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 【ネパールの世界遺産

世界遺産「カトマンズの谷」(1)
2008.04.17
 
2008年4月17日    257日目


ネパールで発展した独特の文化

それは仏教とヒンドゥの共存で始まった

ヒマラヤの盆地にできた王都


目覚めは結構いい。

すぐに起きて、準備。

あれ、、、カメラのレンズ拭き無くした。

いったいどこで、、。

ルンビニではあったから、その途中でか。

まあ、スペアがあるからいいんだけどさ。

朝から少し暗いテンションになってしまいました。

さて、外に出て朝食を買って。

そして一路カトマンズの旧王宮に向かいました。

タメルからは結構簡単に行けるんですよね。

歩いて15分ようやくちょっとした広場に到着。

この場所こそ世界遺産「カトマンズの谷」の一つカトマンズの旧王宮です。

カトマンズに独自の文化がやってくるのが西暦4世紀。

この地を支配する王がヒンドゥ教でありながら、市民の信仰する仏教を容認したことに始まります。

これにより、ネパールではヒンドゥと仏教が共存する関係が生まれたのです。

そして時代は流れ、この地に繁栄が訪れることになります。

それはネパールの立地条件にありました。

中国、チベット、インドの中間地点にあるために交易をするためにネパールを経由したため中間貿易が繁栄したためです。

これにより、13世紀に支配していたマッラ朝は数々の王宮や寺院を建設。

ここに独自の建築による都市が生まれたのです。

その後、地震によりたびたび崩壊しますが、再び復元されました。

またその後に支配するシャハ朝も過去の王宮などを破壊せず、カトマンズの谷に新たな王宮を建設したのです。

これにより、直径二十数kmの小さな範囲に1000弱ぐらいの建造物が密集することになりました。

カトマンズの谷に残る建造物は今でも中世の街並みをとどめており、仏教とヒンドゥの融合された独特の建築として世界遺産に登録されました。

今回見に行ったカトマンズにある、王宮広場は18世紀にこの地を支配したシャハ朝の王宮。

シャハ朝は現在でも続くネパールの王家で、それ以来カトマンズが首都として君臨し続けたのです。

その中心にあったのがダルバール広場。

ここには二十数棟の寺院があり、その中心にはたくさんの広場を要する王宮があるのです。
 
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まず広場に入る前に入場料を払い。

広場の中へと入っていきました。

すると今まで見たことのない寺院が大量に並んでいるでは。

仏教ともヒンドゥともいえない、いやどちらも混在するような独自の建築。

ピラミッド状の土台の上に日本でいう屋根が上に並んだ五重の塔のような建物が建っています。 

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建物は赤茶色に装飾されており、今まで見たことのない雰囲気です。

しかも驚くべきところは木の彫刻が細かいこと。 

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寺院はほとんど木造で建てられており、屋根を支える柱や門など外から見える部分には緻密な彫刻が施されているのです。

インドは石に彫る彫刻でしたが、ネパールでは木が豊富にあるのでそちらの彫刻が発展した模様です。

それにしてもほんとに彫刻が細かいよ。

インドの彫刻も感動しましたがこちらの彫刻もすごく。

だって、木にしろ石にしろ、一度失敗したら終わりなんだよ。

それをよくもこれだけの量も掘ったと尊敬します。

ダルバール広場にはホントにたくさんの寺院が存在しており。

一つ一つに違った特徴があります。 

集会場のように大きな屋根がある寺院。 

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土台がなく、地面からそのまま建てられた寺院。

屋根が普通の民家のようになっていて、その周りの壁という壁に彫刻を施している寺院。

石材作りで空にそびえるような寺院。 

寺院の中はほとんど見れないようになっていて、どのような物がおさめられているのかはわからないのですが。

ここにネパールの粋を集めたということが一目瞭然ですね。 

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それにしても、何度見てももう日本と建築と似ている部分が多い。

