インドで始まった廟建築
ここはその先駆け。
愛する夫のために妃が必死で建てたお墓
本日はぐっすり寝たのかな。
寝たのが遅かったから8時起床でもあんまり寝た気がしませんが。
さっそく宿のレストランで食事。
食事が終わったら、すぐにデリーの街へと歩き始めました。
本日向かったのはデリーの南東部にあるフマユーン廟
はたまたどうやって行ったらいいかわからなかったのですが、近くに列車の駅があり首都だったら郊外列車が走っているだろうと予想して。
ニューデリー駅へと足を向けました。
しかし、ここからがウザいことだらけで。
何せ有数の嘘つきがいる街ですから、みんなが移動する場所に詐欺師が集まっており。
特にこのニューデリーがそのメッカなんです。
ホントにあなたはどこに行くのとか。
チケット売り場はこっちだよとか何も言っていないのに声をかけてきます。
もちろん信じていないので無視して歩きましたが、郊外列車のチケット売り場がわからなかったので近くにいる警察に聞きました。
指差された場所で並んでいても、ここではチケットが取れないよとかチケット売り場は違う場所だよとかいろんな人が声をかけてきて。
しつこい。
ちなみに、簡単にチケットが取れましたけどね。
話しかけてきたのはすべて詐欺師。
かれこれ7人以上に声をかけられています。
ぜひデリーに来たときには勝手に声をかけてくる人のことを信用しないでください。
チケットが取れたらさっそく列車に乗り込み。
4つ先のニザームッディーンという駅で下車。
ここから歩いてフマユーン廟に向かいました。
意外に遠くてびっくりだよ。
そしてようやく到着したのが世界遺産「デリーのフマユーン廟」です。
ここはインド初の廟がある場所。
ムガル帝国に君臨した第二代皇帝フマユーン。
彼は突如として亡くなってしまった。
これに悲しんだのが妃ハージ・ベグム。
彼女は皇帝のためにお墓を建てることを決意。
インドではお墓という概念がないためにインドはじめての廟建築となったのである。
ムガル帝国とはペルシャ地方からインドに侵略した国家。
このため廟建築はペルシャ地方の建築をふんだんに取り入れた建築となった。
正方形の庭園に直角の水路を張り巡らせる四分庭園
そして廟にはドーム建築を採用するなどのペルシャの建築で作られたのです。
この廟建築がやがてムガル帝国の権力の象徴を示すようなりました。
また、タージ・マハルの原型とも言われています。
インドにおける廟建築の礎となり、その後の建築に多大な影響を与えた場所として世界遺産に登録されました。
チケットを購入して、さっそく中に入り。
そして最初に見えたのが入口の隣にある何かの建物。
正直英語が読めないのでさっぱり何の建築だかわかりませんが誰かの墓でした。
内部に墓が安置されていたので。
この建築は広い広場の中に円形の建物で、今まで見たムガル帝国の建物とはちょっと違う感じを受けました。
さて入口の正面の門をくぐってさらに歩き、再び別の門が見えてきます。
その門をくぐるとようやくフマユーン廟が見えてきます。
一目見た瞬間にタージ・マハルを思い出した。
建築様式が全く同じなのです。
もちろんたくさん違う部分がありますが。
なんといっても一番大きな違いは色。
タージ・マハルは白の大理石で建設されているために白亜の廟でしたが、こちらは赤茶の廟です。
もちろん天井部分には白大理石が使われていますが、主として使われているのが赤砂岩。
これにより赤の廟が姿を現したのです。
同じ建築でも使う素材によってここまで違いが出ることが驚きです。
またタージ・マハルと違う部分は4つのミナレットがないこと。
タージ・マハルの基壇の上には4つの塔が建っていましたが、フマユーン廟にはありません。
もともとこちらが先に造られて、それを参考にタージ・マハルが作られたためにフマユーン廟は簡素という印象を受けます。
もともとフマユーン帝が質素だったという素性もあり、妃が装飾を抑えたという話もあるので。
インドにおけるペルシャ建築。
これがたった当時のインド人はかなり驚いたのではないでしょうか。
インドのヒンドゥー教はこれほど巨大な建築を建てるすべを知らなかったので。
どちらかというとヒンドゥーは建物を建てるというよりも塔を建てるという方に重点を置いていたみたいですから。
内部に空間があるという時点で唖然としたのではないでしょうか。
さて外観を見た後は庭園を見て回りました。
この庭園はタージ・マハルのよりはやはり簡素なイメージ。
でもタージ・マハルは庭園に白大理石を使用していて絢爛に見えていたので。
こちらがなんといってもすごいのはその水路の量。
すべては直角に配置されており、廟を囲むように水路が張り巡らされています。
