお墓を建てたのです。

妃のためにと最高の職人を招集。

それは遠くフランスやイギリスからも職人を集めた程。

こうしてムガル帝国の財力を使い22年の建設期間ののちに完成したものこそタージ・マハル。

白の総大理石造りで建てられており、インドにおいてもっとも壮麗な建物がここに姿を現したのです。

まさに皇帝の涙の結晶となりました。

このタージ・マハルは廟建築の最高傑作として世界遺産に登録されたのです。

雑学95参照

敷地内に一歩踏み込んだ瞬間に目に焼きつくその白さ。 

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まるでこの世のものとは思えないほどの壮麗な建築。

まるでおとぎ話の世界へと連れていかれたものだと。

今までこのタージ・マハルは写真で何回も見ていましたが、やっぱり自分の目で見るといかにすごいものを建設したのかがわかるようです。

あまりにも美しくてその場で立ち尽くしてしまいました。

白いタージ・マハルは前にある水路に反射してこれまた美しい姿を描きだしており。

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信じられないや。

白大理石をこれほど集めたのもあるけど、見ている者のすべてを魅了する。

そんな建築が存在することが。

ただ、これを建てたシャー・ジャハーンの妃に対する愛が伝わってくるようです。

それとこれだけのものを建てながらムガル帝国の経済が傾かなかった事実。

何もかもが信じられなくなりそうです。

そして少しづつタージ・マハルに近づいていきました。

最初は巨大な庭園を歩くのですが、この庭園こそペルシャ建築伝統の四分庭園。

庭園に十字型に水路を配する形です。

中心には大きな池があり、そこから見るタージ・マハルは池に反射して上下反転した姿を一緒に見ることができます。 

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残念なことに今は大量の観光客がいるためにしっかりとした姿は見えないのですが。

水面に映る白い宮殿。

それは幻想的で水面の少しの揺らぎだけでも歪んでしまう姿が何とも見ていて心地よいものです。

正面に見えるタージ・マハルは東西南北どこから見ても全く同じに見えるように作られています。

このため下の台は95m四方、本体は上下左右すべて57m四方で建てられているのです。 

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この緻密に計算された建築だからこそここまで美しく見えるのではないでしょうか。

タージ・マハルの基壇の上に登るともうそこは白一色の世界。

唯一色がついているのは装飾の部分。

花や蔦の部分やコーランが書かれた場所だけ。

それもほんのごく一部で白の美しさを損なうことはないのです。 

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それにしても結構な高さがあって、上部を見るには少し首が痛くなる。

こんな高さまでオール白一色の大理石を使うというムガル帝国の権力はやはりすごい。

中国の歴代の帝国と比べても権力の力は大差ない気がしますね。

基壇の上からタージ・マハルを一周すると後ろ側に1本の川が存在します。

そしてよくよく対岸を見てみると何やら庭園らしきものが。 

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実はこここそ、皇帝シャー・ジャハーンが夢見た建築の夢の跡。