屋根のつくりとか、建築様式が似ているというか。

この地方から日本へと文化が伝わった証拠ですね。

さて、本当はこのまま王宮を観光しようとおもいましたが。

午前中はどう見ても逆光で、全然写真が撮れなさそうだったので。

午後に再び戻ってくることにしました。

ということで、お昼には一度宿に戻り。

荷物を置いて昼食とインターネットをしに行きました。

停電していると無料のインターネットの場所は使えないので。

今のうちにということで。

インターネットが終ってからは宿でまったりと。

ある程度時間がたったところで再び旧王宮に戻りました。

もちろん午後の太陽の元に写真を撮ろうと思ったので。

あと、朝一番に見た旧王宮は午後の方が日差しがいいような感じであったために。

旧王宮に到着してからは今まで見た場所をもう一度周りました。

午前と午後では日差しが変わっているために同じ場所から写真を撮っていても違った雰囲気になるから不思議です。

午後になると旧王宮に光がはいるようになっていて美しく輝いているように見えます。

さっそく、旧王宮の中へ。

、、、また入場料を取られるのか。。

ネパールの入場料が軒並み高騰していて観光するには大変です。

旧王宮は寺院と住宅を混在させたような建物。

そしていたる所に中庭が配置されており、太陽の光をふんだんに取り入れる構造となっています。 

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もちろん門や窓枠などには木の彫刻が施されており、豪華絢爛な王宮となっているのです。

しかも住居部分は3階建てで、一部分塔のようなところが建っておりそこは6階だて。

現在では周辺の建物も高層化していますが、当時王宮はそびえる建築だったということが見えてきます。

人々はこの建築を見て王の権力を見せつけられたのでしょう。

王宮の中は現在博物館となっており、ネパール王宮の宝飾品やネパールの歴史がわかるようになっています。

しかも旧王宮の回廊や部屋いたるところに展示してあるためにすごく時間がかかる。

が、ヒンディ語で書かれているためにさっさとみるしかないですけどね。

王様が使っていた机や服、勲章なども展示されています。

一国の王の生活がいっぺんに見ることができるのですよ。

また王宮なので王がどのような場所に暮らしていたかわかります。

特に王宮の塔部分に登ることができて。

というか天井裏のような場所ですけど。

底から覗く景色は最高。

カトマンズという街が盆地の中にあるということがすぐわかり、町を一望できるのです。

王はここで国民の生活を眺めていたのではないでしょうか。

自分の国の平和を眺めながら

残念なことに旧王宮の中は撮影禁止で、事前にカメラを預けさせられていたので写真で見せることができないのですが。

まあ、禁止ならしょうがない。

そうそう王宮の中にはネパールと各国の交流の写真も残っており。

日本からは昭和天皇の写真が残っていました。

あとネパール王が長崎を観光した写真が。

インドやネパールの人たちが日本でよく知っている街は東京・大阪、そして広島・長崎なのです。

やはり原爆を落とされた街として歴史書に大きく書かれており、アメリカを悪者にしている模様。

よく日本人だと知ると広島と長崎の話がでてきます。

特にインドは核を持つ国としてそのような考えを持っているのであれば核を使うことはないと思い少し安心しましたが。

核が無くなる日を。

そう願わずにはいられません。

さて王宮の中を一通り見学したら、再び外にでて、王宮の中庭から写真を撮っていました。

王宮はここだけしか写真が撮れないので。

しかも王宮に付属されている巨大な寺院も現在は未開放で。

こちらも遠くからしか写真が撮ることができない。

、、お金払っているんだからもう少し解放してもいい気がします。

さてその後はダルバール広場でずっと座って眺めていました。

数世紀変わることのない風景をこの目に焼きつけたくて。 

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しかも仏教とヒンドゥの建築が融合された場所も世界でもここでしかないために不思議な風景を見るのがすごく楽しいのです。


で、観光が終了して。

さっそく宿に戻り。

シャワーです。

カトマンズでは夕方に入った方が何かといいので。

寒くもなく温かくもない気候がちょうど夕方ですから。

シャワーを浴びて、宿で日記を書いていましたかな。

で、夕食へ。

ここ最近少しですが毎日お酒飲んでいるかも。

今日も夕食でお酒を頼んでしまった。

自分の好きな時に飲めるネパールってホント最高ですね。

夕食が終わり、町をぶらぶらして。

で宿に戻り。

明日は、パキスタンビザを取りに行くだけなので比較的暇な日になるでしょう。

ではまた明日。



カトマンズ旧王宮アクセス
カトマンズタメル地区より南へ徒歩15分
カトマンズに到着してからは宿はほとんどタメルにあるためにタクシーでそこに移動した方が良い。





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