残念なことに水は流れておらず枯れていましたが、水を流れる姿を想像するとまさしく水の庭園となっていたことでしょう。
これほどの暑い大地において楽園のような庭園。
たくさんの緑が敷き詰められており、耳を澄ますと鳥の鳴き声。
まるで外国に来たのではと錯覚させるようでした。
水路には水が張り巡らされていませんでしたがフマユーン廟の四方に大きな池が設置してあり。
そこには水が張ってあり噴水が行き良いよく吹き上げていました。
池からフマユーン廟を眺めるとタージ・マハルの同様フマユーン廟の姿が水面に反射しており。
まあ、噴水があるので水面が揺らいでしまってきれいには見えないのですが。
これを改善したのがタージ・マハルではないのか。
そう思わずにはいられないですね。
庭園をぐるっと一周した後はフマユーン廟の内部へ。
中に入ると正直思うのが、外のドームに比べて中のドームが小さくないかなということです。
実は、これほどの建築を建てるにはちょっとしたからくりがあり。
外を巨大な建築に見せるためには内部を小さくしないと屋根の部分が支えられないのです。
このために採用されたのが2重のドーム。
外側は巨大にして、内部を空間にして建築資材の重さを軽減し、内部に再びもう一つのドームを作る。
これによりフマユーン廟はこれほどまでに巨大なドームを支えているのです。
やはり私はインドに来るまではインドを侮っていました。
あまり文化が発展しなかった土地だと。
しかし、この目で見てそれは偏見であったことがわかりました。
正直言えば日本の規模をはるかに超えているのです。
下手すれば中国に匹敵するぐらい。
それほどインドには巨大な権力をもった帝国が存在し、繁栄を迎えていたのです。
インドの建築はほんとにすばらしいです。
人は最悪ですが。。。。
それにしても中に入っていてわかったのが実はここはもともとから左右対称に作っていないこと。
いえ、見た目は完璧な左右対称なのですが、フマユーン廟の入口だけなぜだか壁があり、そこから入るようになっています。
フマユーン廟の入り口を入った時に小さなドームがあり、そしてもう一つの門にはいると内部に出るという構造。
しかし、ほかの三方は扉はないのですが、格子が門の代わりにあり中をのぞけるようになっていますが、直接内部のドームへとつながっているのが見えるのです。
もちろん狙ってこのような構造としたと思いますが、なぜこのような形としたのか不思議でなりません。
まあ、左右対称と思ってフマユーン廟を眺めた時は何か変だと気が付き、その違いがわかるまで時間がかかりましたが。
まるで間違え探しをしているみたいで。
愛する夫のために建てたお墓はまさしくインドの中の楽園。
それほどまでに夫を愛していたのでしょう。
でも妃が建築を指揮できるぐらい権力があったって。
正直驚いてしまいますが。
さてこれにてフマユーン廟は終了です。
6時に夕食の約束をしていたので早めに帰ることにしました。
が、が、ここからが地獄の連続だった。
なんとたった8kmの移動に3時間もかかったから。
まずは駅に向かいチケットを買い。
これがまた膨大な人が並んでいて、しかも横入りとか職員の休憩とかで遅々として進まない。
おかげでたった2ルピーのチケットを買うのに1時間を必要とし。
そしてチケットを買ったので列車を待とうと思って待っていたのですが、一向に来ない。
1時間待っても来なかったのでいったいいつ来るのかと聞いたら後1時間ぐらいという話で。
もうこの時点で約束の時間まで残り1時間。
間に合わないので、バスで戻ることに。
これがまた地●の歩き方の表記が複雑すぎてほんとにこっちでいいか不安になった。
駅から15分以上あるいてバス停に到着。
目的のバスに乗ることができました。
もう、つかれたよ。
というかインド人大っきらいになった。
もうインド早く抜けたいよ。
おかげで約束のぎりぎりで宿に到着。
昨日一緒に飲んだ日本人と合流してマクドナルドへ行きました。
やはりビーフがないマックをもう一度体験したくて。
ふむ、インドのマックは場所によってメニューの値段が違う。
面白い現象ですね。
さて食事の後はすぐに宿に戻り、ゆったりとしていました。
日記を片付けようと思ったけど、睡魔が私に訪れ。
そのまま睡眠です。
明日は観光はやめて休日としようかな。
フマユーン廟アクセス
ニューデリー駅からは郊外列車が便利。南に向かう列車で4駅目
ニザームッディーン駅で下車し、北西方向に歩く
徒歩15分
ただし本数が少ないので時間がかかるようだったらニューデリー駅のメインバザール側の通りを南側に走る355番のバスでニザームッディーン駅の近くに下車。
車掌に必ず降ろしてもらうことを伝えたほうが良い。
もしよろしければクリックしてください。

世界遺産のことを皆に知ってもらう為によろしくお願いします。