シャー・ジャハーンはタージ・マハルが完成すると、今度は自分の廟の構成を考えます。

白いタージ・マハルの対岸に真っ黒いタージ・マハルを建設し、そこに自分の亡骸を安置。

川に橋をつなげていつまでもムムターズ・マハルと死後の世界を楽しむという計画がありました。

このため生きている間に建設が着手されたのです。

しかし、この夢は実現しませんでした。

息子たちによる権力争いに巻き込まれたからです。

第6代皇帝となるアウラングゼーブは父親が他の王子を支持するのを恐れ、すべての兄弟を殺害。

そして父親シャー・ジャハーンをアーグラ城に幽閉してしまうのです。

こうしてシャー・ジャハーンには一切の権力が無くなってしまい、彼の壮大な夢は幻となったのです。

その後シャー・ジャハーンは愛する妃の廟に一度も立ち入ることができなくなり、悲しみのままアーグラ城でその生涯を終えたのです。

対岸を眺めていていて、もしこの夢が完成したらと思うと武者ぶるいがしそうです。

タージ・マハルだけでもこれほどの素晴らしさなのにそれがもう一つ。

しかも真っ黒い大理石を使用するとどのような建物ができていたのでしょうか。

対岸を眺めながら皇帝の夢見た世界を想像していました。

きっと完成していたら世界一の建築になっていたことは間違いない気がします。

対岸を眺め終わったところで、ようやくタージ・マハルの内部へ。

内部にはもちろんお墓が存在します。

中に入ると実感するのが内部の空間がすごく広いこと。

クレーンなどの重機機械がなかった時代によくこれだけの高さの建物を建て、そして内部にこれほどの空間を作れたのか。

よほど構造設計の知識がないと不可能ですよね。

ただムガル帝国の技術の高さに圧倒されるだけです。

そして中心部には2つのお墓が安置されております。 

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実はタージ・マハルにおいて唯一ここだけが完全なる美が崩されているところ。

というのはタージマハルは四方向どこから見ても全く同じ構造としてまるで半分を鏡に反射しているかの様に建てられました。

もちろん内部もすべて同じ構造で。

しかしこのお墓の位置だけがそれを崩しているのです。

それにはシャー・ジャハーンを幽閉した息子アウラングゼーブ帝の配慮であった。

もともとシャー・ジャハーンは自分用に黒いタージ・マハルを建設する予定であった。

このため白いタージ・マハルには自分のお墓を作ることなど考えていなかったのである。

しかし、黒いタージ・マハルは夢に消えた。

息子はせめてもの償いとして父が溺愛した母の隣にお墓を作ることを決意。

こうしてムムターズ・マハルの横にお墓を設置したために左右対称が崩されたのであった。

内部に並ぶ2つのお墓はこのようにして作られたのです。

もちろん中心は妃の墓。

対象を崩しているお墓が皇帝のお墓です。

その姿を見ていると、皇帝の悲しみと息子の苦悩が伝わってくるようです。

むしろ、皇帝と妃が寄り添って眠るいまの方がよかったのではないかと感じてしまいます。

息子はその後ヒンドゥー教を否定し、圧迫的な政治をとったため彼が無くなったあとムガル帝国は急速に衰退していきました。

まさしくシャー・ジャハーン帝の時代が最も繁栄を迎えたのです。

さて一通りの見どころはすべて見て。

この後はベンチに座りずっとタージ・マハルの姿を見ていました。

ずっと見ていても飽きないその姿。

度々太陽が反射して眩しくなったり、空の雲の具合で全く違う雰囲気になったり。

まさしく芸術品。

どんな情景でもそれは美しく君臨し続ける宮殿の様です。

ホントにすごかった。

少々入場料は高いですが、絶対ここは来てくださいね。

さあ、これにて観光は終了。

さすがに7時間も観光していると疲れた。

すぐに帰りたいところですが、まずはインターネット。

宿のインターネットは高くて、タージマハル周辺のネットは安いのでこちらで済ませようと思ったからです。

タージマハル周辺が安宿街なのでこちらでは旅行者が大量に来るために競争が激しくて安いのです。

インターネットも終わったところで宿へ。

ホントは歩きたかったですが、少々疲れていたのでオートリクシャを使用することに。

これだと5分で宿まで到着しました。

宿ではさっそくシャワーを。

そして夕食です。

昨日再び出会ったマカオで知り合った人と夕食。

そこにたまたまもう一人の日本人がいたために3人で。

インドではほんとに日本人の旅行者が多いので話相手に困らないのがうれしいです。

東南アジア、インド、ネパール、中国・四川雲南はやはりバックパッカー黄金ルートのために旅行者がほんとに多い。

ここでは日本人とたくさん友達になれますよ。

さてホントは長く話していたかったのですが、私が明日の4時半起きだったので。

さっさと部屋に戻り、日記を書き。

すぐに就寝です。

本日の白亜の宮殿の姿は忘れることができなさそうです。



アーグラーアクセス
アーグラー城参照。
アーグラー城からは西側の川沿いに歩いて行けばタージマハルに到着する。





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