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 【[雑学]アジア

世界遺産雑学46--皇帝が崇拝し続けた人--
2000.12.30
 
世界遺産雑学46

--皇帝が崇拝し続けた人--

中国、春秋時代。
それはまだ秦の始皇帝すら生まれていない時代。
そんな時代に一人の人が生まれた。
現在でも崇拝の対象となっている人。
「孔子」

曲阜の孔廟、孔林、孔府  中国

諸子百家
それは、春秋時代から戦国時代にかけて登場した思想家や諸学派の総称。
その筆頭で中国の学術や思想を作り上げた人物こそ「孔子」である。

孔子は、春秋時代末期の魯の国の曲阜に生まれた。
「孔」は氏、「子」は先生の意味、名が「丘」。
正式な名は孔丘である。
魯の国の役人として政治改革に取り組むも失敗してしまう。
そして、各国を回り、自らが理想とする政治を説いたのである。
自ら理想とする政治こそ「仁」
人間が本来持つ心情の仁によって国を納め徳治主義の政治を行う事を論じたのである。

しかし、時代は戦国時代。
権力争いに明け暮れる時代だったからこそこの孔子の説く政治は受け入れられなかったので
ある。
こうして、孔子は生まれた魯の国に帰国。
時代が自分の思想を受け入れてもらうために弟子たちの育成に努めたのである。
孔子の死後、弟子たちがまとめた論語が出来上がり、荀子、孟子により受け継がれ儒教、儒
家が生まれた。

そして、時代はやっと孔子の考えに追いついた。
その時代こそ前漢の武帝の時代。
孔子がなくなってから約350年後のことである。
こうして、武帝は儒家を国教とすることを決めた。
このため、孔子は聖人化されていき孔子が生まれ育ち亡くなった曲阜にさまざまな建物が建
設されたのである。
そこは儒教の聖地として漢の時代から清・現代まで歴代王朝の崇拝を受けたのであった。

現在、曲阜には世界遺産に登録されている3つの建物がある。
孔子の生まれた場所「孔廟」
孔子とその子孫の墓「孔林」
孔子の子孫の住居兼役所「孔府」
この3つの建物はほとんど明、清時代に立てられたもの。
しかも、この3つの建物には皇帝が崇拝した証の特徴がある。
それこそ黄色。
明、清時代にとって黄色は皇帝の色を示した。
このため、中国の建物の瓦で黄色が使われたものはすべて皇帝が住んだところや墓などで使用された。
しかし、この曲阜にある建物は皇帝にかかわりがない中、黄色の瓦で建てられたのである。
それは、皇帝が孔子を皇帝と同類であるとみとめた証であった。

しかし、現代において孔子の直系子孫に大きな運命が巡った。
それこそ中華人民共和国の設立。
孔子の直系子孫には市民の心を動かす力を持っていた。
このため、中国が社会主義か民主主義で動乱があったときに選択を求められたのである。
直系子孫はこの時、民主主義を選んだ。
しかし、中国では社会主義が擁立されたのである。
こうして、社会主義から追われる立場となり台湾へと移住したのである。
2500年にわたり曲阜にいた直系子孫はこうして終わりを告げたのであった。
現在、曲阜の街を守るのは孔子の70代~80代達の子孫である。


歴代の皇帝の孔子に対する厚い尊崇の念を物語る3つの遺構は中国の建築士、美術史に多大な影響を与えたとして1994年世界遺産に登録された。



こんなに長くなるとは・・。
それだけ孔子はすばらしかったのでしょう。
2500年にもわたり影響を与えた人。
時代の最先端を行き過ぎた人。
出来る事ならば合ってみたいです。。